平成25年7月9日、故・代田文彦先生宅に資料を頂戴しにお伺いした。奥様である瑛子先生(内科医)が出迎えて下さった。書籍関係は、大阪針灸専門学校の「針灸ミュージアム」での展示資料として持ち去られた後だったので、ビデオとスライド関係が中心になったのだが、代田文誌先生が著した雑誌の別刷りが数点出てきた。「洞刺の臨床的研究」日本鍼灸治療学会誌、第13巻、第1号(昭38.12.1)もその中にあった。驚くことにその中に代田文誌先生の生原稿が混じっており、「頸動脈洞刺針(洞刺)の研究 Study of To-shi(Puncture of the Carotid Sinus)」と書かれていた。この原稿が日本針灸治療学会誌に載ったのは昭和38年のことであり、文誌63才と思われた。当時、文誌は長野市に住んでいた。(東京の井の頭公園隣に引っ越したのは67才。74で死去)
※この原稿タイトルの英訳部分に洞刺をTo-shi と書かれている。これまで私は洞刺をドウシと読んでいたのだが、トウシであることを初めて知った。北海道には洞爺湖という湖があり、これはドウヤコではなくトウヤコと読ませる。これと同じ要領なのだろう。この稿を読まれている皆様もご注意ください。
一般に原稿は出版社に渡されるが、活字になった後は破棄され手元には残らないか、原稿返却されても、本人が破棄してしまうのが普通である。しかし本原稿は、原稿用紙右上に(控)と書かれている。自分の控え用にとっておいた原稿ということになる。本稿が雑誌に掲載されたのは昭和38年で、コピー機が普及する以前の時代なので、カーボン紙でも使って転写させたものだろう。
<人のなりは、文字に現れる>ともいわれるが、この原稿にも真摯な性格がにじみ出ている。