Quantcast
Channel: AN現代針灸治療
Viewing all articles
Browse latest Browse all 655

澤田健「十二原之表」の解説

$
0
0

ko1.代田文誌、「十二原之表」との出会い

上表左の一文:
上表は、『鍼灸治療基礎学』中のもの。<毎朝六十六難の図に対し、原気の流行・衛栄の往来を黙座省察することで身中の一太極を知り、自らを万象にぴったりと符号する態度を貫き通す>広岡蘇仙の言(『難経鉄鑑』の著者)

 

代田文誌が長野で鍼灸治療を開始して間もない頃のこと、東京市雑司ヶ谷の澤田健の治療院に初めて見学に行った(満27才)。『鍼灸神髄』にはその時の状況が書かれている。治療室に入ってまず目に入ったのは、「五臓之色体表」と、「十二原之表」だった。十二原の表は初めて目にするものだったので、「どうか御説明を」と御願いしたが、「簡単に説明できるものではない。毎日見ていればよい。そのうちにわかってくる」と叱咤されてしまった。「五臓之色体表」と「十二原之表」は、巻紙に毛筆で記し、記念の書として何人かの弟子に贈ったようである。私も現物を見せてもらったが、気合いに満ちた見事な筆使いであった。
     
 沢田流太極療法 (代田文誌の鍼灸姿勢その2 ) Ver.1.5  2021-01-08 
https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/90e2d4cb08485c0c8c12a8780dd7d6e6

 

2.「十二原之表」の解説

「十二原之表」の説明は、結局『鍼灸神髄』の中で示さなかったが、その13年後に著した『鍼灸治療基礎学』で説明している。この「十二原之表」は難経六十六難の内容(十に経絡それぞれの原穴を明記)を示すものだが、それに澤田流独自の考え方も表している。『基礎学』の説明にしても難解なので、ここでは平易に説明したい。

<要点>
①十二原穴の部位は、三焦の気が運行して出入りし、留まる部位でもある。
ゆえに五臓六腑に病あれば、所属する経脈の原穴を選穴する。

②原気には、先天の原気と後天の原気の2種類ある。先天の原気とは生まれながらにして体がもっている精気である。後天の原気とは宗気(酸素)・栄気(飲食物)・衛気(小腸の乳糜管にて食物中の栄養素)を介して、いずれも体内に入る精気である。
 
※上の衛気の<小腸の乳糜管にて食物中の脂肪分>との説明は唐突のように見受けられる。これは三谷公器著「三焦論」の影響を受けている(詳細後述)。若かりし頃の澤田は三焦の正体に悩んでいたが、「三焦論」の読後、考え方が大いに進歩したと述べた。

③後天の原気である宗気・栄気・衛気を取り込んで生化学反応を起こさせる反応炉であって、換言すれば<内部環境>の保全が三焦の役割である。三焦とは熱で三焦とは人体の3つの熱源(=体温発生源)のこと。先天の原気と併せて人間の生命活動を生み出している。この三焦を特に重視したことが澤田健太極療法の特徴である。これは生理学でいう恒温動物の深部温度のことで、内部環境保持のため一定温度(ヒトでは37℃)に保たれていことが生理的になる。このような環境下で、初めて五臓六腑を正常に機能させることができる。

④従って治療に際しては、まず三焦に流入する宗気・栄気・衛気の状況を是正することが第一で、次に五臓六腑の十二原穴の是正という順番になる。三焦経の原穴である陽池の灸を重視したのは、三焦を整える意味からである。

⑤この原気の根は臍下丹田(臍下3寸で関元穴)の腎間の動悸(腹大動脈の拍動)でみることができる。すなわち臍下丹田は原穴の元締めに相当する。腎間の動悸で、人間の原気の虚実をうかがう。たとえ重病と思えても臍下丹田の動悸がしっかりしていれば治療しやすい、といった判断をする。


3.『解体発蒙』にみる三焦論          

三谷公器は、西洋医学の内容を中国医学で折衷しようと試みた江戸時代後期の医師で、杉田玄白ら著『解体新書』出版の40年後に『解体発蒙』を出版した。屍体解剖を通じて、小腸壁から上に伸びる多数の乳糜管を観察、乳糜管が集まってリンパ管に吸収され胸管中を流れる胸管になるのを観察した。下の図は内臓を背中側から観たもので、乳糜管の走行が見事に描かれている。三谷はこの中を流れる液体を栄液と訳し、チノモト(血の素)とした。チノモトは肺気を受けて血液とするとした。
この乳糜管内で、乳糜と水分が混じり温められて上昇することは、生(せい)石灰に水を注ぐと、温度上昇するようなものであろうと記している。ちなみにこの化学変化による温度上昇は、日本酒や弁当を温めることに利用されている。

『解体発蒙』の三焦論 に啓発された澤田健は、明治5年に復刻版を完成させた。その行動力には舌を巻く。  

 

4.澤田健と難経の取捨選択

澤田健の治療は、五臓色体表と、難経六十六難をベースとしたが、後に出現した経絡治療派のように難經六十九難(子母補瀉論)や難經七十五難(相剋選穴論)は治療に利用しなかった。澤田健は脈診も遅速虚実程度であって、三部九候の脈は治療に取り入れなかった。代田文誌も脈診は行うことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 655

Trending Articles