顎関節症Ⅰ型(咀嚼筋過緊張による開口制限)の鍼灸治療は、咬筋の頬骨下縁や下顎骨外縁付着部圧痛点に刺針する。それで症状が改善するのが普通であれば、鍼灸治療的には解決済だといえる。
しかしⅠ型以外のⅡ、Ⅲ、Ⅳ型の顎関節症に対しては、Ⅰ型に比べて難治なせいか、整理された症例報告は数少ない。Ⅰ型以外の顎関節症に対して、筆者は下関から2.5㎝ほど直刺して外側翼突筋刺激することが多いが、この刺針意義について確認しておく必要もある。
加えて、顎二腹筋は開口補助筋としての役割があるが、その治療的意義は必ずしも明瞭ではないので、自分なりの診察と施術法についても併せて記す。
A.外側翼突筋
1.咀嚼筋の一つとしての外側翼突筋
咀嚼筋は三叉神経第3枝支配であり、側頭筋・咬筋・内側翼突筋・外側翼突筋の4種がある。この中で側頭筋・咬筋・内側翼突筋の3つは閉口筋として作用し、外側翼突筋だけが開口筋として作用する。
2.外側翼突筋の機能
外側翼突筋は上頭と下頭の2種ある。
1)外側翼突筋の上頭
起始は蝶形骨、停止は顎関節円板。顎関節円板を前方に引っぱる作用。
口を大きく開ける際、下顎は前方に滑走するに沿って、膝関節円板も前方に移動する。この移動は、外側翼突筋上頭が関節円板を前方に引っぱる筋力による。
2)外側翼突筋の下頭
起始は蝶形骨、停止は下顎頭。
①下顎骨の前方滑走:口を大きく開ける際、下顎頭の回転すると同時に前下方への2横指ほど滑走し、「顎の突き出し」運動を行っている。
②下顎を横にずらす作用。穀物をすり潰す際、噛みきる力よりも上下の臼歯間に穀物を入れ、下顎を横にずらすことが必要で、この横ずらし運動は、内側翼突筋との共同運動である。
3.外側翼突筋刺針
1)外側翼突筋指針の適用
顎関節症Ⅲ型は、さらにⅢa型、Ⅲb型に分類される。ともに外側翼突筋刺針の適応がある。
Ⅲa型:閉口時に関節円板がはずれるが、開口時に正常位置に戻る。この時カックンと音がする。
Ⅲb型:閉口・開口とは関係なく常に関節円板がずれている型。関節音はしない。
外側翼突筋が弛緩し、収縮力が低下すると、下頭の下顎を前方に辷らす力が低下し、下顎の突き出しができないので開口制限が出てくる。
また上頭の膝関節円板を引っぱる力が低下するので、下顎頭が関節円板から外れて前方に移動し、開口制限が出てくる。Ⅲa型では外れた関節 円板が下顎 頭に乗る時、クリック音がする。(Ⅲb型:外れたママの時はクリック音はしない)
2)刺針技法
外側翼突筋は触知しづらい筋で、口腔内の上奥歯の奥から圧痛の有無を調べるのがよいとされているが、医師、歯科医師以外に口腔内に指を入れるのは禁じられている。下顎骨内縁から頬骨下縁に向けて擦り上げるように触知して圧痛をみるのがやっとである。
筆者の外側翼突筋への刺針方法は、最大限に開口させた肢位にさせ、下関からやや上方に向けて直刺2.5㎝で外側翼突筋上頭に到達する。軽い手技を行い、静かに抜針している。まずある程度開口させた状態で下関に深刺を行っておき、次に3秒間できるだけ大きく開口するよう指示する。術者は「1、2、‥‥」とカウントしつつ下関に刺してある針に上下動の手技を加え、「3」で静かに抜針するようにすると、治療効果が増す。
4)顎関節症Ⅲa型の治験報告(19才、女性)
(皆川陽一ほか明治国際医療大学研究員著:顎関節症Ⅲa型に鍼治療を試みた一症例 転位した関節円板と随伴症状に対する効果 全鍼誌 2010年第60巻5号)
開口障害、開口・咀嚼時痛が主訴としたⅢa型顎関節症に対し、外側翼突筋に対する刺針を中心とした施術を行い、施術2回目から効果が現れ、治療8回で運動制限と開口障害の改善をみた。ただしMRIでは関節円板の転位に著変はなかった。
似田註:症状の真因は顎関節円板のズレにあったとしても、周囲筋の緊張が改善できれば症状も和らぐ。これは変形性関節疾患でも同じことがいえるが、80才を越えた高齢者になると変形の程度も高度になり、筋へ施術しても治療効果は上がりにくくなるのは避けられない。
5)多岐におよぶ外側翼筋刺針の効能
①耳閉感
一部の歯科では顎関節痛だけでなく耳閉感に対し、頬部から外側翼突筋への局麻注射を行うことで血液循環の回復や筋肉の酸素不足などが改善されて症状を軽減させる治療を実施している。
②耳鳴
耳鳴は、内耳性耳鳴と体性神経性耳鳴に大別できる。前者は突発性難聴や騒音性難聴などに代表されるが、針灸で治療効果はあまり期待できない。体性神経性耳鳴の代表は、頸椎症と顎関節症であろう。トラベルよれば顎関節症でとくに耳鳴と関わりの深い筋は、咬筋と外側翼突筋だと記されている。耳介側頭神経 (三叉神経第Ⅲ枝の分枝)は、外耳道知覚、鼓膜知覚、顎関節知覚をつかさどっているとされており、その代表治療点として聴会穴が知られている。
③線維筋痛症
線維筋痛症に対して外側翼突筋に対するトリガーポイントブロックなどが効果ある例が報告されている。 本筋は他の筋と違って筋紡錘がない。これは本筋の筋トーヌスが自動的に調整されないことを意味している。
咬み合わせの異常→外側翼突筋の持続的緊張→中枢の興奮と混乱→全身の筋緊張といった機序も考えられるということである。
④全身的体調の改善
当院に来院したある患者では、コリに当たると患者もツボに当たったことが納得できた。耳中に響いたり、上歯に響いたり、首から背中に響いたりするという。治療終了後、道を歩いていると、その10分後くらいすると、背中の血流がよくなったことを自覚でき、非常に気持ちよかったという。効果持続時間も数日以上で、これまで5年間受けてきた種々の治療中ベストだと述べた。
B.顎二腹筋
1.舌骨上筋としての顎二腹筋
開口時に働く舌骨上筋群(頭蓋と舌骨を連結し、口蓋底を形成、咀嚼運動を助ける作用)には、顎二腹筋、茎突舌骨筋、顎舌骨筋、オトガイ舌骨筋の4種ある。顎二腹筋は舌骨に繋がる細長い筋である。発生学的に前腹と後腹ば別々に進化したという特徴があり支配神経が異なる。
3.開口補助筋としての顎二腹筋
顎二腹筋は下顎を後に引きつける作用がある。頭位に応じて、顎の位置を変化させる作用があるので、上を向くと、自然に下顎は後に引っぱられる。この顎二腹筋の作用は、外側翼突筋の下顎頭を前方滑走させる作用と拮抗的なようだが、作用ベクトルが異なっているので、両筋が協調することで下顎の回転が可能になる。
「歯ぎしり」は強く歯を噛みしめると同時に、顎二腹筋の収縮による下顎を後に引きつける動作であり、歯ぎしりが常態化すると顎二腹筋の筋緊張性の痛みを生ずるようになる。歯ぎしりは顎関節の運動学的異常である以上に、ストレスなどの心因性要因が重要であって、舌骨上部の痛みは心因性要因と関係があることを知っておくべきである。
顎二腹筋の筋力低下時には、顎を奥に引っぱる力が不足するので、大きく開口できない。このような場合の理学検査法として、顎下に指を置き、顎先を喉側に押し、大きく開口できる、顎二腹筋前腹の筋力低下を疑う。
4.顎二腹筋の触診
顎下三角(下顎骨の下縁と顎二腹筋の前腹と後腹がつくる三角)中央の陥凹を押圧するとスジばりを感じる。これが顎二腹筋の前腹。舌骨と乳様突起の結んだ線上にあるのが顎二腹筋の後腹。顎二腹筋の緊張では筋硬結を触知でき、押圧で痛みを感じる。
4.顎二腹筋への適応と刺針
大きく開口できないが、顎下に指を置けば開口できるようになる場合、また下顎を手前に出すことはできるが十分に開口でいない場合、顎関節筋収縮力低下を示唆する。また嚥下動作が円滑にできない場合、顎関節収縮力低下を疑う。
1)顎二腹筋後腹に対する天容刺針
顎二腹筋が緊張すると、顎の下部分にコリや痛みを感じる。
位置:下顎角の後で胸鎖乳突筋の前縁に天容をとる。(下翳風とする見解もある)
刺針:胸鎖乳突筋前縁を通過し、顎二腹筋後腹に入れる。刺入は約2㎝。
2)顎二腹筋前腹に対する廉泉や舌根穴外方刺針
顎二腹筋後腹刺で効果不足の時に、圧痛硬結のある廉泉や舌根穴への刺針を追加する。顎二腹筋前腹の外方には顎舌骨筋がある。顎舌骨筋は嚥下運動の一環として後頭隆起を一時的に下ろす動作を行っている。
位置:舌骨との間に廉泉穴をとる。そのやや外方に顎二腹筋前腹を触れる。
刺針:顎二腹筋前腹に対して約2㎝刺入する。