筆者は2012.4.11に<陳久性反回神経麻痺の針灸治験>と題した治験の一例報告を行った。その後も2例追試を重ね、印象が当初と異なってきたので改訂版をまとめることにした。
1.反回神経麻痺の概略
反回神経麻痺は、左側が右側より圧倒的に多く、3:1の比率である。1割ほどが両側性の反回神経麻痺になる。臨床上、声帯は一側の副正中位をとることが最も多いが、中間位や正中位である場合もある。
1)一側性麻痺の場合、副正中位ならば、左右声帯の隙間が開きすぎるので、声帯を呼気で神道させることができずに発声困難となり嗄声となる。患者は呼気量を増やして声を出そうとするので、発声の持続時間が短くなる。
持続発声秒は、30秒以上が正常だが、ひどい場合は3秒以下になる。手術の適応となる目安は、10秒以下である。
2)両側麻痺では、声帯が開いていると、一側性麻痺に比べても声帯間の隙間が開くので、より嗄声が強度になる。会話する場合は、何回も息継ぎをしながら、しかも枯れた声になので、聞く方はなかなか理解しにくくなる。
3)両側性麻痺で、両側声帯が正中位で固定していれば、声門裂が閉じ、呼吸道が閉鎖され、呼吸困難が起こる。完全に声門裂が閉塞されれば呼吸困難で死亡することもある。
2.反回神経麻痺の現代医療
原疾患が明らかであり治療可能ならば、その治療を行う。原因不明なものについては、ビタミンB1剤、ATP剤、血管拡張剤、ステロイド剤などを適宜使用してみる。これらの治療で、麻痺自体が改善されれば問題はない。例え治癒しなくても健側声帯が正中を超えて患側まで動くのであれば代償作用が期待でき、嗄声の軽減も期待できる。そのためにも声を出すことがリハビリになる。
6ヶ月間これらの保存療法によっても麻痺が治癒せず代償作用も起こらない場合、手術療法を考慮する。現在の医学では、動かない声帯を動かすことは不可能なので、閉鎖しない声門を元々狭くしておくことで発声時に閉鎖しやすくする。つまり、麻痺した声帯を内側に寄せる手術になる。声帯内BIOPEX注入術は一側性声帯麻痺に対し、声帯外側にリン酸カルシウム骨ペーストを注入して声門裂の間隙を人工的に狭くするものである。
3.症例1(38才、女性)
主訴:声が出しにくい
1)現病歴:
6年前に妊娠したが、胎児が死亡したので全身麻酔により掻爬処置した。麻酔から目覚めると、声が出にくいことに気づいた。以来、種々の内科的治療を受けるも治療効果なく、相変わらず声が出にくい状態が続いている。とくに大声は出せない。本人は麻酔時の気管挿管時に、声帯を傷つけたのではないかと思っている。現在は持続的に、12~13秒間、「アー」という声が出せる。専門医より10秒以上声が出せるのであれば、手術の適応はないといわれている(正常であれば30秒以上声がだせる)。遠方の針灸院に週に2回、半年間通院するも効果なかった。
診断:右反回神経麻痺(専門医による確定診断)
病態把握:全身麻酔時の気管内挿管が声帯を圧迫し、反回神経麻痺を惹起した。
治療方針:輪状軟骨~気管部分の反回神経を刺激することを治療方針とする。これは嗄声に対する郡山七二氏の治療の追試である。ただし発症が6年前のことでもあり、針灸で改善できない確率の方が大きいであろう。
2)当初の針灸治療方針
寸6#2の鍼を数本用い、右反回神経が分布している気管軟骨部分に鍼先をぶつけた状態で、血流改善目的で30分間置針。パルスは使用せず。健側である左反回神経に対する刺激は、万一にも麻痺することを危惧して刺激しない。置針10分毎に、アーと声を出させつつ雀啄刺激。次に伏臥位にて、右後頸一行へ深刺置針10分。
上記治療パターンを10回(5回目から患者の希望で1ヘルツのパルス併用。また鍼を1.5インチ中国鍼30号に変更)行うも、施術直後の持続発声時間は12~13秒と不変だった。ただし患者の弁によれば、針灸施術後は、声の出が良いということだった。
3)治療方針の変更
声帯麻痺の者は、健側声帯が代償として患側に寄っているという知見から、健側声帯を刺激することで、健側声帯の動きをさらに改善しようとする意図から、健側治療のみに変更した。その他のパラメーターは当初の治療方針と変わりなし。
施術後、持続声出しテストを行うと、18秒間という結果になった。
4.症例2 (36才、男性)
主訴:声がかすれる
1)現病歴:
2ヶ月前扁桃炎で入院。退院3日後、突然咽喉の痛みと大声の出しにくさを感じた。咽喉痛は間もなく消失したが、嗄声は不変。耳鼻科医は左反回神経麻痺だが、自然回復もありえるので、数ヶ月様子をみようといわれたという。針灸治療前の持続発声7~8秒。
2)針灸治療とその後の経過:
仰臥位にて甲状軟骨~気管軟骨にぶつけるような鍼を患側に5~6本20分置針。治療後、持続発声10秒となった。3日後再診、治療前の持続発声6~7秒。今回は健側と患側両方の甲状軟骨~気管軟骨に向けて置針すること20分。治療後は持続発声10秒。その後、同じよう名治療をくりかえしてみるが針灸治療前は10秒弱で、治療後は12秒程度と、足踏み状態が続いた。
3)治療の転機:
反回神経麻痺の手術治療の一つに、<左右の声帯を近づけるように異物を注入する>というものがある。左右の声帯間にある声門裂を狭めるような徒手矯正を行えば、もっと声が出るようになるのではないかと、ふと思った。そこで仰臥位で持続声出しを行わせてその秒数を確認した後、甲状軟骨を痛みを訴えない程度に術者の母指腹と示指~中指腹で押圧しつつ、もう一度持続声出しを行わせてみた。すると押圧前7秒→押圧中14秒と大幅に延長できた。その後は、治療前も15秒前後を維持できるようになった。要するに、物理的な軟骨の脱臼状態が反回神経麻痺症状を悪い方向で修飾していたのではないかと想像した。その反面、これまでの私の反回神経の針灸治療パターンに無力なものを感じた。というのは症例1で針灸治療の効果だろうと思っていたことが、鍼先による甲状軟骨や気管に対する押圧効果だったかもしれないので。
4)追伸:
上記ブログを書き上げた翌日、2年半ぶりで症例1の患者が再来した。小学校で教えているので「もう少し声の出を良くしたい」とのこと。この改訂した。ブログを見て来院したのだろうと思ったのだが、まったくの偶然の再来であった。
座位での持続発声は18秒、その状態で甲状軟骨を押圧して持続発声を試みると24秒になった。引き続き仰臥位で甲状軟骨と気管軟骨壁にぶつけるよう数本の針を置針すること20分間。さらに座位で天柱手技針を実施して治療終了。再び持続発声時間は18秒だった。で、座位でだった。続いて甲状軟骨を押圧しての持続発声時間は驚いたことに41秒となった。やはり針治療も効果あったことを伺わせるものとなった。