これまでも何回か変形性股関節症の針灸について報告してきたが、その時々に興味をひく内容を書いたので、内容は断片的だった。今回は、とくに初学者を意識し、変股症の針灸治療というテーマで総括的に記すことにした。内容的には過去に報告したものと重複しているがご容赦願いたい。
1.変股症の症状
変股症の自覚痛は、股関節付近だけでなく、殿~下肢に広範に及んでいることが知れる。一見すると、坐骨神経痛+大腿神経痛のようである。
1)疼痛の進行
初期は運動後や長く歩いた後などに、股関節に限らず殿部や大腿部、膝上部などに鈍痛が出ることが多く、この痛みは数日すると治まる。
少し症状が進むと、動作開始時に股関節辺りに痛みを感じる「始動時痛」を感じるようになる。痛む箇所は次第に股関節周りに限定されてくる。
さらに進行すると歩行時に股関節の前後が痛む、途中休憩なしに歩けない、などの運動痛が出現。
最終的には安静にしていても痛むようになり、痛みの程度もだんだんと強くなる。
2)股関節の可動域制限
痛みが強くなるのにつれて、靴下が履きにくくなったり大きな段差が上りにくくなったりする。痛みから関節を動かさずにいると関節拘縮が起こり、深く屈げた足を開くなどが苦痛になる。
拘縮がひどくなると骨盤が傾いて悪い方の足が短くなったように感じられる。
3)跛行(片足をひきずって歩く)
痛い方の足をかばって歩こうとしたり、また痛みのために活動量が減って中殿筋などの筋力が衰えると悪い方の足をついたときに身体が傾くため、肩を揺らして足を引きずるような歩き方「跛行」になる。
2.股関節周辺の痛みとは
股関節に限らず、関節症では関節可動域は減少するが、関節そのものは痛まない。軟骨がすり減って、骨同士がぶつかるから痛むというのは間違い。変形性股関節症の痛みは、股関節周囲筋の筋膜痛によるものが中心である。
針灸は股関節周囲筋の痛みに対して有効であるが、変股症が進行すれば、筋に対する刺針効果も一過性に過ぎなくなる。これが針灸の守備範囲というものであろう。
股関節を動かす筋の種類別に整理すると以下のようになろう。
3.股関節の外転筋の痛み
主動作筋は中殿筋、他に小殿筋が重要である。大腿骨大転子を中心軸として、腸骨の上前腸骨棘と上後腸骨棘を結ぶ扇型部分に中殿筋があり、中殿筋の深層に小殿筋がある。股関節病変の場合、中殿筋や小殿筋が緊張することで、股関節を保護する役割がある。
これら二つの筋の緊張度をみるには、被験者を側臥位にし、上記扇型部分を、力を深部に到達させるように、ゆっくりと、深々と母指で押圧する力加減が重要である。筋緊張を把握できたら、筋緊張部分に針先が達する深さまで刺入する。
1)中殿筋の緊張の痛み
トラベルによれば、中殿筋の放散痛は殿部に限定される。
なお 変形性股関節症の者は、骨盤前傾位になっていることが多い。この理由は、骨盤前傾斜位になると中殿筋の筋活動が弱まるので、歩きやすくなることによる。中殿筋を緩めると、関節症変化は著明に改善する。
2)小殿筋の緊張と痛み
トラベルによれば、小殿筋前部線維緊張では、大腿外側痛が生じ、小殿筋後部線維緊張では大腿後側痛が生ずるという。このような患者の訴えを聴取することは 問題筋の所在をつきとめる参考となり、それは刺針深度を決定するのに役立つ。
4.大腿内側の痛み
1)長内転筋の痛み
中殿筋や小殿筋が股関節外転筋だが、長内転筋は股関節内転筋であって、中・小殿筋とは拮抗筋の関係にあるので、中・小殿筋に圧痛があれば、長内転筋も圧痛が出現しやすい。股関節の外転・外旋位(パトリックテストをするときの肢位)にすると内転筋群緊張していれば、とびだしてきて触知しやすくなる。とくに出てくるのが長内転筋である。股関節外転不十分な者に対して、陰廉や足五里から刺針して長内転筋に刺入すると、股関節外転の可動域が増す(たとえば、あぐらがかけるようになる)ことが多い。
2)腸骨筋の痛み
変股症患者の感じる疼痛部位は、外殿部とともに、鼠径部に見つかることが多い。鼠径部の圧痛部位を調べると、鼠径溝の外側1/3ぐらいの処(=外衝門)になる。位置的には腸腰筋でとくに腸骨筋にが問題となる。腸骨筋は腸骨稜内上縁を起始とし、股関節前部を縦走し、股関節前面を擦るように角度を変えて大腿骨小結節に付着する。したがって、変股症時には障害となりやすい。腸骨筋を弛める目的では、パトリックテストの肢位にて、この部に中国鍼針または2寸#4針で4~4㎝刺して骨(=股関節部)にぶつけ、その状態で、股関節屈伸の自動運動を行わせるとよい。
以下は参考までに記す。大腿基部内側で、縫工筋、長内転筋の内側縁、鼠径靱帯で囲まれた部を、スカルパ三角(=大腿三角)とよぶ。鼠径靱帯中央部(教科書の衝門位置。拍動触知する)を、大腿動・静脈が縦走し、その外方(外衝門:鼠径靱帯の外側1/3の処)を大腿神経が縦走する。スカルパ三角の深層にあるのが腸腰筋があり、さらに深部には大腿骨骨頭がある。
5.変形性股関節症の徒手整復的ストレッチ
歩行時痛ではなく、股関節可動域が減少したり、歩行がギクシャクしたりしている場合、あるいはパトリックテストで可動 域低下が顕著な場合、筋に対する刺針は有効性が低いが、徒手矯正的なストレッチが有効となる場合がある。
この方法は、術者の首と膝窩下をサラシなどで巻いてつなげ、術者が牽引する。外傷性股関節脱臼時のように、瞬間的に力を加えて、関節を元の位置に戻すというものでなく、ゆっくりと数秒間ずつ数回、大腿をストレッチする感じに行うと、事故もなく行えると思う。本法により、股関節の可動性が増加し、これまでできなかったパトリック肢位ができるようになったりする。
幅30㎝善後サラシで輪をつくるのだが、大きすぎても小さすぎてもうまくいかない。試行錯誤した結果、内周96㎝が妥当であることがわかった。
6.変形性股関節症の徒手整復的ストレッチの改良型
上記方法は、変股症にかなり有効で、筆者にとって変股症患者に対して必ず行う方法となっていた。しかしある日。この手技を実行する段になったが、輪にしたサラシが探しても見つからない時があり、とっさに思いついたのが次の方法である。この新しい方法の方が、股関節に作用する牽引力が強く、サラシも要らない。サラシは間もなく見つかったが、以降は次の方法をとるようになった。
①患者は左変形性股関節症。変股症側を術者側に向けての仰臥位とする。
②術者は患者の顔方向に立ち、術者の左脚をベッド上に乗せ、術者の大腿上面に患者の下腿(なるべく膝関節に近い側)を乗せる。
③術者の右手を患者の左上前腸骨棘部に置き、術者の左手を患者の下腿に置く。
④ベッドに載っている術者の左脚の足関節を伸展させる。さらに患者の下腿に乗っている左手に下向きの力を加える。この動作で、患者の左側骨盤は少々浮き上がる。
⑤上前腸骨棘を押さえている術者の右手は、この浮き上がるのを妨げるように、ベッドに向けて押しつけるように力を加える。
⑤この要領で、ゆっくりとした間欠的牽引を10回実施。