1.現病歴
この30年来、たまに当院に来院する方で、今回は1年ぶりに来院となった。 数年前から加齢による円背が進行したせいか背痛を訴えていたが、今回は顔が下に向いた状態で来院。無理すれば一時的には前方を見ることはできるが、疲れるので普段は下を向いたまま生活しているという。坐位で診ると、隆椎よりも後頭部の高さの方が低い。変形性頸椎症があるのは明白である。整形で頸椎X線はとったが、本人に病態の説明はなされていない。頸椎のソフトカラーを巻くように指示されたが、楽な感じはしないとのこと。
2.初期の治療
前回来院後1年で、これほど頸椎が変形していることにまずは驚いた。このような高度な変形性頸椎症で、鍼灸治療が効くかどうか自信がなかったが、後頸部周囲筋を緩めれば、自覚的には少しは楽になるのではないかと思い、風池・上天柱・後頸部一行・肩井などに2寸#4で軽い雀啄をしてみたが、頸は楽にならないとのことだった。 まあ1回の治療では不十分なので、2~3回同じような治療をしてみたが、症状にあまり改善はみられなかった。
3.中背部頭半棘筋に対する刺針に変えて有効
これまで坐位で頸椎~上背にかけての背部一行刺針をしてきたが効果がないので、中~下部胸椎の高さの背部一行まで施術範囲を拡大してみた。すると今回の治療はよく効いて、頸が楽になったとの返事が得られた。ただし頸が下を向いた状態に変化はみられていない。
4.頸椎~胸椎の固有背筋の構成
頸の動きは、後頭骨-C2椎体とC2-Th7椎体に分けると機能を理解しやすい。起始・停止が後正中あたりにあるものは、前後屈の作用となる。起始が後正中付近、停止が後正中から離れた部になれ回旋作用があることを意味する。
1)後頭骨-C2椎体 → 頭蓋骨の動き(頭蓋骨の屈伸・左右回旋)
①下顎を引く・突き出す‥‥C0/C1椎体間の屈伸(後頭下筋群の伸縮)
主治療点:上天柱刺針
②頭を左右に回す‥‥‥‥‥C1/C2椎体間の回旋(頭板状筋の伸縮)
主治療点:下風池刺針
2)C2-Th7椎体 →頸部の動き(屈伸・左右回旋)
①頸部の前・後屈‥‥‥‥‥主にC0~Th1椎体間の屈伸(頭・頸・胸半棘筋の伸縮)
主治療点:C1~Th1一行刺針
②頸を左右に回す‥‥‥‥‥主にC3/Th1椎体間の回旋(頸板状筋の伸縮)
主治療点:C3~Th1二行刺針
5.半棘筋について
頸椎から胸椎に縦走している筋には、<頭・頸・胸半棘筋><長・短回旋筋><頭・頸板状筋>の3種がある。<頭・頸板状筋>は頸椎と胸椎の左右回旋で働く筋であり、<長・短回旋筋>は頸胸椎のアラインメントを整えたり、回旋しすぎないようブレーキをかける筋である。そして<頭・頸・胸半棘筋>は筋断面積も大きく、頸椎~胸椎の重量を支えるとともに前後屈動作を主導する筋である。
ゆえによくみられる後頸痛の患者には、頸椎一行だけでなく上背一行に刺針すると効果が出るのが普通なのだが、本症例のような高度な頸椎前屈している者にとっては、力のモーメントを効率的に作用させるには胸半棘筋の下端あたりの方が治療点として適切であることを知った。 なお本症例は臥位ではなく坐位で施術したが、重量を支える筋活動している状態で胸半棘筋刺激した方が効果的になる。
6.胸棘筋について
上記患者の胸椎の一行に深刺すると胸半棘筋にぶつかるので、治療で深鍼していたが同じように胸椎一行を治療していても治療効果にムラがあることに気づいた。また後頭-C1部以外の後頸部筋への刺鍼は、かえって首が上がらなくなることも発見した。この考察として後頚部筋はすでに伸びきっていて収縮力に乏しく、代償として胸椎を反らすことで顔を前方に向けているのではないかと考えた。
胸椎一行の浅針でも首が上がるようになるので、胸棘筋のことを思いついた。胸棘筋は脊柱起立筋の一つで表層にある長い筋である。その走行は同心円状になっているのがユニークで、上部胸椎棘突起の本筋線維は、上部腰椎棘突起を起始とする本筋の筋線維は上部胸椎棘突起に停止する一方で、下部胸椎棘突起を起始とする本筋筋線維は中部胸椎棘突起に停止するというもの。要するに上部胸椎の背屈可動性を改善しようと思ったら、下部胸椎一行に刺鍼するというアイデアが生まれる。