1.痛風の概念
高尿酸血症による関節痛。血液に溶けきれない尿酸が尿酸塩となり関節滑膜と腎臓に沈着蓄積していく。これが痛風の 下地になる。
ある時、衝撃を受けたり急に尿酸値が下がったりして尿酸塩の結晶が剥がれ落ちると、白血球はこれを異物と認識して貪食する。この時炎症物質を大量に放出して、突然関節部の激痛を生ずる。
進行すれば結晶化した尿酸が腎臓の組織にも沈着し、腎不全(血液から老廃物をろ過する能力が低下)を起こし小便が出にくくなる。40~50才男性に多い。
尿酸はプリン体の最終分解物である。プリン体は肉類に多く含まれるが、プリン体自体は殆ど利用されることなく尿酸となる。プリン体を排泄するには尿酸として排泄するしかないが、尿細管で90%は再吸収される。ゆえに血中に蓄積されやすい。他の哺乳類では尿酸をさらに簡単な物質にして尿から排泄できる。プリン体過多は、プリン体を多く含む飮食物の過剰摂取にもよるが、体内でアミノ酸から合 成された方が多い。内因性にはメタボリック症候群が関係している。
2.痛風発作
痛風発作は、第1中足指節関節が全体の7割を占める。典型パターンは、ある日突然、足母趾MP関節が赤く腫れて激烈な痛みが生ずるというもの。ほかに距腿・膝・アキレス腱などの下半身に発症するものが9割。
下半身の方が体温が低いことや血流が滞る傾向が下半身に多いことによる。痛みは1週間から10日後に次第に自然軽快するが、多くの場合1年以内にまた同じような発作がおこる。
3.右膝痛が痛風由来だった症例(52才男性)植木職
3日前から急に、右膝を90度以上の屈曲ができなくなった。思い当たる原因はない。 膝関節のロッキングがあるので半月板損傷を疑ったが、受傷動機がはっきりしないので本診断には確信がなかった。膝周囲に目立った圧痛点もなかったが、軽く刺針して治療を終えた。治療直後効果はなかった。
本患者は当院で治療成功しなかったので、翌日整形受診して「痛風」との診断をうけ、薬物療法を開始した。7日後当院再診。内服治療開始して数日~1週間で、ほぼ痛み消失したという。本例の膝痛が痛風だったとは驚いた。なお症例は、薬物で痛みを止めたのではなく自然緩解だったかもしれない。
痛風というと足母趾MP関節の赤く腫れ上がった激痛というイメージが強かったが、本例は可動域制限強いが熱感・腫脹とも見いだせなかった。こんな例もあるのかと驚いた。
4.痛風発作の灸治療
局所が熱をもって痛む場合、局所から刺絡。足母趾MP関節痛の場合、大敦施灸というのが定石。
出来るだけ患部を高い位置に保ちつつ患部を冷やす。発作時の薬物療養は、まずは非ステロイド系消炎鎮痛剤(ボルタ レン、ロキソニンなど)を用いて鎮痛させることが先決。「コルヒチン」には白血球が痛風発作の発生部位に働いた時に出るブロスタグランジンを抑制する働きがある。関節痛を感じ始めたときに飲めば、激痛を未然に防げる。本治療法としては尿酸値のコントロールが必要。
5.ヘルマン・ブショフが中世ヨーロッパで紹介した痛風の灸
ヨーロッパに灸治療が最初に紹介されたのが、痛風に対してだった。中世のヨーロッパ貴族に痛風が多かったのは、美食過多に要因があったらしい。利尿用のある緑茶を多量に摂取して大量に排尿することが痛風予防になることが知られていた。小便が多量に出れば、大量の尿酸が体に排泄さる事にもつながるからだろう。
バタヴィア(インドネシアの首都ジャカルタのオランダ植民地時代の名称)在住のオランダ人牧師、ヘルマン・ブショフ Herman Busschof は長い間足部痛風に苦しんでいた。現地のヨーロッパ人医師が頼りにならなかったので東南アジア出身の女医の灸治療を受けてみた。女医は彼の脚と膝に半時間の間にもぐさの小塊を約20個置いた。効果は彼の期待をはるかに上回った。すでに治療の最中に、それまでは一晩も休めなかったブショフが気持ちよく眠り込んでしまい、24時間後に目覚めたとき、膝と脚はまだ腫れていたが発作は治まり、何日もしないうちに仕事に戻ることができたという。
このヘルマン・ブジョフの灸に関する1675年の報告が、灸に関するヨーロッパ初の出版であった。
当時、アジアには「痛風」という概念はなかったので、女医は脚気と診断して施灸治療を行ったとする見解がある。一方、「脚気」はヨーロッパにない疾患だった。
わが国では 心不全で下肢がむくみ、末梢神経障害で足がしびれることから「脚気」と呼ばれた。( 心臓機能の低下・不全を併発したときは「脚気衝心」と呼ばれる重症だった)。
脚気の鍼灸治療