改訂版の学校協会編「経絡経穴学」では「外膝眼」の位置を「犢鼻」としている。つまり外膝眼と犢鼻は同じ部位となってしまった。日本経穴委員会が制定したのだから、歴史的経緯としてはそうなるのだろうが、既存の鍼灸有資格者の不評をかっている。
膝蓋骨の左右下縁には、内膝眼と外膝眼があり、そのすぐ下方の膝蓋靱帯上に犢鼻をとる。この3つのツボがセットとなって仔牛の目と鼻になるという、興味深い例えが失われたらである。わが道を歩む鍼灸有資格者にとって、このような変更は無視すればよいだけの話である。
話は変わり、江戸時代は、褌のことを犢鼻褌とよぶことが多かったということを知った。
ちなみにわが国で褌をするようになったのは江戸時代中期からである。褌は男女とも使われたが、女性では褌に代わり襦袢を着ることもあった。
褌は、江戸の男にとって、衣類の一つであって、暑い季節には褌一本で街を歩く者も普通にいたが、褌をつけないで裸のままでいることは格好悪いという認識だった。
ところで褌を犢鼻褌とよんだ理由は、いくら調べても分からなかったので、空想してみた。犢鼻褌とは犢鼻を守る褌ということで、犢鼻が非常に重要な部分であることが知れる。
褌はなぜ衣+軍となるのかは調べて理解することができた。軍は車+勹(つつむ)からなり、指揮官が乗る戦闘用馬車と、その周りを固める歩兵集団を意味していた。
これが転じて、褌は重要な部分(陰部)を防御する衣としての意味があると推測した。