1.病名:網膜色素変性症による視力低下、視野狭窄、夜盲
2.現病歴
小5の時に上記診断がついた。小学生時代は何とか健常者と同じ学校に通学できた。以来、症状はゆっくり進行していたが最近は進行停止している。現在視力は0.06。
これまで日本各地の鍼灸院に通っている。最も効果があったのは中国の先生の治療だったが、その先生は鍼灸治療自体を引退してしまった。当針灸院にはブログを見て来院。職業は父親と共に自営業をしている。
3.網膜色素変性症の概略
眼科疾患の一つで、成人中途失明の3大原因の一つ。数千人に一人の頻度で起こるとされている。盲学校ではこの病気の生徒が一番多い。進行性眼科疾患で、遺伝的要因が大きい。
始めは桿体細胞(明暗に関係する細胞)が機能しなくなり、徐々に錐体細胞(視力や色に関係する細胞)も機能しなくなる。
まず夜盲→次に視野狭窄(横から飛び出してきた自転車を避けきれない、視野外にある茶椀をひっくりかえす)→発病20~30年後に失明
※改めて調査すると60歳以上で、7割の者が視力0.1以上を保っている。両眼とも失明(光も感じない)者は1%
4.網膜色素変性症に対する中国の鍼灸治療
1)昭和62年8月の新聞記事で、中国における網膜色素変性症の針灸治療の驚異的効果が紹介された。網膜色素変性症の患者が針や漢方薬による5ヵ月間の治療で、視力0.3が0.8となり、5°の求心性狭窄だった視野角が55°に広がったという。
2)これに対する日本医事新報(昭63.3.12)の質疑で次のような回答があった。中国における治療の前後にこの患者にあたった複数の医師によれば、「視力は治療前後で不変、治療後の検査で耳側に若干の視野拡大を認めた」とする報告もある。本疾患の本態が、視細胞外節に始まる網膜組織の変性、崩壊、消失であることを考えると、一旦変性に陥った細胞が再生することはありえず、視力が改善し視野が格段と拡大するような治療法は現在はありえない、と。
3)この日本医事新報の回答を読むと、回答者の見解が正しく、新聞記事の情報が眉唾ものに思えてくる。なぜなら網膜色素変性症は不治の病だというのが定説なのだから。
私もそのように認識し、だから中国の発表は信用できないのだと思った。しかし最近、当院通院中の網膜色素変性症の女性患者から、牟田口裕之著「暗闇からの生還 網膜色素変性症とたたかう」(自費出版)1991.11.19発行 をお借りできた。
非常に興味深い内容であり、中国での牟田口氏への治療が本当に効果があった事実だけでなく、社会的反響への戸惑いまで書かれている。すでに絶版でもあり、内容をかいつまんで紹介したい。
5.網膜色素変性症患者の中国での針治療内容 自費出版
「暗闇からの生還」難病網膜色素変性症とたたかう 牟田口裕之著
1)著者の牟田口浩之氏1931年生(書店主)は昭和51年の40才の時に自分の目の異常に気づいた。野球をしていて外野フライを捕ろうとした際、球が消えるように見えなくなった。市内の眼科を受診したところ、網膜色素変性症だと診断された。 眼底を覗くと網膜変性が分かるので病名を出すのに誤診はまず起こらないという。50才を過ぎたあたりから進行は加速した。起床時は眼がかすみ、しばらくは何も見えない状態になった。
58才の時には、視野は左右5°まで狭窄が進行(健常者は左右それぞれ90°、上下は60~70°)。視力は右0.06 左0.08となった。視野5°というのは、竹筒を覗いて見ているという情況で歩行も困難になる。定期的に通院している医師からは、もう来なくてよいという話になり、「外国に行っても同じことで、成果は出ていない。ただし中国のことは分からないが・・・」と発言した。これをきっかけとして中国で治療する道もあるかもしれないと思い、一縷の望みをつないだ。
2)牟田口氏は静岡県の沼津市に住んでいるが、中国の岳陽市と友好都市の関係を結んでいた。山岳陽市に児童遊園地をつくろうという計画があり、日本の担当者にお願いして中国の病院探しをお願いした。山岳陽市の市長の計らいで、長沙の張懐安医師の紹介して下さった。張先生は、長沙市湖南中医学院第一付属医院眼科医師で、中国国内でも眼科の中医として有名な先生だった。
1987年(昭和62年)、眼の治療のため退職し3月から張先生の治療を開始した。牟田口氏はホテルに長期宿泊し、先生方がホテルに往診治療をするという形となった。
滞在後1ヶ月半して視力や視野に好転の兆しが現れ、計5ヶ月間治療を継続した。
治療内容は、鍼灸、推拿、漢方薬、薬膳、太極拳の総合的ものだった。
5ヶ月間の経過のなかで治療穴は次のように変わっていった。
①1ヶ月目:曲池、足三里
②2ヶ月目より:陽谿、霊道、外関あるいは支溝、陰陵泉、三陰交、懸鐘、脾兪、腎兪、肝兪
5ヶ月間を通して行ったのは梅花針で以下の部位を軽く叩くこと
眼の周り、頭項部から耳にかけて両側に下る、頭頂部中央から下って風池を充分に叩く、背部両側を上から下へ
③帰国後の医師による治療穴:睛明、承泣、球後、百会、風池、天柱、頭維、合谷、光明
5ヶ月間の中医治療を受け、次のように変化した。
視力 左0.08 →0,4 右0.06→0.6
視野 5°→50~55°
なお5ヶ月間の費用は治療費と滞在費を含め、合計200万円だった。
3)帰国後の反響
帰国後1ヶ月、著者の変貌ぶりが周囲の人々から伝わり、記者会見を開くまでになった。それはテレビでも放映されたことで、その晩からら問い合わせの電話が殺到することとなった。それは私も中国で治療を受けてみたいというものもあったが、網膜色素変性症は治らないのだから、あなたの話は信じられないというものが大半だった。
その翌朝の朝刊には「中国の針と漢方薬で5ヶ月で回復」もいった記事が載った。あまりにも反響が大きく、詳しい話を聴きたい者が多いことから、沼津市民センターで3時間の説明会を開くことにした。すると800名の人が集まり会場に入りきれない情況にもなった。
本症が治る筈のない病気であって、もし改善したというのであれば、それは網膜色素変性症ではなかったのではないかと考えたのが東大病院の医師で、牟田口氏はわざわざ東大に出向き、何枚も眼底写真を撮られたあげく、やはり網膜色素変性症で間違いないことが判明した。
網膜色素変性症の日本人患者が改善したことが日本で知られるようになったことが中国にも伝わり、中国の病院にも千通を超えるほど届くようなった。観光ビザで中国の病院に直接出向く人も出てきた。日本人相手だとすると中国人側も治療費を値上げし、400万円,600万円、800万円とはね上がっていった。
医師が治らないといった病気が、中医治療をしたからといって治るわけがないといった日本の医師の感情。また中国側の日本人を手玉にとった商魂。この2つが絡み合い、事態はどうかるかと思えた。すると岡崎嘉平太氏(実業家で戦後全日空をはじめ多くの企業を造った)の事務所から連絡があった。この先生の力が絶大で、中国医師を招聘して講演会、日本から中国へ円滑に患者を送る手筈などについて協力する旨の返事を頂戴することができた。
4)中国に5ヶ月滞在するとなれば費用もかさんだものになる。もう少し安い費用で国内で治療ができないものだろうか。この切実な悩みに対して、群馬中国医療研究協会(略称は群馬中医研)が対応を示した。新しい診療病棟が完成し、これまで使っていた古い診療所を合宿治療所として転用できるようになった。20名定員で、網膜色素変性症患者を3ヶ月間ほど合宿させる。費用は色々含めても1日5千円を超えない。この施設の治療には、クルミ灸も行った。針がねでメガネの枠をつくり、クルミの殻をはめ込み、上から温灸モグサで温める、なおこのクルミの殻は、クコの実や菊花を浸した液に一昼夜つけ込んだもの。
5)中国に患者を送り続けて4年目。この間、個人的なツテを頼って行った者も含めると、すでに500名近い人数にのぼっている。
長沙の湖南中医学員第一附属医院から送られてきた28名分の治療成績は、視力・視野ともかなり改善2名、視力好転2名、視野好転6名。多少効果あった者は視力で7名、視野で9名だった。
岳陽中医医院の41名の治療成績は、総合有効率81%でそのうち顕著な有効率は51%だった。たとえば視野が50°以上に広がった者2名、30°以上に広がった者2名となった。
北京広安医院での治療成績は、治療終了した者全員71名にアンケート調査をした。回答者は54名(回収率76%)。その結果、視力改善は12名(22%)、視野改善は
17名(33%)。中国の病院も最初のうちは治療成績にばらつきがあったが、回を重ねるごとに治療成績も似たようになりどこも向上していた。
厳しくみて快方に向かっている人は30%を越え、進行が止まった人まで含めると50~60%が、「治療を受けてよかった」と感じている。
それでも日本の眼科医は、以前としてこの現実を認めようとしていない。
6.当院での鍼灸治療
1)患者の要望に応える
この患者は、いろいろな鍼灸治療を試みており、どの治療が最も効果的だったかを自分自身知っているので、どういう施術を希望するか聴取し、次の回答を得た。
①針は中国鍼のような太い針がよい
②眼窩内刺針で、とくに睛明あたりからズンとくるような響きが欲しい
③眼窩内刺針ではたまに眼瞼に内出血することがあるが、自分は針先が血管に当たったことが分かる。その感覚があった際、伝えるのでそれ以上深く入れないでほしい。
⑤眼窩内刺針以外には、頭頂部に針が欲しい。太陽・頭維・天柱・風池の刺針はとくに効果を感じない。
2)睛明付近眼窩内刺針
①仰臥位。眼窩の骨際と眼球の境に指を曲げて按圧しつつ、眼窩内縁の硬結を探る。発見した反応(睛明~上睛明部位となることが多い)点から2番針(ときに4番針)を用い、2本程度刺入、内部で緊張した筋内に針先を入れる。深度3㎝前後。左右計4本。30分置針。10分毎に眼窩内刺針を雀啄刺激。置針中、時々自分で黒目をぐるぐると動かす運動を行うよう指示。なお使用鍼では中国鍼も使ってみたが、刺痛が強いので和針に切り換えた。
睛明穴の深部には、上眼腋裂があり、ここから眼球を動かす役割のある神経が伸びている。睛明のすぐ上の上睛明穴の深部には視神経孔があり、これは視力そのものをつかさどる神経なので、視力と最も関係が深い。
②百会あたり数本30分置針。
③坐位にて上天柱、下風池手技針
④他の部位は施術せず
3)球後刺針
球後とは眼球の後側という意味で、文字通り眼窩下縁で、深部に下眼窩裂があるあたりを取穴する。ただし下眼窩裂は三叉神経第2枝が正円孔を出て眼窩下孔(=四白穴)に向かう途中にすぎないので、臨床的意味はあまりないと思われた。(四白である眼窩下孔を刺入点として外眼角方向に刺入すると、下眼窩裂に達するが)
むしろ眼球後部中央に広がる毛様体神経節に影響を与えているのではないだろうか。内眼病治療穴として中国で最も頻用されている。
4)治療効果と感想
睛明や上睛明には解剖学的な特異性があるとは思えないが、誰しも眼の疲れを感じた時、鼻根をつまむように内眼角を押圧する癖がある。この深部にあるのは内直筋で、眼球を内転させる機能、つまり左右の眼球を鼻側に寄せて近見視しすぎるデスクワークのような作業と関係しているのかもしれない。
上記の当院の治療を行うと、毎回施術後に視力向上するも、その効果は当日止まりといった状況である。ただしこの患者は、片道1時間の通院時間にもかかわらず、週1回ですでに6ヶ月通院を続けていることを勘案すると、この治療に何らかの長所があると感じているらしい。
※眼窩内刺針については、20210年1月8日発表「眼窩内刺針が刺激対象とするもの ver.2.2」ブログ参照のこと。