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令和2年度の実技講習会、開催延期のお知らせ  続報

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以下は本年4月23日に投稿したブログ内容である。

 

令和2年の実技講習会の予定は、当初は6月からスタートする予定で、そのためには4月からその旨を本ブログで公示するつもりでした。ちなみに概要は次の通りでした。

◎奮起の会セレクション
本勉強会指導スタッフと過去参加者が、得意とする内容をピックアップ 
1)顔面麻痺の鍼灸実技(講師:吉村英)
三叉神経痛、顔面痙攣の鍼灸実技(講師:似田敦)
2)美容針最初の一歩(講師:小村はるみ)
3)ⅠaⅠb針の治療効果を高めるリハの技法(講師:小野寺文人)

◎第5期 鍼灸奮起の会(講師:似田敦)
  少人数で、整形・ペイン疾患の現代鍼灸治療の考え方と実技指導のシリーズ
    腰痛、腰下肢痛、膝痛、頸痛、肩関節痛、上肢症状、下肢症状


しかし予想外にも、新型コロナウィルスの感染問題が発生したため、予定を延期せざるを得なくなりました。感染が収束した時点で、講習会の日程を改めてご案内します。

ただし「現代鍼灸臨床論Ⅰ、Ⅱ」のPDF版は、継続販売中です。ちなみにⅠ(鍼灸、ペインクリニック領域の針灸治療)は5000円、Ⅱ(内科、産婦人科、泌尿器科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科、その他の領域の鍼灸)は6000円。ⅠⅡ同時購入は併せて10,000円です。
上記テキストはCDにおさめられていますが、現代鍼灸臨床論Ⅰ、Ⅱの他に、<医語呂1100>、<經絡経穴学サブテキスト>、<中医学的テキスト>を同梱しています。いずれも過去に私が鍼灸学生用教材としてまとめたオリジナルなものです。

 

 令和2年4月の頃は、遅くとも9月になればコロナ騒ぎは鎮静化され、現代鍼灸実技講習会<鍼灸奮起の会>再開もできるものと考えていたが、本日8月19日になってもコロナ衰退の見通しは立たっていない。おそらく今年いっぱいは無理かもしれない。ということで、現段階で、<鍼灸奮起の会>は来年まで延期ということにしたい。

コロナ不況も長くなった。当院でも私の個人への給付金として10万円、あんご鍼灸院持続化給付金として100万円を受領して得した感じもしたが、本年3月から来院者動数が減少し、それは8月になった今日でも続いている。もしかしたら患者動向の潮目が変わったのかも知れない。報道によれば本年3月から6月のGNPを年率に換算すると、昨年より27.3%減少する見通しだという。日本人はまた一段と貧乏になっているのだ。

コロナの影響で収入減になった者に対して、各市町村では国民健康保険料と介護保険料の減免うをするところが多くなった。私の住む国立市でも減免制度が実施された。当方はそのことを8月になって知ったので、急いで減免制度に申し込み、国民健康保険料を約20万円節税との回答を得た。介護保険料については回答はまだ来ない。

国民健康保険料の減免については、自らが役所に申請しないと対象にならないことに注意されたい。対象となる条件は、各市町村により異なるのかもしれないが、当国立市の場合、見込み収入が前年比30%以上減になる見込みとあった。介護保険料減免については65才以上が適用になる。

 

 


代田文誌のご家族集合写真(1962年)

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長野市のご自宅居間にて(1962年) モノクロ写真を疑似カラーに変換


代田泰彦氏(文誌先生の次男)から、暑中見舞いのハガキが届いた。コロナのため巣籠もり状態で、旧い写真を整理していたら、今まで忘れていた代田文誌一家の家族写真が出てきたとのこと。それをわざわざ送って下さった。

この代田家の御家族集合写真は1962年、文誌が長野市に住んでいた頃のもので、文彦先生が二十二歳の誕生日記念ということで座敷で撮影されたという。学校が夏休みということもあって、全員が集まれたのだろう。みなくつろいだ表情をしているのが印象的。
この5年後、文誌は東京の井の頭公園傍に転居し、67才にして新たに治療院を開くことになる。そのバイタリティに驚かされる。

向かって写真左側から、代田文誌(62才)、泰彦(次男20才)、文彦(長男22才)、千恵子(次女)、やゑ(夫人)、宏子(長女)。文誌先生はこの当時、長野県鍼灸師会会長をしていた。泰彦氏は早稲田大学政経学生、文彦氏は信大医学部学生。

代田文誌先生の知られざる話 Ver.1.5

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代田文誌先生(以下敬称略)の年譜を調べていると、これまでほとんど知られていない事実が分かったので、ここに紹介する。(平成25年3月24日)。
追伸:、代田泰彦先生から、東城邱著、耕雲紀行の背景(耕雲紀行 和合恒男遺稿刊行会編)という資料コピーを頂戴した。代田文誌先生と和合恒男の関係が記録されているので、部分的改訂版として加筆することにした。(平成25年5月19日)


1.代田文誌が針灸に目覚めるきっかけ

1)著書「療病神髄」

代田文彦先生(故)の奥様、瑛子先生から、文彦先生のお父様である代田文誌先生(以下敬称略)著による「療病神髄」(絶版)という本を頂戴した。この著作は、昭和9年20才の時、文誌が喀血して以来、27、8才頃までの療病中の随筆集である。序文には人生の問題で悩みつつ、病みつつも人生を生かす道を発見した。(中略)神のこころを知り得たのである‥‥と書かれている。代田文誌は、法華経の信者となった。医師は、治せない患者を放置する。しかし病は治らなくても幸せになる方法があることを発見した、との記載がある。


2)代田安吉(父)の精神異常と按摩

本書の中で「体と体が触れあうことが精神と精神の触れ合う始めとなる」との記載後、「(大正14年頃)私の父の発狂の看病をした時、何としても父の病をなおそうと苦心し、朝夕ねてもさめてこれをのみ思い念じる‥‥1日4時間位按むことは珍し敷くなかった」とくだりを見つけ、非常に驚いた。お父様が発狂したとは、どういう意味だろうか。さっそく代田文誌先生のご子息であり、代田文彦先生の弟君の代田泰彦先生にメールで質問してみた。以下は、泰彦先生の返事である。

「父の追憶」(昭和6年2月下旬)と題した文誌の手書きの文書が残っている。これによると代田安吉(父)は大変元気であったが、「大正14年の春、製糸工場統一問題で考えすぎた結果、発狂してよりはずっと体が弱くなりました。発狂してから7ヶ月ばかり床についていましたがある朝忽然として夢の覚めたように良くなり、再び元の父上にかえり‥‥」元気になったらしい。この期間は、おそらく鬱病を発していたと推測される、とある。発狂したと書いているが、大正14年頃の文誌の医学知識は未熟なものであったと推測され、その後の昭和6年に、回顧して鬱病だったと訂正しているのだろう。泰彦先生自身は、強迫神経症だったのではないかと思っているらしい。


3)代田文誌の針灸への契機

「父の追憶」の文書は続く。「お父様の精神異常を治すため、飯田病院の神経科に連れて行ったり、岡崎にある寺に<狂>を治す名灸があると聞いて兄弟3人で岡崎に行ったりしているが、一番多くの努力を費やしたのは、文誌が自ら主として按摩をした。飯田の古本屋で“handbook of massage” というオックスフォード大学から出版された英語の本を買ってきて、辞書と首っ引きでこれを読み按摩の原理を知った」と書いてある。また「和漢三才図會の経絡の部の発狂に効くというツボに灸を据えたりし、これが後に鍼灸治療に携わる契機になっている」と書いている。(安吉は昭和2年に奥様の<やすえ>に先立たれた後、次第に元気がなくなり、認知症も進行。昭和5年に老衰で死去した)


2.沢田健先生の治療見学していた頃と沢田健先生の死後

「鍼灸真髄」によれば、代田文誌が沢田健先生の治療を見学したのは、昭和2年6月10日から昭和4年12月16日までの5回(実質50日間程度。だたし正確な日数は記載がない)で、その後も、昭和5年、9年、10年、11年、12年に各1日ずつ見学した。

では、見学日以外には、何をしていたのだろうか。年譜をみると昭和6年から3年間、長野県日赤病院の研究生となっていたことを知るが、それ以外にも和合恒男(詳細後述)とともに、現在の安曇野市に瑞穂精舎(みずほしょうじゃ)を設立し、その指導員となった。
なお昭和12年(37才)に、この時の生徒の一人で、「やゑ」という女性と結婚した。
昭和13年、沢田健は病死。文誌の生活は下に述べるように瑞穂精舎設立と運営の協力者という立場であったが、茨城県の内原訓練所における施灸指導の要望の声もあがった。ただしこの当時、代田文誌は非常に多忙で、実際に内原訓練所に出向いたのは数回程度であった。 


1)瑞穂精舎時代

昭和の初期、長野市に和合恒男という郷土の士がいた。郷土の士として人を相手にせず、天を相手とする百姓生活を通して、心と体を磨きあげようとする求道者であり、東大卒業後、その実践の場として昭和3年に現在の松本市に財団法人、瑞穂精舎を設立した。その協力者となったのが代田文誌だった。瑞穂精舎との命名は、法華経の精神を生かし、瑞穂の国の理想を実現するための精神の道場という意味。
朝五時に起床、午前中は授業、昼から夕までは農業実習、午後9時就寝という厳しいものだったが、家庭的な温かさがあったという。
この瑞穂精舎は修業の一環として行脚(仏法を広めるため徒歩で各地を巡る)が実施された。とくに満朝(満州と朝鮮)行脚は修業の総仕上げとしての重大な意味があった。

この時期、政府は満州や蒙古に3万人の開拓農民を送る計画をたてた。その移民準備のため、3~6ヶ月程度の訓練施設(後に2ヶ月間に短縮)として、満蒙開拓少年義勇軍訓練所として15才~19才の青少年が集う施設を全国各地につくった。瑞穂精舎の人員も、指導者として満蒙開拓少年義勇軍訓練所に送られた。
※和合恒男は昭和10年、農本政治をかかげ積極的に政治活動を行い、長野県会議員に当選。しかし当選直後から肺結核を発病。昭和16年、40才にて死去。


2)満蒙開拓少年義勇軍内原訓練所時代

代田文誌は、昭和13年(38才)より瑞穂精舎の流れで茨城県にある満蒙開拓少年義勇軍内原訓練所にて灸療所と開拓医学指導の手伝いをした。ただし代田文誌は多忙のため顧問という立場(他に顧問は田中恭平氏)となり、齋藤誠一という青年鍼灸師が訓練生に灸することになった。施灸部位は、左右足三里・大椎・左右風門の計6カ所。義勇軍に参加する者全員に2ヶ月間、毎日の日課施灸し続けたというから、さぞかし多忙なことだっただろう。灸治専用として、兵舎内に一棟「一気寮」と名付けられた建物が建てられたことは、灸治が健康増進に役立つことを当時の政府が認識した現れであり、この集団施灸が、国家プロジェクトの一貫だったことが理解される。

この「一気寮」については、山下仁氏の調査報告が発表され、詳細な内容が明らかになった。内原訓練所には茨城県内で2番目に大きな病院(常勤医師12名,職員合計86名)もあった。灸を希望する者は当初は少なかったが次第に増加し、患者の自由選択にまかせたところ、2/3は一気寮に集まったとのことだった。そうした一因もあって、病院から怨まれるくらいだったと代田文誌が記している。
山下仁:満蒙開拓少年義勇軍内原訓練所の灸療所「一気寮」に関する報告、日本東洋医学雑誌、Vol.71 No.3 251-261,2020


日本内地で訓練された農民は、満州や蒙古に渡り、農業開拓に従事した。代田文誌も、内原訓練所から満州に向かう1200名の青少年義勇軍の出発を見送った機会があることを記している(「満蒙開拓青少年義勇軍と其灸」漢方と漢薬、第5巻第8号、昭和13年7月1日)。全員皆国防服に身を固め、戦闘帽をかぶり、リュックサックを背負い、手に手に鍬の柄を握りしめて整列し‥‥という記載がみられる。

大いなる希望および苦難を覚悟した彼らでああったが、昭和20年の日本敗戦で、ソ連軍が満州に急に侵攻したため、逃避行せざるを得なかった。逃げ切れず捕虜になったり殺された者も多数いた(この辺りの話は、山崎豊子「大地の子」が有名である)。

代田文誌には兄弟がいるが、次男夫婦も満州に渡った。終戦をきっかけとして、他の者同様、非常な苦労をしたらしい。文誌にとっては生涯この問題は痛恨の出来事だったに違いない。代田文誌の幾冊もの著書の後に載せられた略歴には、満蒙開拓少年義勇軍内原訓練所のことは省略されている。

※平成25年4月、ついに満蒙開拓平和記念館が完成した。所在地は長野県阿智村711-10

 

グロインペイン症候群(鼠径部痛症候群)の針灸治療 Ver.1.3

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鼠蹊部周辺に出現する慢性障害であり、本当の原因を特定しにくいためこのような鼠蹊部周辺 に出現する痛みを症候群とした呼名をグロインペイン症候群(groin pain syndrome)とよぶ。病態は多岐にわたるが、これまで私が経験したもの(すなわち針灸の場で遭遇しやすいだろうと思える)病態を中心に整理する。
鼠径部痛を生じている局所は、他部位の可動域制限や機能障害を代償した結果でのこともあり、緊張が高い鼠蹊部の筋への刺針刺激やストレッチだけでは根本的な解決にはならないことも多い。

1.大腿内転筋群への治療

大腿内転筋群は、恥骨筋・長内転筋・短内転筋・大内転筋・薄筋の5筋で構成されている。この中で、とくに特徴ある筋は、大内転筋と長内転筋である。

大腿内側を押圧して圧痛を調べる際、仰臥位で実施すると圧痛を逃がしやすい。筆者は患側下の側腹位(=シムズポジション)にして、大腿内側を直角に押圧して調べている。このうすると圧痛が発見しやすく、発見した圧痛を逃がさない。

1)大内転筋
大腿内転筋として最も強大。局所治療点は陰包あたりになる。


2)長内転筋

長内転筋は股関節内転筋の主動作筋で恥骨外端から起始している。パトリックテストの肢位をすると、隆起して摘みやすくなる。長内転筋は、長坐位開脚で上体を前屈させる柔軟体操で、いわゆる身体の硬い人は大腿内側基部に長内転筋の伸張が妨げられ、痛みを感じて十分に前屈できない。長内転気の圧痛点探索は、患側を下にした側腹位で行うと、圧痛点が把握しやすいようだ。圧痛点刺針して、股関節の内転・外転の自動運動を行わせる。局所治療点は足五里や陰廉あたりになる。股関節外転不十分な者に対して、陰廉や足五里から刺針して長内転筋を弛めると、外転角が増す(あぐら姿勢ができるようになる)ことが多い。

2.腸骨筋  

変股症による鼠径部痛は、鼠径靱帯外1/3の処(=外衝門)に圧痛をみることが多い。この部の圧痛は、短縮した腸骨筋の伸張による圧痛を意味する。腸骨筋は腸骨稜内面上部を起始とし、関節前面に接触、そして股関節を軸に、鋭く後下方にカーブして小転子に大腿骨小転子に停止しているので、股関節と腸骨筋の間で摩擦されて炎症や癒着が起こりやすい。
   
鼠径痛時、パトリックテスト肢位をさせ、鼠径溝外方で上前腸骨棘内縁部を深々と押圧して腸骨筋の圧痛や股関節前面の圧痛を調べる。鼠径部から腸骨筋に刺入するには、股関節にぶつかるまで深刺し、癒着を剥がすように局麻剤を注入するが、かなり力を入れないと剥がれなかった(木村裕明医師)という。このブロックを腸腰筋膜下ブロックと称するので、針治療では腸腰筋膜下刺とよぶことになるだろう。2寸#4~#8で直刺すると硬い筋にぶつかるが、その筋中に刺入する。

 

3.股関節関節裂隙

変形性股関節症の大部分は、側殿部の中・小殿筋に出現する。それは歩行時は必ず中・小殿活動が伴うからである。このような場合、側臥位で腸骨稜の下方1~2寸の部にある中・小殿筋筋緊張を緩める針が効くことが多い。ある患者では、鼠径溝外方の腸骨筋部の痛みを訴えていたが、次に記す刺針でこの痛みは解消された例も経験している。

立位で上半身の体重が骨盤の股関節臼蓋に下向きに負荷が加わり、大腿骨頭との連結部分の関節包には慢性的な張力が作用しているので、治療点は関節包上部になる。患側上に側臥し、3寸#8針で、大転子から上方3~4㎝(一横指半)の部から直刺深刺する。同じ要領で1㎝刻みで3本程度刺入した方が効果が確実になる。7~8㎝入れると針響が得られる。5~15分置針後抜針すると、股関節ROM拡大している場合が多い。

4.原因不明だったグロインペインの経験

50代の女性。数週間前から右鼠径部痛が立ったり歩いたりすると痛むので歩行困難。これまで医療的措置を受けていない。鼠径部、下腹部、大腿前面、大腿内側を触診するも筋コリ部を発見できず、従って病態把握もできなかった。何もしない訳にもいかないので、患者の訴える痛み部位に刺針しパルス通電をするも、無効。3日に再診し、症状に変化ないとのこと。陰部大腿神経、腸骨鼠径神経の支配領域でもあるので、これら神経枝の元である腰神経叢刺刺針(外志室刺針)を追加するも、やはり症状に変化なかった。グロインペイン治療は難しい場合があるというが、改めてその事実を思い知らされた。
鍼灸無効ということで、本患者は、3回目の予約をキャンセルした。整形外科訪問し、間板ヘルニアだと指摘されたという。本例が椎間板ヘルニア由来の鼠径部痛とは納得いかなかったが、「その治療をしばらく続けてみて下さいという」対応で終えた。

 

大腿内側痛に対して、閉鎖神経刺激刺針が効果的だった例(57才、男性)

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私は約2年前、当ブログで<下肢内側の病の鍼>の現代鍼灸からの検討(2018-08-14)を発表している。
これは閉鎖神経痛にいての知見をまとめたものを含むが、この度これに該当する症例を経験したので報告する。

 

主訴:左大腿内側痛
現病歴:
元来健康だったが、2週間前、自宅でエアロバイクのペダル漕ぎトレーニングをやり過ぎたせいか、左大腿内側に痛みを感じるようになった。私のブログ<グロインペインの鍼灸治療>を読み、これかもしれないと思って当院来院した。職業柄、日中は立ち仕事をしている。
所見:左大腿内転筋群と内側広筋上に圧痛あり。同範囲の撮痛も陽性。鼠径部に圧痛なし。
      立位で腱側の下肢を床から挙げ、患側のみで立つと、ふらつき、膝折れする。
アセスメント:
 ①鼠径部周囲に圧痛がないのことで、グロインペインを否定。
 ②圧痛は左大腿内側中央に広がる→大腿内転筋群の筋膜症。   
   治療は、患側下にしたシムズ肢位で、大腿内側圧痛点数カ所に置針5分。
  (この肢位にすると大腿内側圧痛を把握しやすい)
  ③立位患側片足立ち困難→ シムズ肢位で左大腿四頭筋とくに内側広筋の筋膜症。
  症状をもたらしているのは大腿内転筋だが、内側広筋まで影響を受けていることによるのだろう。
    治療は、仰臥位股関節屈曲かつ膝関節屈曲位置にして四頭筋伸張肢位にて血海・下血海に置針。 (この肢位で四頭筋刺激するとⅠb抑制され、反射的に筋弛緩できる)
治療効果:
 治療直後は、いくらか痛み減少した程度。3日後の再診時もいくらか症状軽くなった程度。

第四診
  大腿内転筋と内側広筋への刺針は前回通り。  
 大腿内側にテニスラケット状に知覚過敏(=撮痛陽性)があること、大腿内転筋群は閉鎖神経支配なことから、閉鎖神経の問題を考えた。閉鎖神経は腰神経叢から起こり、大腿内転筋を運動支配するとともに、大腿内側の皮膚知覚を支配している。今回の症状は、ペダル漕ぎ運動で内股に刺激を与えすぎたせいか。
 閉鎖神経は、腰神経叢の分枝なので腰神経叢刺激として外志室刺針を実施。
 (閉鎖神経は閉鎖孔を貫通しているが、このあたりの異常の有無は確かめようがなく、刺針も技術的に困難)
 この結果、症状は半分以下となっている。
局所である大腿内側の大腿内転筋刺激が効いたのか、大腿内側の皮膚刺激が効いたのか判然としないが、大きなカテゴリーでは閉鎖神経症状になっている。
 
※閉鎖神経の筋支配ゴロ:「閉鎖病棟、大胆!町内で外泊」
閉鎖病棟(閉鎖神経)、大(大内転筋)胆(短内転筋)、町内(長内転筋)で外(外閉鎖筋)泊(薄筋)

 

陰部神経刺針の二つの目標とその方法

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1.陰部神経の解剖・生理
   
陰部神経叢は第2仙骨神経~第4仙骨神経の前枝から構成されており、尾骨に向かって斜めに下る。梨状筋下孔より骨盤を出てすぐ、仙棘靭帯と仙結節靭帯の間隙(小坐骨孔)から再び骨盤  内に入る。そして直腸肛門、外生殖器(男女とも)周囲に分布し、これらの筋運動と皮膚知覚を支配している。
  陰部神経の分枝としては次のものがある。会陰神経、後陰茎神経、後陰唇神経、 陰茎背神経、陰核背神経、下直腸神経、骨盤内臓神経。

肛門においては、肛門挙筋と外肛門括約筋の運動を支配しており畜便・畜尿時に漏れを防ぐ役 割と、排便・排尿時に意志により、大小便排出を我慢する役割がある。また生殖器を支配してい

 

2.陰部神経痛の原因と症状
   
原因:長く座っている。座っている姿勢が悪い。自転車によく乗る。出産。お尻を強打。
症状:慢性的な肛門の痛み、肛門の奥の痛み、会陰の痛み、性器の痛み、骨盤の痛み(尾骨も     含む)

3.陰部神経の刺針点

患側上にした側腹位。上後腸骨棘と座骨結節を結んだ中点をとり、その一横指下方に陰部神経刺激点をとる(三等分して、坐骨結節側から1/3とする方法もある)。刺針方向は刺激目標により違ってくる。陰部神経は、仙結節靭帯と仙棘靭帯の間隙を通過する部で神経絞扼障害が起きやすい。
  
1)仙骨から出てくる部位で仙棘靭帯への刺針

仙棘靭帯に刺入するには、上述の陰部神経刺針を直刺深刺する。
骨盤を背面からみると、仙棘靭帯は仙結節靭帯の後に隠れるように存在している(触知はできない)。
 

2)陰部神経が内閉鎖筋を覆う筋膜を走行する際に通る陰部神経管(アルコック管)
     
陰部神経管はアルコック管とも呼ばれる。内閉鎖筋の内側に沿って位置するトンネル状構造で、内閉鎖筋膜にかこまれた形で存在する。内陰部動・静脈および陰部神経が通る。内閉鎖筋とは、骨盤深部には6種の股関節外旋筋(梨状筋、上双子筋、内閉鎖筋、外閉鎖筋、下双子筋、大腿方形筋)の中の一つ。 
  
①内閉鎖筋の脆弱性 
     
内閉鎖筋の起始は、寛骨内面(弓状線下)で閉鎖膜周囲である。途中坐骨結節を越える部分で走行が直角に折れ曲がり、大腿骨転子窩に停止する。作用は大腿骨外旋。神経支配坐骨神経叢(L5~S3)。内閉鎖筋は、閉鎖孔を内側がら閉鎖している。内閉鎖筋が緊張すると、アルコック管も圧迫され、閉鎖神経を圧迫することで、泌尿器・婦人科症状や間歇性跛行などが出現する。
   


②内閉鎖筋緊張の診察
    
内閉鎖筋の緊張の有無を調べるには、被験者を側腹位にさせ、坐骨結節の裏側を強く触診するようにする。非根性坐骨神経痛や泌尿器症状(仙骨部痛、尾骨痛、直腸肛門痛、括約筋不全、排便障害、下腹部症状泌尿器症状)があれば、一応は内閉鎖筋過緊張を疑ってみる。

③内閉鎖筋を目標にした陰部神経刺針
    
内閉鎖筋は深部にあることから、閉鎖孔に向けて深刺斜刺することになるが技術的に難易度が高い。したがって初めは仙棘靭帯への刺針を行い、それで効けばよく、効果が乏しい場合に限り、次の手段として内閉鎖筋刺針を行う方がよい、


   

 

 

3)陰部神経刺針を効果的に行うために
  
①運動鍼併用

殿部深部筋は、上双子筋・梨状筋・下双子筋・内閉鎖筋があって、どれも股関節外旋作用がある。したがって、四つ這いで陰部神経刺針をした状態で、殿部を自力で左右に動かす動作が陰部神経運動針法になる。実際には、四つ這い位で、殿部を右方向に10回、左方向に10回程度回すようにする。その時、術者は同時に、患者は痛がるが鍼に旋捻術(一方向に鍼を回転させ、組織をからめる)を併用するとさらに効果がある。
  
②低周波刺針通電は、置針以上の作用を増すことはないようだ、灸は効果ない。これは表面的すぎる刺激は無効ということだろう。
③5~10分の置針より、20分間の置針が効果的な例があった。
④肛門奥の痛みやEDに対して、陰部神経刺針はあまり効果なく、間歇性跛行症状には効果ある印象。

<下肢内側痛の鍼>の現代鍼灸からの検討(「秘法一本鍼伝書」に記述なし) Ver.1.2

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柳谷素霊著「秘法一本鍼伝書」には、下肢内側の病の鍼の記載がないが、現代鍼灸での方法を説明することにした。下肢前側・外側・後側の痛みの鍼に比べて、内容はシンプルである。

1.大腿内側の病の現代鍼灸

1)大腿内転筋の解剖

大腿内側には次の5つの大腿内転筋群がある。すなわち恥骨筋・長内転筋・短内転筋・大内転筋・薄筋であり、いずれも閉鎖神経支配である。なお閉鎖神経とは、腰神経叢から起こり、骨盤の閉鎖孔を貫通して大腿内側の皮膚と大内転筋の運動を支配している。

 

 

2)閉鎖神経痛の治療

L4棘突起下外方4寸で腸骨稜上縁に力鍼(りきしん)穴をとる。ここからの腰椎突起方向への深刺で腰神経叢刺激になる。閉鎖神経(L2~L4)は腰神経叢から出る枝なので、理論的には深刺で、大腿内側に響かせることができる。健常者でこれを再現することは難しいのだが、閉鎖神経痛患者では、本神経が過敏になっているので、理論的には可能である。


3)大腿内転筋の筋膜痛

5種類の大腿内転筋のうち、とくにどの内転筋が緊張しているかをまんべんなく押圧して調べる必要があるが、患側を下にした側腹位で、押圧すると圧痛が捕まえやすくなると思う。(少し強く押圧するだけで患者は非常に痛がるので注意)

①大腿内転筋で、最大の筋力をもつのは大内転筋である。
→陰包付近の圧痛を調べる

 

②長坐位で開脚し、上体の前屈を行うと、大腿内側恥骨寄りに太く隆起した筋緊張を感じる。これは長内転筋である。

 

この筋を緩めるには、局所である足五里や陰廉などに刺針したまま運動鍼を行うとよい。具体的にはパトリックテスト肢位で刺針し、股関節の内転外転運動を行うようにする。

 

4)坐骨神経痛の治療

下腿内側痛は、坐骨神経痛の部分症状であることが多く、坐骨神経ブロック点(=裏環跳穴)刺針が有効になることが多い。
坐骨神経は大腿から下腿・足部へと走行するが、下腿における皮膚知覚支配は、下腿前面~下腿外側で、上半分は外側腓腹皮神経、下半分は浅腓骨神経が支配し、下腿内側は伏在神経が支配している。

このように記すと、初学者は次の疑問を感じるかも知れない。「三陰交は伏在神経の皮膚知覚支配だというが、伏在神経は大腿神経の枝だから、そもそも婦人科系に大腿神経刺激が効くという根拠はあるのか」と。これは誰しも一度は通る迷い道である。脊髄を介した皮反応は、上のような末梢神経分布ではなく、デルマトームで診ることになる。下のデルマトーム図で三陰交の処をみるとS2デルマトームになる。すなわち三陰交皮への灸や皮内鍼などの皮膚刺激は次髎への皮膚刺激と同じような作用をするのが理解できる。

令和2年秋、現代鍼灸科学研究会開催のご案内

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令和元年は奮起の会で多忙だったことと、令和2年前半はコロナ騒ぎで活動自粛してきたこと等で、ご無沙汰していました。コロナもだいぶ下火になってきましたので、久しぶりに現代鍼灸研究会を企画しました。この度は、新規参加者を2~3名募集しますので、ご案内申し上げます。定員になり次第、受付を締め切ります。(現在の状況に比べ、新型コロナ感染者が増加した場合、開催を延期することあり)

1.症例報告会
1)開催日時:令和2年10月4日(日曜)  午後3時~午後5時頃
2)会場:あんご鍼灸院内  国立駅南口より徒歩7分
   国立市中1-11-26 電話042(576)4418
      メール nitadakai825@jcom.zaq.ne.jp
     ※参加人数次第では、国立中集会場に変更することもあります。

3)会費:無料
4)参加条件:現在、現代鍼灸での治療を実践している方、かつ以下のレポートを提出できる方(学生不可)
 ☆玉川病院土曜会方式で行います。司会進行は似田が行います。玉川病院土曜会方式とは‥‥
①A4横書き1枚以内のレポートと、そのコピー1枚を持参し司会者に提出。
   レポート内容は、最近経験した興味深い鍼灸治療症例、またはは自分の考えた鍼灸治療方法などで、3~5分程度で読み上げることのできる文章量。
   発表タイトルを9月末までに似田にお知らせ下さい。
    例1)大腿内側痛に、患側下のシムズポジションにて大腿内側多数刺針が有効な例
    (57才、男)
  例2)陰部神経刺針の刺激対象は、または仙棘靭帯だろうか
    例3)いわゆる肩関節痛のシステム治療の考案
②司会者は、参加者に各人が提出したレポートのタイトルのみを記したペーパーを渡す。
  順番に提出者が自分のレポートを読み上げる。
③全員読み上げた後、質疑応答に入る。○○先生のレポートで、××はどうなのか、な  どと質問し、○○先生はこれに回答する。質疑応答は司会者主導で行い、司会者が、  質問することもある。

2.懇親会(午後5時頃~)    
    症例報告会または懇親会のみの参加でも結構。
1)会場:国立駅周辺の居酒屋等(日高屋またはバーミャンを予定)。
2)懇親会費:当日実費(3000~4000円予定)

3.お申し込み・お問い合わせ
 あんご鍼灸院似田まで電話またはメールで以下の事項を申し出てください。
  御名前、ご住所、お電話、臨床経験年数、懇親会参加の有無
 お申し込み締切:令和2年9月末日


EDに対して鍼灸治療でできること

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1.EDとは
   
勃起障害(ED Erectile Dysfunction)とは、「"勃起不全"によって満足な性交渉がで きない状態」と定義される。以前はインポテンツ(=不能)とよばれてきたが、あまりに愚弄する言葉であることから名称変更した。「中折れ」もEDに含める。

2.EDとなる原疾患

インポテンスの原因は、器質的23%、機能性72%、不明5%。脳が性的興奮をきたし、神経を介して陰茎に伝わっても、陰茎海綿体の動脈硬化などの障害がある場合(これを動脈性EDとよぶ)、陰茎海綿体に十分な量の血液が流れ込まないので、勃起力不足になる。加齢のほか、糖尿病、高血圧、高脂血症などの生活習慣病などが代表。
  
①糖尿病:糖尿病性末梢神経炎による勃起不全。糖尿病では血管障害と神経障害が出現するが、血流障害は陰茎への血液流入障害として、神経障害は自律神経障害として出現する。糖尿病者の3~6割が性機能障害をともなう。
②降圧剤:薬剤性では最も多いとされる。原因不明。
③前立腺摘出手術:前立腺のすくそばに勃起をつかさどる神経があるため、前立腺摘出手術で神経が障害を受けることがある。

3.勃起
  
1)勃起の起こる機序
大脳皮質の性的興奮→副交感神経を介して陰茎海綿体の細胞から一酸化窒素(NO)を血中に放出 
→NOがセカンドメッセンジャーである陰茎中の血管拡張物質cGMP(サイクリックGMP)を増加
→陰茎を走るらせん動脈の平滑筋を弛緩させ、血管を拡張
→陰茎海綿体に血液が充満(=勃起の状態)

※一酸化窒素が体内で生成されることで血管拡張効果が生まれて血流改善作用をもたらす。1998年 ルイ・イグナロは、一酸化窒素が体内で生成されると血管拡張効果が生まれて血流改善作用をもたらすことを発見し、ノーベル生理学・医学賞を受賞した。
  
2)勃起が萎える機序
 性的興奮が収まる→PDE5(ホスホジエステラーゼ5)というcGMPを壊す酵素が放出
→勃起消失
   
※要するに「cGMP」増加で勃起が起き、「PDE5」増加で勃起が萎える。この一連の反応を引き起こすのは性的興奮によるNO産生が引き金になっている。

4.ED治療薬
  
EDの鍼灸治療を希望する患者は、自分で相当調べてから来院する。薬物療法についても詳細に勉強している。このような患者の信頼を得るには、鍼灸師であってもED治療薬の知識が必要である。
 
1)バイアグラの作用機序
ED治療薬が登場するまで、泌尿器科医にとってもED治療は難しい問題だったが、1999年にシルデナフィル(商品名バイアグラ)が発売されてから治療できるものとなった。バイアグラは、 脳中枢で起きる性衝動から陰茎に至る神経経路に問題がなければ、即効的な効果が出せる。勃起障害の原因の一つとしては、海綿平滑筋内に豊富に存在するPDE5(ホスホジエステラーゼ5)が知られている。PDE5は cGMP(サイクリックグアノシン-リン酸)を分解してしまう酵素なのだが、前述のとおりcGMPは血管を拡張させる働きがあるので、それが分解されてしまうと血管は収縮して陰茎海綿体に血液が行かなくなってしまう。
   
勃起不全の治療としてはPDE5の働きを阻害することが重要で、PDE5阻害薬としてシルデナフィルが開発された。これにより海綿平滑筋内に血液が充満してくる。なおバイアグラはより上位による損傷、つまり脊髄損傷または他の神経支配の障害による勃起不全には効果がない。バイアグラの有効率は、約80%にのぼる。糖尿病によるEDであっても約65%の患者が効果ある。
ED薬には性欲増進作用はないはずだが、勃起することで男としての自信がつき、二次的にテストステロン分泌が増加する効果も認められる。

※バイアグラの副作用:
バイアグラは末梢血管拡張作用があるので、心臓発作の予防として  ニトリグリセリンなどを服用している者がバイアグラを服用すると、血圧が急降下し命の危険がある。バイアグラ服用では、9割の者に副作用として「顔のほてり」と「目の充血」が出現する。他には「頭痛」「動悸」「鼻づまり」呼吸困難」といった副作用の症状を発症してしまう人も多い。
 
2)バイアグラとその類似薬
有効成分がどれもシルデナフィルであることに、変わりはない。ペニス挿入して5分も経つと、ペニスが軟らかくなり、中折れするという症状に対しても、下記のED薬は非常に有効である。勃起を維持できなくなるのも性的興奮を維持できなくなった結果である。 
  
①バイアグラ
元祖ED治療薬として知名度が高い。25㎎と50㎎がある。食事の影響を受けやすく、満腹時とくに脂ものを食べた後には効き目が低下する(血中濃度が上がりにくい)。性行為の1時間前に服用するのが適切なので性行為時には空腹になりがち。効果は3~4時間持続。レビトラやシアリスに比べ、勃起の硬度は固くなる。

②レビトラ
10㎎と20㎎がある。バイアグラ50㎎がレビトラ10㎎に相当。バイアクラに比べ、食事の影響を受けにくく、速効性(30分で効果、1時間で血中濃度最大)がある。6~8時間持続。
  
③シアリス
10㎎と20㎎がある。強さはレビトラと同等。効き始めまで3~4時間かかるが、持続効果は36時間と長い。食事の影響を受けにくい。現在ED薬として世界で最も売れている。
       

3)サプリメント

性欲減退に効果あるとされる製品には亜鉛・エビオス(ビール酵母)などが知られている。精子をつくるにはその原料に亜鉛が必要であるが、日本人には不足しがちなので服用の合理性はある。エビオスを飲むと精液量が増すという報告は多数ある。EDに対し、マカ、ニンニク、まむしの粉、スッポンエキスなどが効いたとする報告はあるも、信頼のおける研究はない。

6.EDに関係する筋
EDに関係する筋としてPC筋(骨盤底筋)と骨盤底筋中のBC筋(球海綿体筋)が注目を  集め、これらの筋の筋トレが行われている。
 
1)PC筋
pubococcygeus muscle の略で骨盤底筋のこと。睾丸の後から肛門をはさんで伸びて仙骨をつなぐインナーマッスルの一部である。上部の内臓を支える機能がある。骨盤底筋は排泄(尿や精液)をコントロールする役割がある。排尿を止める時に動く。肛門を締めるとペニスが動くのも骨盤底筋の働きによる。
 ペニスが外に出ているのは全体の3/4で、根元1/4は、骨盤底筋群の隙間に埋まっている。この根元がペニス全体を支えている。骨盤底筋群が強いと、ペニスの根元もしっかりしてくるので、上向きのペニスとなり、簡単には「中折れ」を起こさない。

 

2)BC筋
Bulbocavernosus Muscle の略で球海綿体筋のこと。ペニスの根元にある筋肉。精液の精射と排尿の調節に関与する。尿道から尿や精液を押しだすのも球海綿体筋の役目もある。球海綿体筋が鍛えられることで射精の勢いが強まり、射精時の快感が増すとされている。射精のタイミングもある程度コントロールできるので、本筋を鍛えることは、早漏治療にも適している。

 

7.EDの治療

1)加齢と性欲低下
男性ホルモンのテストステロン分泌は20才頃が最大で、それ以降はゆっくりと下がる。中年になると性欲も体力も低下するのは、自然なことである。この肉体条件下で、性交回数が多かったり、仕事がきつかったりすると、余計に性欲も低下するのはやむを得ない。なおテストステロン分泌が不足してる者に対し、テストステロンを投与しても、直接勃起とは直接関係はなく、ただし性欲がゆっくりと増す(短期間の投与では効果ない)。年令別の適正性交回数として、古来から9の法則というのが知られて一応の目安となってきた。  
     20才:20×9=18(10日に8回) 30才:30×9=27(20日に7回) 40才:40×9=36(30日に6回) 50才:50×9=45(40日に5回)
 
2)骨盤底筋の筋トレ
骨盤底筋体性神経で、勃起時のペニスを下から支える機能があるので、骨盤底筋の筋トレは行う価値がある。骨盤底筋を鍛えることは勃起力とその維持に貢献に関係している。
  
① 肛門の引き締め運動
PC筋・BC筋のトレーニングとして肛門を締める運動を行う。肛門を締め5秒間、緩めるを5秒間と10回1セットで毎日5セットを目安に続ける。
  
②スクワット
スクワット(上半身を立てたまま行う、ひざの屈伸運動)が効果ある。スクワットは、大腿内転筋と骨盤底筋を鍛える。PC筋・BC筋ともに鍛えるのに適している。
<クワットの正しい方法>
a.肩幅より少し広めに足を開き、頭の後ろで腕を組 む。 (背筋はしっかり伸ばす)
b.そのままの状態で、太ももが床と水平になる所まで腰を ゆっくりと下ろす。
c.今度は、逆に腰をゆっくりと上げていき、最初の姿勢へ と戻していく。
ここまでが、1回の動作。最初は10回から開始し、慣れてきたら20回、30回と回数を増やす。爪先立ちや腰をより深く落とすなどすると効果的。
 

③ヒップスラスト
腰を突き上げる運動。この動作はセックス時の男性の動きそのものである。
a.背中の上半分を椅子に載せ、膝を曲げて踵で下半身の体重を支える。
b.腰を上にゆっくりと突き上げ、ゆっくりと戻す。
c.1日15回×3セット行う。


8.鍼灸院で行う指導と施術
  
鍼灸はEDに直接働きかける力はないが、体調を整える一環の結果として、効果があることはあるだろう。これには半年間以上の長期的治療が必要である。
 
1)鍼灸とバイアグラの効果の比較研究 
辻本孝司は、鍼灸とバイアグラの効果を比較し、「EDに対する中髎刺針で有効だが、効果はバイアグラに及ばない」との結論を得た。それは次のような内容である。
ED患者26名に対し、2寸#8の針を中髎に5㎝刺入し、回旋刺激を10分間施行。治療は週に1回で、平均11回施術した。著効と有効を合わせると有効率は62%だった。有効例は、心因性(著効33%)よりも、内分泌性(著効88%)や静脈性(60%)の方が高かった。
しかしバイアグラの有効性は50mgで70~80%で、重篤な副作用もみられないことから、針治療よりもバイアグラ内服の方が効果的である。バイアグラが効果なかったという者の大半は、内服方法に誤解(筆者註:薬物の量不足、満腹時の服用や服用して間を置かない性行為)があるからで、服薬指導と数回の針灸治療で改善させる。(辻本孝司:EDの治療-バイアグラと針 に求められるものは, 針灸OSAKA.vol.19 No.1.2003.Spr)
 
2)陰部神経刺激
EDの鍼灸治療は昔から試みられてきた。亀頭など性器の触覚を支配しているのは陰部神経なので、以前から陰部に電撃様針響を与えられる陰部神経知覚枝刺激がする目的で使われてきた。膀胱炎や尿道炎などの陰部の痛みに対して、陰部神経刺針が効果があった例は何例か経験したが、EDに対しては効果があったという印象は殆どない。
骨盤底筋を鍛える目的で、大腿内転筋トレーニングのつもりで陰包や足五里を刺激することも行われている。
 
①曲骨から下方にむけて深刺
陰部神経の終枝である陰茎背神経は、陰茎から亀頭に達するので、針響も陰茎先端まで得られやすい。陰茎にまで響かせる方法としては、ゆっくり斜刺して硬い処(=筋膜)まで針先をもっていく → 針尖を筋内に入れたら雀啄をする → 雀啄しつつ針全体の動きとして深度を深くする、といった手技を行うとよい。
 
②曲骨の針響と治療効果(日野勝俊:「はりきゅう」治療でしぜんな妊娠あんしん出産、2006年11月)
日野勝俊氏は「正常男性に曲骨から刺針をすると、ペニスの先まで針響を感じるが、重いEDでは針を刺入した部位のみの刺激感のみになる。しかし繰り返しの治療で、ペニス先端部近くまで針響が届くようになる」記しているという。一般的なEDの場合には症状に応じて、1週間に1~2回程度の治療を4ヵ月間続けて経過をみると記した。効果がすぐに現れるケースでは、初回の治療直後から遅い時でも2ヵ月ぐらいで症状の改善が認められる。 
※筆者註:十症例ほど追試したが、確実な治療効果は得られなかった。
  
③正座位にて、関元、中極、腎兪、裏合谷の多壮灸(陽不起の標治灸 柳谷素霊選集下より)
 裏合谷とは、「掌中、母指球の尺側、合谷穴と相対するところ、之を按ずれば極めて痛み透るところ」とする。 正座させ、関元・中極・腎兪には最初小灸にして漸次灸壮を増やし、腰腹部春陽の如くポカポカと温暖となるまで施灸する。温暖にならざれば効果が薄い。裏合谷には灸7壮。
※筆者註:下腹部正中に施灸するのに、仰臥位で行うのに比べ、座位で行った方が腹筋に力が入る。骨盤底筋に対する治療効果だと思われた。裏合谷の灸治がEDに効果あるというが、アセスメント不足である。
 

3)PC筋・BC筋の押圧
ペニスの硬化を直ちに実感できるので、治療室での指導に向いている。  
①固い椅子に開脚で座らせる。
②背筋を伸ばして上半身を前傾させ、会陰穴をボールで圧迫刺激する。
③これを繰り返すと、ペニスが充血感が得られる。 
④陰嚢と肛門の間(会陰穴)に、野球のボールなどを置いて圧迫すると強い刺激になる。
       

陰部神経痛の病態と現代鍼灸治療(改訂版)

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1.陰部神経の解剖生理
  
陰部神経叢は第2仙骨神経~第4仙骨神経の前枝から構成されており、尾骨に向かって下降する。仙棘靭帯をくぐって大坐骨孔を出て、すぐに仙結節靭帯をくぐって小坐骨孔中に入る。
陰部神経はその後に、会陰神経、後陰茎神経(♂)、後陰唇神経(♀)、陰茎背神経(♂)、陰核背神経(♀)、下直腸 神経、骨盤内臓神経などに分岐し、その運動と知覚を支配している。
陰部神経は、肛門挙筋と外肛門括約筋の運動を支配しており畜便・畜尿時に漏れを防ぐ役割と、 排便・排尿時に意志により、大小便排出を我慢する役割がある。また生殖器を支配している。
肛門、外生殖器の皮膚知覚もつかさどっている。

 

2.陰部神経痛の原因と症状

原因:長く座っている。座っている姿勢が悪い。自転車によく乗る。出産。お尻を強打。
症状:慢性的な肛門の痛み、肛門の奥の痛み、会陰の痛み、性器の痛み、骨盤の痛み(尾骨も含む)


3.陰部神経刺針の適用と技法
 
1)陰部神経刺針の基本

患側上の側腹位。上後腸骨棘と座骨結節を結んだ中点をとり、その1寸下方に陰部神経刺激点をとる(三等分して、坐骨結節側から1/3とする方法もある)。3寸8番針で皮膚面に対して直刺し、陰部に響かせる(陰部に響かない場合、響くまで試行錯誤)。響かせた後、通常5~10分間ほど置針。

 

 

2)仙棘靭帯を目標にした陰部神経刺針
陰部神経が絞扼されやすい部の一つとして仙棘靭部で陰部神経が通る部がある。
前述の「陰部神経刺針の基本的方法」の深刺直刺することで、仙棘靭帯あたりに鍼先を誘導できる。

 

3)陰部神経が内閉鎖筋を覆う筋膜を走行する際に通る陰部神経管(アルコック管)での絞扼
  
①病態
陰部神経管は、内閉鎖筋膜の内側に位置するトンネル状構造の組織である。陰部神経管内には、陰部動・静脈および陰部神経が通っている。
内閉鎖筋の起始は、寛骨内面(弓状線下)で閉鎖膜周囲である。途中坐骨結節を越える部分で走行が直角に折れ曲がり、大腿骨転子窩に停止する。すなわち内閉鎖筋は、力学的に脆弱な部といえる。内閉鎖筋は緊張を強いられて、アルコック管が圧迫されて陰部神経の神経絞扼障害が起こりやすいとされている。 ゆえにアルコック管は陰部神経絞扼されやすい第2の部位といえる。
仙棘靭帯の圧迫好発部よりも、肛門に近い部位なので、肛門症状・泌尿器・婦人科症状膀胱直腸症状や間歇性跛行症状が出現しやすい。

 

②肛門挙筋とアルコック管部への刺針 
長強穴外方3㎝からの直刺深刺する。患側上のシムズ肢位にて実施。長強穴(尾骨下端)の外方3㎝を刺針点とし8㎝直刺→→肛門挙筋→内閉鎖筋部のアルコック管部あたりに至る。



高野正博医師(大腸肛門センター高野病院)は、このような肛門の奥が痛むと訴える患者に、直腸内指診をすると、圧痛ある索状の陰部神経を触れ、患者はその痛みがいつもの痛み症状と同じことを認めると記している。陰部神経痛時には、排便障害(便が出しにくい、残便感) が生じる例もある。本刺針は、骨盤神経(S2,3,4)の副交感神経症状である排便障害にも関与している。なおこれまで肛門奥の鈍痛は、肛門挙筋痛と考えられてきたものだった。また慢性前立腺の障害を疑われることもあった。

 

上述の記刺針を実際の患者2例に試行してみると、従来の陰部神経刺針位置からよりも肛門部に強く響くと申告したことで、肛門症状が強い場合は試みるべき方法だと思われた。
 
  

③坐骨結節内縁から骨に沿わせる鍼
 長強の外方3㎝からの深刺は、直腸壁を刺激するので、肛門症状がある場合に適用すべきと思えた。では直腸に刺針せず、直接的に閉鎖孔の内閉鎖筋内縁部のアルコック管を刺激する方法はあるのだろうか。これは筆者が肛門奥の痛みを訴える患者に行ってきた方法であった。

この部に針先を誘導するには、患者を仰臥位にし、術者は患者の半身を前方に折る姿勢を持続するよう(赤ちゃんがオシメを交換する時の姿勢)補助しつつ、坐骨結節の内縁の圧痛を調べる。圧痛あるようならば、3寸#8相当の中国鍼でアルコック管に向けて8㎝程度刺入する。陰部神経を刺激すると陰部に響きが得られる。


4.陰部神経刺針の増強法
  
①運動鍼併用
殿部深部筋は、上双子筋・梨状筋・下双子筋・内閉鎖筋があって、どれも股関節外旋作用がある。したがって、四つ這いで陰部神経刺針をした状態で、殿部を自力で左右に動かす動作が陰部神経運動針法になる。実践的には四つ這い位で、上下に殿部を動かしたり、正座位に近づいたりなど色々な動作を行わせる。その時、同時に鍼に旋捻術(一方向に鍼を回転させ、組織をからめる)を併用するとさらに効果がある。

②低周波通電は効果ない。灸も効果がない(表面的な刺激な無効)。 
③5~10分の置針より、20分間の置針が効果的な例があった。
④肛門奥の痛みやEDに対して、陰部神経基本刺針はあまり効果なく、間歇性跛行症状には効果ある印象。肛門奥の痛みには、長強から外方3㎝から直刺深刺は試みたい方法。

※陰部刺針が間歇性跛行症に効果あるのかは、長い間不明だった。しかし最近になって陰部神経刺針では結局閉鎖膜部分の内閉鎖筋の緊張を緩めているのではないかとする考えが生まれてきた。

 

片頭痛に対する知見と鍼灸治療の考察

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1.三叉神経血管説の概略

何らかの原因で、視床下部のセロトニン分泌量が減少すると、三叉神経末端からCGRP(血管拡張物質)を放出され、血管拡張により炎症が拡大。セロトニン減少の原因させる原因は不明だが、遺伝性体質の他に、ストレスや疲労、月経周期、天候などの影響がある。

普段仕事で緊張している時は、脳内セロトニンも多量に分泌されているが、週末に寝すぎなどリラックスしすぎると、脳がセロトニンを出す必要がなくなったと判断して量を減らしたために片頭痛が起きやすくなる。したがって片頭痛の予防には、リラックスするのではなく、リフレッシュするような活動をするほうが効果的だということで、坂井文彦医師は、後に示す片頭痛体操を考案した。

2.片頭痛の鍼灸治療各説
  
緊張性頭痛の圧痛点は後頸部やコメカミ部に出現することが知られ、この部の刺激で治療効果が得られることは周知のことだった。一方、片頭痛に対しては薬物療法で治療するのが定石だった。しかしわが国における頭痛の第一人者ともいえる坂井文彦医師は、片頭痛時も後頸部に圧痛点が出現することを発表し、以来圧痛点に関心の目が向けられるようになった。

1)C3の高さの頭板状筋(=下風池)の治療

坂井は、ある患者の診察から、C3C4の頭板状部のしこりが続くと片頭痛が起こりやすくなることを発見した。なおこの部位はツボでいう下風池に相当している。これまで緊張性頭痛時に好発する圧痛点は、今回の圧痛点よりも下方に位置するものだった。片頭痛に、なぜ下風池に圧痛点が出現するのだろうか、坂井は次の仮説を立てた。

①「片頭痛圧痛点」は、片頭痛の脳血管から首の表面の神経に伝わってくるのではないか。換言すると、脳の中で起こっていることが神経を通じて体の表面まで伝わってきた場所ではないか。

②片頭痛に悩む人の脳には、痛みの記憶回路ができてしまい、それが「片頭痛の圧痛点」 として首に反映されているのではないか。そして、片頭痛の記憶が増えてくると、脳は 記憶の引き出しから、「片頭痛で痛い」という信号を出しやすくなる、その信号を探知するための窓口が「片頭痛の圧痛点」であろう。

後頸部を治療点にするという点では緊張性頭痛と片頭痛に共通性はあるが、その一方で緊張型頭痛は逆に軽い運動や散歩をしたほうが血行がよくなり症状が緩和するのに対し、片頭痛は  身体を動かしたりマッサージしたりすると痛みがひどくなることがよくある。片頭痛がリラックスするような動作でかえって悪化するのは、脳がセロトニンを出す必要がなくなったと判断し、量を減らしたために起きる。したがって片頭痛の治療は、単にリラックスするだけでなく、ストレッチ体操などリフレッシュするような活動をするほうが片頭痛の予防には効果的になる。
 

2)片頭痛体操(坂井文彦) 
 
非発作時に行う。朝夕一回づつ、それぞれ2分間程度の体操で首の硬さがほぐれる。頭板状筋を収縮させる動作は、片頭痛を悪化させる要因になってしまう。頸を左右に回す代わりに、体幹を左右に振ることで、頭板状筋のストレッチ動作を行わせようとするものになっている。非発作時の片頭痛患者の後頸部に筋硬結・圧痛点を術者が指で圧迫すると、鈍痛ときに鋭い痛みを感ずる。このような場合、圧痛点を押圧しつつ頸部回旋のストレッチ状で圧痛点を押圧すると、筋硬結・圧痛が消失するという。

3)下風池に刺針しての頭板状筋回旋ストレッチ法

確かに上の方法は、患者が自宅で行うには良い方法だろうが、鍼灸院内で行わせるとすれば、治療者の技術が関与するものであってほしい。そこで、坐位にて下風池から頭板状筋の圧痛硬結に刺針後、術者は被験者の頭をホールドしながら同筋をストレッチさせるように回旋した後、雀啄刺激するのが良いと思う。

頭板状筋の機能は、頭蓋骨の伸展もあるが、主作用は左右回旋である。頭板状筋はC3~Th3あたりの棘突起を起始として、風池~完骨の後頭骨から側頭骨乳様突起に停止する。したがって、頭板状筋停止部に対する主治療点は、下風池(C3棘突起外方2寸) が妥当になる。

 


4)天柱ブロック

※天柱穴:C1C2椎体間の外方1.3寸、頭半棘筋、大後頭直筋刺激。

間中信也(脳神経外科医)は、頭痛56症例に対し、診断名別に天柱ブロックの効果を検討した。疾患名に関係なく、半数程度の患者に天柱ブロックが効果的なのが判明した。片頭痛に対しては8例中2例に頭痛がほぼ消失した。効果の持続時間は、数時間10%、半日~1日30%、数日36%、1週間12%、それ以上8%、不明(不定)4%だった。これは局所麻酔の有効時間をはるかに上回る治療効果だった。   (間中伸也著、頭痛診療ツールとしての鍼灸技法の応用、臨床神経 2012:52:1299-1302)


   


5)三叉神経-大後頭神経症候群としてC1~C3後頸椎部への刺激  

片頭痛の痛みは、神経性因子と血管性因子の複合である。前者に対する治療とは、脳動脈に分布する三叉神経の治療をいう。頭蓋内については針灸で直接的にアプローチはできないから、  三叉神経-大後頭神経症候群の治療と同じように扱う。それには頸にある上位頸神経(C1~C3)へ刺激を加え、上位頸神経の興奮を取り除くような針が有効だとする見解がある。

坂井は「C3の高さの頭板状筋の圧痛点を押圧する」というが、なぜ片頭痛時に、この下風池に圧痛が現れるのかの機序は説明されていない。また間中信也の天柱ブロックも、天柱に行う必然性はあまりないようだ。これが鍼灸師的発想であれば、後頸部に多く刺針することになるのだろう。治療効果は別として、どのツボがなぜ効いたのか分からないことになるのだ。

 


 
6)足趾間刺針とグロムス機構刺激 
   
筆者が病院の東洋医学科に在籍した鍼灸初学者の頃、鍼灸症例検討会の報告資料(先輩達の残した症例報告数千例)を熱心に読んでいた時期があった。そして「上衝タイプ(のぼせて赤ら顔)の強い頭痛には、足指間の最大圧痛部を刺激すると頭痛が改善した」との報告が多いことに驚いた。 

一方。分なりに患者の足趾間圧痛を多数触診して判明したのは、足指間の最大圧痛点は、第3第4指間に出現することが多いことだった。筆者はこれを内侠谿と一応名付けた。実際の臨床では内侠谿に限定することなく、足趾間の最大圧痛点に2~3分間置針する。これだけで痛みが取れてくることを多数確認できた。

「頭が割れそうだ」という入院患者に対し、左右の内侠谿のみに置針すること数分で、痛みがなくなった例を数例経験した。ただし日常の鍼灸臨床で弱い慢性頭痛に対しては、あまり効果がなかった。針灸が効果あるか否かは、治療時の頭痛が拍動性か非拍動性かに関係し、非拍動性のタイプは有効となる場合が多いように思う。                                              
   
足趾間の圧痛点に刺針で頭痛が改善する理由は、グロムス機構の機序が考えられる。グロムス機構については、代田文誌・石川太刀雄の活躍していた時代に、さんざん論じられた。グロムス機構とは、動脈脈吻合あるいは動動脈吻合部のことをいう。一般的に血液循環は動脈→毛細血管→静脈と移行するが、全部の血流が毛細血管まで達するのではなく、一部は小動脈から小静脈へ  とショートカットする。この血行動態の変化を起こす水門に相当するのがグロムス機構である。グロムス機構の性質として、例えば1カ所の水門が閉じると、それが全身のグロムスの水門も閉じられるという仕組みがある。つまり足母趾部グロムス水門を閉じると、脳内のグロムスも閉じ、血流減少するという機序が考えられるとうことである。

 

 

フェリックス・マン著「鍼の科学」の内容紹介

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今から30年ほど前の昭和57年、フェリックス・マン Felix Mann著「鍼の科学  Scientific Aspects  Acupuncture」西条一止・佐藤優子・笠原典之訳(医師薬出版社刊)が出版された。私はすぐに本書を購入して中身を覗いたが、そこに従来的な解剖学的鍼灸よりも進化した<現代医学的鍼灸>を発見した。私が待ち望んでいたのは、このような本に相違なかった。
 
私は「鍼の科学」を熱心に読んで、傍線を引いたり、自分なりに索引を作ったりもした。本稿では内臓体壁反射などのベーシックなものは省略し、興味深い部分をピックアップする。ただフェリックスマンは、実験動物を使った生理学的変化など非常にアカデミックに自説を展開しているのだが、これらを十分に理解できない部分があった。自分の理解できる範囲内でのまとめになるのはやむを得ない。


1.フェリックス・マンの略歴

1931年4月10日生 - 2014年10月2日没。 医師、鍼灸師。
ドイツ生まれ。3才でイギリスに移住。イギリス国籍。

1)1950年代当時、若手医師だったフェリックスは、ガールフレンドの虫垂炎による腹痛が鍼で鎮痛したのに驚き、これを契機として鍼灸に興味を持った。しかし当時イギリスでは鍼灸を勉強できず、1958年からフランスのモンペリエ、ドイツのミュンヘン、オーストリアのウィーンに行って鍼灸を学んだ。さらには古典的テキストを読めるようになるため中国語を10年間学習した後、中国に渡って中国伝統鍼灸理論を学んだ。その後はイギリスに戻り、当時ほとんど顧みられなかた鍼治療を日々の診療に取り入れ始めた。

2)最初に行った鍼治療は伝統的スタイルだったが、ツボでないところに鍼を刺してもツボに刺した時と同様の効果を示したことで、經絡や経穴に疑問を持ち始めた。そして治療点を、点よりも面としてとらえるべきだとする立場に変わった。

3)1960年代、フェリックスは医師に鍼治療を教え始め、1970年代には学習者の数も増え、55カ国以上1600人以上の医師が彼の元で鍼灸を学んだ。このことは、医学の痛みに関する科学的な理解が進み、現代用語で鍼治療の機序をより理解できるようになったことが理由だった。特筆すべきは、1972年にニクソン大統領が中国を訪問したことで、鍼麻酔のニュースが世界中に流れ、多くのイギリス人やアメリカ人医師の間で鍼治療への関心が高まったことだった。

4)1977年頃には、フェリックスマンはツボ、經絡、陰陽、五行など伝統的な考えを事実上すべて否定し、<科学的鍼治療 Scientific Acupuncture>を目指すようになった。鍼灸を解剖学や生理学の現代的な理解で説明できる治療法として捉えていた。もはや気や陰陽について、話す必要性はなくなっていた。鍼が効くのは神経生理学的に説明が可能であり、鍼治療に関与する反射の大部分が脊髄性であることが解明された、鍼が効くのが神経システムの活動による調整作用からだと説明した。

5)時間が経つにつれ、フェリックスは、多くの伝統鍼灸主義者が患者を過剰に治療していると考えるようになった。フェリックスは、数本の鍼(時には1本だけ)を挿入し、鍼を刺す時間は短く、1~2分以上、数秒で済ますような、非常に穏やかな治療法を支持するようになった。 このやり方は、現代医学の訓練を受けた医師にとって理解しやすく受け入れやすいもので、また多くの者が学びたいと思っていたものだった。

6)1980年には、フェリックスの元学生を中心に構成された英国医学鍼灸学会(The British Medical Acupuncure Society)が設立され、彼が初代会長となった。現在の会員数は2000人を超えた。医学的鍼治療学会(Medical Acupuncture Society, 1959年 - 1980年)の創設者であり、元会長でもあった。
  ※参考文献:Felix Mann(Wikipedia )「Arrt Dry Needling & Massage 」HP)

 

2.内容紹介

1)足には6つの器官を代表する6つの經絡がある。これら足の一連の經絡は、たとてば胃経が通っているスネは胃の治療に、あるいは膀胱経が通っているふくらはぎは膀胱の治療にも影響を与えうる。
大腸経や小腸経は腕にあるとされている。しかし私の考えによると、これはまったく間違っている。なぜなら、これらの器官に対する病変は、下半身の刺激によってのみ治療できるからである。三焦経もやはり定義しがたい。(p24)


2)頭顔面部におけるツボの大半は、近傍の器官に作用する。それらの作用は、脊髄分節性反射に類似した局所反射弓によって説明できると思われる。
たとえばKoblankは、鼻と心臓との反射について、ヒトや動物実験で調べた。上鼻甲介の周辺には、鍼治療によって心臓性不整脈を起こす特定領域のあることを発見した。このことから、上鼻甲介への刺激は、三叉神経によって中枢に伝えられ、そこで反射的に迷走神経核を興奮させ、迷走神経を介して心臓に影響を及ぼすのではないかと考察した。
(筆者註:迷走神経反射の典型:肩井に刺鍼して一過性脳貧血を起こすのと同じ)

Koblankは、下鼻甲介と生殖器官との反応について調べた。若齢時に下鼻甲介を除去すると、動物が成体になった時、体重は除去していない動物と変わりなかったが、子宮・卵管・睾丸などの生殖器に異常が認められた。また実験動物の中鼻甲介を刺激すると、胃液の分泌と運動が増加することを報告した。
これらから、上鼻甲介は心臓、中鼻甲介は胃、下鼻甲介は生殖器に作用する。(p25-26)


3)健康な器官の機能を変えるには相当大きな刺激が必要である。一方罹患した器官の治療には小さな刺激で十分である。したがって鍼をわずかに刺入しただけで重い病気のいくつかを治すことができるのに対して、健康な器官に間違って治療を行っても、まったく無害になるのが普通である。(p28)


4)中国の文献では、ツボはとても小さく、数ミリ程度のものとされている。しかしこれは必ずしも事実ではない。1デルマトーム(周辺が過感作になっていれば数デルマトーム)のどこを刺激しても十分な治療効果があることが少なくない。このデルマトーム内を注意深く探ってみると、圧痛の強い部位がいくつか見つかる。これがツボと呼ばれるもので、これらの圧痛の最も大きい部位は、鍼に対し回りの部位よりも大きな反応を示す。

もちろん適切なデルマトーム内のどのような部位に刺激を与えても効果のある場合もあるが、その効果はツボに対する刺激よりも小さくなる。一方、全体の1/4に相当するくらいの広範囲のどこに刺激を与えてても、それが適切ば部位ならば十分な効果のある場合もある。(p28)
鍼治療が効くような病態であれば、医師によって異なったツボに鍼をしても患者の大多数は治すことができる。(p35)


5)刺激領域を表現するには、デルマトームではなく、皮膚-筋-硬節という言い方をするのが適切だと思われる。内臓やその他の器官の病気では、しばしば疾患部と関連した体表面に反射性圧痛を感じる場合がある。その際、筋緊張や血液循環の変動を伴うこともある。おそらく疾患部に関連した組織の組織構造が深部にまでわたり過敏になり圧痛を生じていると思われる。(p36)
(筆者註:硬節とはスケルトームのこと。骨における分節(デルマトームのような縞模様)のこと。デルマトームは皮膚・筋・硬節の他に、交感神経性デルマトームもある。


6)神門穴は少海穴よりも効果的なツボである。それは少海刺鍼が脂肪組織を刺激するのに対し、神門の方が少海より厚い皮膚と硬い靭帯を突き抜く。つまりは神門の方が多数の神経線維を刺激することになるからである。神門のように骨膜も刺激されるツボの方が大きな効果をもたらす。(p38)
関節周辺の骨膜を刺激すると、その表層にある上皮を鍼でさすよりも効果が大きくなる場合がある。これは刺激に興奮するニューロンの数の違い、すなわち局所反射の活性化の差異によるものと考えられる。(p38)


7)神経幹を刺激すると激痛を引き起こすが、これは決してより効果的というわけではない。いわゆる頸椎々間板症やその関連疾患では、第6頸椎の横突起を刺激する方が腕神経叢を形成している数本の神経を鍼で刺すよりも効果的である。(p38)


8)研究者の中には、皮膚の電気抵抗の減少が認められるよう小さな領域がツボであると主張する者もいる。しかし電気抵抗の減少を示す皮膚領域は大小何千とあり、その中でツボと一致する者はほとんど認められなかった。神経生理学的理論に従えば、電気的にもあるいはその他の方法を用いても小領域に独立して存在するツボなどとうものは見つけ得ないはずである。(p39)


9)臨床的な観点からすると人口の約5%が超過敏反応者であり、これに普通の過敏反応者を含めれば、人口の10%あるいは多めにみて30%は過敏者になるかもしれない。
鍼麻酔というものは、私の経験上、超鍼響過敏者の場合にしか効かない。ただし専門家の中には私の意見に反対する者もいる。1974年に私は、鍼麻酔を受けた患者のうち10%の人に完全ではないが、ある程度鍼麻酔の効き目があったと報告した。その後、私がその時用いた麻酔状態の基準は、少々甘いものであり、その数値は5%に修正すべきだとの見解に達した。(p50)


10)Kellgrenの一連の研究から、痛みの分布を次の3層に区分して述べた。
①一般に皮膚の刺激による痛みの分布は小さな区域に局在する。(非常に強い刺激を除く)
②筋膜、骨膜、結合組織、腱など、皮下にある中間層の刺激による痛みは、刺激部位の辺縁部あるいは刺激部位から少し離れた部位など、少し広い領域に存在する。
③深層にある筋層の刺激による痛みは、放散性であり多少なりとも分節的な分布をしてくる。とくに棘間結合組織、肋間腔や体幹部体壁の深部組織に起因する痛みは、明確な分節性を示し、手足の筋肉や関節に起因する痛みは局在して現れる。
手足の筋肉の痛みは、その筋肉の結合している関節が筋と同じ分節に属する限り、関節に関連痛を興す傾向がある。(p58)

 

痔疾の鍼灸治療(改定版)

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このブログを初めて間もない頃の、2006年4月に、<痔疾の鍼灸治療>を発表済みである。今読み返してみると独自性に乏しく、面白みのないものだったので削除し、書き直すことにした。

                                 
1.痔疾の基礎的原因

肛門部における炎症を起こす攻撃因子が、肛門周囲の免疫力を上回った場合に痔となる。攻撃因子としては排便異常とくに便秘があり、免疫力低下因子としては疲労・ストレス・冷え・飲酒などがある。痔核・痔瘻・裂肛が、痔の三大疾患になる。

基本的訴え:内痔核→出血、外痔核→排便時痛、裂肛→排便時痛、痔瘻→痒み
※痔を「ぢ」と書くのは誤りで、正しくは「じ」である。


2.痔核(いぼ痔)

1)病態生理
人間は直立するので、静脈環流は四足動物より悪くなる。とくに直腸~肛門管の静脈(上・中・下直腸静脈)には静脈弁がないため、粘膜下の内痔静脈叢が鬱血し、静脈瘤を形成しやすい。排便痔の肛門周囲の静脈叢伸縮→静脈血管の弾性消失→静脈鬱血(血栓)という機序で痔核となる。                   


2)分類と症状
痔核は歯状線を境として外痔核(少数)と内痔核(大部分)に大別され内痔核の方が圧倒的に多い。歯状線から内側は腸粘膜なので知覚はない。ゆえに内痔核は痛むことはないが、圧迫されにくい部なので出血は止まりにくい。内痔核は1度(軽度)~4度(重度)に細分化される。歯状線から外側は陰部神経の知覚支配なので、外痔核は痛むが、圧迫される部位なので出血は止まりやすい。 

※脱肛とは直腸や肛門の一部が肛門外に脱出することで、内痔核が進行して、それを覆っている粘膜ごと肛門外に脱出した状態である。
※アルコールを飲むと痔が悪化するというのは、静脈腫の血流が良くなり、腫瘤が拡大するため。かつて上直腸動脈から肝臓に行く静脈血液量が問題視されたが現在は否定されている。

3)現代医学的治療


 
①内痔核

1度:温罨法や鎮痛座薬治療

2度:内痔核硬化療法。注射薬であるALTA(商品名:ジオン注)を内痔核に注射して、核内に流れ込む血液量を減らして痔を硬くし、直腸粘膜に癒着固定させる。注射は内痔核(知覚がない)部    に行うので、痛むことはない。2~3日の入院が必要。

3度以上:結紮切除術。腰椎麻酔下で、内痔核に注入動脈を根元の部分でしばり、痔核を放射状に部分的に切除。1〜2週間程度入院が必要。
※昔の内痔核の手術は、ホワイトヘッド手術といい、痔核だけでなく、周囲の肛門上皮も全てリング状に取り除いてしまうものだった。この手術は非常に痛いため、患者に怖れられていた。  後遺症として腸の粘膜が、かなり手前まで下がってくる脱肛状態となり後遺症も問題だった。
 

②外痔核:硬化療法が使えないので、局所麻酔して痔を切開摘出。 


2.痔瘻

1)病態生理
肛門小窩(歯状線の凹んだ部分)に糞便が付着
→炎症を生じて肛門周囲に膿が溜まり非常な痛みと発熱(=「肛門周囲膿瘍」状態)
→膿疱が破れて後、管状の空洞(瘻管)ができる
→この瘻管から細菌侵入し炎症を惹起する。

2)症状:肛門掻痒感、下着が汚れる
3)現代医学治療:管の入口と瘻管を切除する手術以外にない。針灸不適応。


3.裂肛(切れ痔)

1)病態生理
排便の際の肛門部外傷。とくに硬い便をいきんで排泄する際に生じやすい。破れるのは歯状線と肛門縁間にある1.5㎝くらいの部位。
 排便時刺激による会陰神経の興奮
 →内括約筋の痙攣
 →これがトリガーとなりさらに陰部神経興奮し続ける。

2)症状と現代医学的治療
排便時の激痛と出血。排便後もしばらく続く痛み
外傷程度が軽い場合は便を軟らかくしておけば自然治癒する。
しかし硬い便を繰り返し出すと同じ部位が何回も切れ、肛門潰瘍となり肛門が狭くなり、このためさらに切れやすくなるという悪循環が生じる。この場合には潰瘍部分の切除が必要。


4.痔疾の針灸治療方針

痔瘻は鍼灸不適応。裂肛は自然治癒することが多く、一方再発を繰り返して肛門が狭くなった重症者は手術しかないので、針灸の出番は少ない。軽度裂肛なものは自然治癒するので鍼灸に来院せず、重度な裂肛は手術が必要なので鍼灸不適応である。鍼灸適応は痔核だけである。

痔核は肛門周囲に分布する静脈鬱血を改善させ、併せて肛門挙筋(陰部神経運動支配)の過緊張を緩め、肛門付近の皮膚を知覚支配している陰部神経興奮を緩和する方針で行う。

1)内痔核に対して強外方3㎝から直刺深刺

 

骨外端に長強穴をとり、そこから外方3㎝。直刺で2寸ほど深刺すると肛門挙筋中に入る。この刺針は肛門静脈叢にも影響を与え、静脈鬱血を改善さえるさようもある。普通は10分間程度置針する。置針していると肛門の緊張が解け、温まった感じがする。

この刺針は、肛門静脈叢、肛門神経(陰部神経の分枝)、肛門挙筋の三者に影響を与え得る。肛門が気持ちよく温まり和らいだ感じが得られる。

※外痔核の場合、肛門を見ると静脈瘤が観察できる。その部分に直接施灸すると、大変熱いが、よく効くという文章を見たことがある。

2)陰部神経刺針
外肛門括約筋の運動と肛門部知覚を支配するのは陰部神経なので、陰部神経ブロック点から直刺8㎝して肛門に針響を得る。其の後5~10分置針。
 
3)痔疾の特効穴の検討

①孔最
昔から、痔には孔最の灸をとるとされていた。なぜ孔最なのかについて、三島泰之氏は、おもしろいことを書いている。「痛みを我慢する姿勢は、歯を食いしばり、上下肢を含め全身に力を入れた状態になる。昔の排便スタイルはでは、膝を相当窮屈にまげた姿勢で、手は自然と結ばれ、前腕は屈筋に力が入った姿勢となる。前腕屈筋群では、孔最穴あたりから手首に向かって一番力が入った状態になる。痔の痛みの中での排便のポーズは、この延長上である」(「今日から使える身近な疾患35の治療法」医道の日本社刊 2001年3月1日出版)。
これと同種のものだが、小宮猛史氏は、実体験から排便困難時に排便姿勢をしつつ両側の合谷を押圧しながらイキむと大便が出やすくなると書いている。(同氏ブログ「JTDの小窓」より)
孔最や合谷の刺激を有効にするには、仰臥位で施灸するのではなく、坐位で強く手を握りしめた肢位で行うべきなのかもしれない。

②百会
<痔には百会の灸>という知識は鍼灸師なら誰でも知っている。整体観の立場からみて興味深いことなのだが、実際に効くことはマレなので、実際の患者に対して施術する者は少数だろう。ただし代田文誌は、「鍼灸治療基礎学」の中で、百会の灸は痔疾・脱肛効くが、脱肛には効かぬことがあると記す一方、石坂宗哲は、百会は小児脱肛に効くと記している。

五兪穴のイメージ(ニーダムの見解を中心に)Ver.1.2

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1.ジョセフ・ニーダムとは

ジョゼフ・ダム(Joseph Needham) 1900年12月9日生- 1995年3月24日没。ロンドン生まれ。中国科学史の世界的権威。もともと生化学の権威だったが、1930年頃から中国の科学発達史に関心をもち、1942年から3年間蒋介石政府の科学技術顧問として重慶に滞在した。帰国後、前人未踏の中国科学史の研究がライフワークとした。「中国の科学と文明」全16巻の他、多数の書を執筆した。
我が国でも多くの翻訳書が出版された。筆者の手元にある本は、「東と西の学者と工匠中国科学技術史講演集 上下」河出書刊(絶版)と「鍼のランセット 鍼灸の歴史と理論」創元社刊(絶版だが古書で入手可能)である。鍼灸臨床には直接結びつかないが、昔の中国の科学技術を色々な分野で具体的に説明されている。ニーダムにより、昔の中国は、当時として科学技術先進国であったことに気づかされる。
昔、私が代田文彦先生に「ニーダムはすごいですね」と話かけたら、同意して「もし対談などの企画がきたら、その準備に5年はかかるだろう」と返答したことを思い出す。

(疑似カラー化)


2.五兪穴の解釈に対する不満

十二経絡には、各経絡ごとに五行穴(五兪穴)が定められ、これらは井穴・栄穴・兪穴・経穴・合穴とばれる。
井穴・栄穴・兪穴は、手と足の指先から数えると、第1番目、2番目、第3番目に列んでいる(胆経だけは例外で、第3番目の地五会を飛び、4番目の足臨泣が兪穴)。合穴は肘関節・膝関節付近にある。

井=経脈の出る所  栄=溜(したた)る所  兪=注ぐ所  経=行く処

井栄兪経合の性質は水路に例えられてきた。ただし手指の末端から始まる手の三陽経や足指の末端から始まる足の三陰経では、うまく説明がつくものの、手の三陰経や足の三陽経では、説明できない。

井栄兪経合の部位を表現した、出・溜・注・行・入も、水の流れるさまであるとの表面的な解釈はできても、それだけでは納得できない。

疑問だらけの状況にあって、魯桂珍、J・ニーダム著「中国のランセット」創元社刊は、この疑問に対し、ヒントを与えてくれる。
素問霊枢が編纂された漢の時代の治水技術には高いものがあった。人々の集合(都市)→食料の増産→耕作面積を増やすため、計画的な灌漑設備を整備する必要性があったからである。灌漑設備を重視した証の一端としては五行色体表の五蔵六腑の官職の説明として、「三焦は、決涜の官(=溝を切り開いて水を通す役人)」や「膀胱は、州都の官(地方長官。あるいは水液を集める処)との言葉があることでも知れる。


3.井穴とは
井は、水を取り入れ口をさす漢字であり、井は必然的に、泉、井戸、取水用ダム(堰)、用水路などの一部をさす。井が、山奥にある川の水源をさすとの限定はできない。
飲料や洗濯などにも水は使うが、人間が大量に水を必要とするのは、農耕のためである。農耕する条件の一つとして、用水路の確保が不可欠だった。これを人体にたとえるのは、農作物が育つような環境を、人間の身体自身が生きる上で必要だと考えたからであろう。


4.栄穴(滎穴)とは
栄=①水がちょろちょろ流れる様子。②水が回流する沼。(「漢字源」学研より)
ニーダムは、「井」を湧出とするならば、「栄」は水源に相当すると記しているので、②の解釈である。回転する沼とは、湧水が沼の底から噴出している様子だろうか。井と栄は非常に接近していることになる。滎(けい)とは、古代中国の河南省滎陽県にあった沼地の名。漢代にはふさがって平地となった。


5.兪穴・経穴とは
兪=いよいよ、ますます。前の段階をこえて進むさま。流出。(辞書同上)
経=縦糸。まっすぐ通る。(辞書同上)
   兪も経も、水の流れるさまの形容である。兪は水源前の段階である水源を越えて進むのだから、流出と考える。それも栄→兪→経と下るにつれ、しっかりとした水流に変化している。井から経への4段階を、
ニーダムは、湧出→水源→流出→流れ、と考察した。


6.合穴とは
合=合う、集まる。あつめて一緒になる。合流(辞書同上)
従来の解釈によれば、「合」は川が海に流入する河口部分だという。しかし合穴に続くのも、同じ経脈なのであり、「海」という説明は合理性に欠けるものであろう。
ニーダムは、次のように解釈している。「手指の末梢部(=井穴)から湧き出るようにして表出した経脈は、合穴に至るまでに流れをスピードアップあせる。一定の流れ以下の速度(あるいは強さ)では、効力水準点(ポテンシイ・レベル・ポイント)点に達しない」
これを私なりに比喩で表現すると、一般道から高速道路に入る場合、高速で走る車の流れに合わせるため、加速レーンを使うが、この加速レーンの役割が五行穴の作用だと考えることもできる。
逆にいえば、手足の肘以下、膝以下を除く身体の経脈は、高速道路本線であって、この本線が経脈として正しく機能していることが生理活動として不可欠だと考えたのだろう。

 

                                               

 

 

令和2年度の実技講習会、開催延期のお知らせ  続報

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以下は本年4月23日に投稿したブログ内容である。

 

令和2年の実技講習会の予定は、当初は6月からスタートする予定で、そのためには4月からその旨を本ブログで公示するつもりでした。ちなみに概要は次の通りでした。

◎奮起の会セレクション
本勉強会指導スタッフと過去参加者が、得意とする内容をピックアップ 
1)顔面麻痺の鍼灸実技(講師:吉村英)
三叉神経痛、顔面痙攣の鍼灸実技(講師:似田敦)
2)美容針最初の一歩(講師:小村はるみ)
3)ⅠaⅠb針の治療効果を高めるリハの技法(講師:小野寺文人)

◎第5期 鍼灸奮起の会(講師:似田敦)
  少人数で、整形・ペイン疾患の現代鍼灸治療の考え方と実技指導のシリーズ
    腰痛、腰下肢痛、膝痛、頸痛、肩関節痛、上肢症状、下肢症状


しかし予想外にも、新型コロナウィルスの感染問題が発生したため、予定を延期せざるを得なくなりました。感染が収束した時点で、講習会の日程を改めてご案内します。

ただし「現代鍼灸臨床論Ⅰ、Ⅱ」のPDF版は、継続販売中です。ちなみにⅠ(鍼灸、ペインクリニック領域の針灸治療)は5000円、Ⅱ(内科、産婦人科、泌尿器科、眼科、耳鼻咽喉科、皮膚科、その他の領域の鍼灸)は6000円。ⅠⅡ同時購入は併せて10,000円です。
上記テキストはCDにおさめられていますが、現代鍼灸臨床論Ⅰ、Ⅱの他に、<医語呂1100>、<經絡経穴学サブテキスト>、<中医学的テキスト>を同梱しています。いずれも過去に私が鍼灸学生用教材としてまとめたオリジナルなものです。

 

 令和2年4月の頃は、遅くとも9月になればコロナ騒ぎは鎮静化され、現代鍼灸実技講習会<鍼灸奮起の会>再開もできるものと考えていたが、本日8月19日になってもコロナ衰退の見通しは立たっていない。おそらく今年いっぱいは無理かもしれない。ということで、現段階で、<鍼灸奮起の会>は来年まで延期ということにしたい。

コロナ不況も長くなった。当院でも私の個人への給付金として10万円、あんご鍼灸院持続化給付金として100万円を受領して得した感じもしたが、本年3月から来院者動数が減少し、それは8月になった今日でも続いている。もしかしたら患者動向の潮目が変わったのかも知れない。報道によれば本年3月から6月のGNPを年率に換算すると、昨年より27.3%減少する見通しだという。日本人はまた一段と貧乏になっているのだ。

コロナの影響で収入減になった者に対して、各市町村では国民健康保険料と介護保険料の減免うをするところが多くなった。私の住む国立市でも減免制度が実施された。当方はそのことを8月になって知ったので、急いで減免制度に申し込み、国民健康保険料を約20万円減税との回答を得た。介護保険料については8月26日市から回答があり、約87,000円減税になるとの通知が届いた。

国民健康保険料の減免については、自らが役所に申請しないと対象にならないことに注意されたい。対象となる条件は、各市町村により異なるのかもしれないが、当国立市の場合、見込み収入が前年比30%以上減になる見込みとあった。介護保険料減免については国立市の場合、65才以上が適用になるらしい。

 

 


仙腸関節異常の病態生理と鍼灸治療の総括

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私はこれまで、何回か仙腸関節刺針についてブログに書いてきた。これは10年以上にわたる学習と臨床の段階的成果なのだが、今振り返ると古かったり、同じような内容を別のところで断片的に書いていたりで、まとめて見ることも難しくなってきた。そこで今回は、仙腸関節刺針について、これまでの報告を整理する一方、過去の断片的内容を削除することにした。


1.仙腸関節異常の概念

整体やカイロの治療で、たびたび仙腸関節の異常が指摘されるが、整形外科ではあまり注目されていない。一部の医師の間ではAKA療法(エイケーエイ療法 Arthr oKinematic Approach 関節運動学的手法)または、博多節夫医師によるAKA博多法が行われている。AKA療法は仙腸関節の隙間を手で広げたり、関節面同士を辷らしたりすることで動かなくなっていた仙腸関節の動きを回復させるようにするものだが、術者自身の手指の感覚で微妙な力加減を要するもので、独学で習得することは難しい。当院にもAKA療法を受けたという患者がこれまでに何人か来院していて、その治療法で改善はなかっととのこと。結局AKAとても万能でないことを示唆するものとなっている。

仙腸関節の遊びは3ミリほどあり、少しグラついている状態が正常である。このグラつきは中腰姿勢で最も大きい。中腰姿勢で腰を捻ったりして異常な外力が仙腸関節に加わると、関節の遊びを越え、関節面は少しずれた状態で固定してしまう。古い雨戸を引っ張り出そうと変に力を入れた途端、雨戸は中途半端な位置のまま、動かなくなるのと同じ状態である。

2.症状

関節のズレた状態そのものは痛みをもたらさないが、間もなく周囲の筋や靱帯が異常興奮し、仙腸関節部に鈍痛を覚えるようになる。人によっては下肢の大腿部や足首に関連痛を感じ、むしろ関連痛部位を苦痛として感じる者がおり、診断を難しくさせている。

3.診断

ただし関連痛部位には圧痛所見はないこと。仙腸関節部に顕著な圧痛(これをワンフィンガーテストとよぶ)があること。静的腰痛(同じ姿勢を続けていると痛む)であることなどから、本症であることを推察できる。なおパトリックテストは正常であることが大部分なので参考にならない。
要するに神経学的に説明のつかない下肢症状とワンフィンガーテスト圧痛(+)であれば、仙腸関節機能障害を疑う。そして仙腸関節部を刺激して症状が改善することが治療的診断になる。



4.私の針灸治療の発展

1)発端:患側下の側臥位で行った仙腸関節刻面への刺針
脊柱骨盤模型で観察すると、仙骨腸関節は意外と深い処にあり、その関節刻面は台形になっていることを再発見した。骨盤背部から仙腸関節関節面に刺入するには、左右の上後腸骨棘と同じ高さにある仙骨棘突起を結ぶ直線の中点を刺入点とし、外下方に斜め45度方向に4~5㎝入すればよいことを確認した。なお鍼をその角度で刺入するには、患側を下にした側臥位またはシムス肢位で実施するのがやりやすいので、この方法で実際の仙腸関節機能障害を疑う患者に試してみた。
この刺針でうまく症状部に一致した再現痛が得られれば効果大だが、響かないことの方が多く、この場合には治療効果はほとんど得られなかった。


2)改良編:患側上の側臥位で行った仙腸関節刻面への刺針

前記の方法でなぜ効かなかったのかを考えてみると、仙腸関節に力学的ストレスが加わらず、この周囲筋が緩んだ状態になっている処に刺針してはダメだと思い、今度は仙腸関節刺針に運動鍼を併用するため、患側上の側臥位で仙腸関節刻面(正確には骨間仙棘靱帯)への刺針(置針10分)に替えてみた。この体位で仙腸関節に入れるには、切皮した鍼を斜め上前方45度の角度で入れる必要があって、多少面倒だったが、慣れてくるとスムーズにできるようになった。

さらに所定の処に鍼先が達した後、患側(上になった下肢)の大腿前面を自分の腹に近づけ、そして遠ざける自動運動を10回実施させた。この時、仙腸関節は少々動くことになり、施術者は患者の動きに合わせて鍼を雀啄した。
この工夫により、治療効果は驚くほどになった。

 

 

 

3)現行編:股関節屈伸自動運動から、股関節外旋運動への変更

仙腸関節の動きは、大腿前面を腹に近づける動作(股関節屈曲)よりも、側臥位で横になった大腿を立てる運動(股関節外旋)の方が、より大きいのではないかと考え、股関節外旋自動運動に変更した。「殿と踵を動かさないように固定し、膝を立てたり横にしたり」と説明して、患者の足首を押さえながら膝を立て、再び横に戻すという動作を指導するとよい。なお刺針自体は前記と同じである。
この運動方法に変更して、治療効果が改善したとは思えないが、前記の大腿屈伸運動は、当院のようにベッドが壁に寄せて設置している場合には、施術者側にもっと近づいて横になるように体位変更が必要となることあって、少々面倒だった。これが解消できたことは実地面で助かっている。


5.仙腸関節神経ブロック法(村上栄一・黒澤大輔両氏による)

ベッドの手前に立たせ、両手をベッドの上において、上体を30度屈曲位置で安静させる。仙腸関節上内方から斜め外下方に23Gブロック注射 針を入れて、骨間靱帯に入れる。痛みが症状部に放散すれば成功。この後に局麻液を注射する。



最近、2ヶ月来の左上殿部~大腿外側という症例を経験した。先ずは患側上の側臥位で2寸針を使って患側上の仙腸関節運動鍼法を行ったが、患部に響かせることはできず、治療効果も乏しかった。そこで今度は村上栄一・黒澤大輔両氏の立位前屈30度で、両手をベッドにおく姿勢で鍼灸鍼で刺激してみた。すると患部にズンと響かせることができ、症状も非常に軽減した。
    
立位状態前屈位で仙腸関節を刺激する方法は、仙腸関節周囲の筋や靱帯が張り詰めた状態にあるせいか、従来の私の方法に比べ、症状部に響きを与えやすい印象をもった。本法では2㎝ほど斜刺すると抵抗のある組織に当たるが、抵抗ある中を刺入していき、症状部に響きを得ることができれば成功である。   抵抗ある組織とは、ある程度の柔らかさがあることから後仙腸靱帯ではなく、多裂筋なのかもしれない。

 

6.仙腸関節矯正手法  

前述した鍼の技法は、仙腸関節に溜まった筋痙攣や疼痛を、鍼によって一過性に軽減するものであって、あくまでも対症療法である。本治法は、仙腸関節のズレたまま固まった状態を、ズレのない状態に戻すことであるが、仙腸関節の筋や靭帯を鍼で緩めている状態であれば、何かのきっかけでロックがはずれて正常に復しやすくはなるだろう。そのきっかけをつくるのが次の仙腸関節ストレッチ体操である。

1)仙腸関節のストレッチ
 

仙腸関節を背面からみると、仙骨は腸骨にハの字型にはめ込まれている。仙腸関節は上体を前屈すると少し緩むので、前方(腹側)に動きやすくなる。また上体を反らすときつく噛み込むことになる。仙腸関節のズレの多くは、上体前屈時の仙腸関節が緩んで関節が動きやすくなった時に生ずる。したがって下図のように患側下肢を引くようにベッドに載せて徒手矯正するとになる。この姿勢を1回1~3分間保持する。(最初は1分間くらい)
職場でも自宅でも手軽に行えるのがよいところである。

 

2)骨盤矯正ゴムベルト療法(商:リフォーマーベルト)

①生ゴムでできたバンドを、左右の上後腸骨棘を中心軸として覆うように巻きつける。
②腸関節の上に親指を入れ動かせる程度のきつさにする。
③肩幅程度に足を広げて立つ。腰を水平に、大きく円を描くようにゆっくり回す。朝晩2回、左回しと右回しをそれぞれ50回行なう。腰を回す時、膝をあま   り曲げず、足を浮かさず回すのがコツ。運動時以外はゆるく巻いておいてもよい。就寝時はベルトをはずす。

令和2年10月4日、現代鍼灸科学研究会開催しました。

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1.開催日時:令和2年10月4日(日曜)  午後3時~午後5時半
2.会場:あんご鍼灸院内  国立駅南口より徒歩7分
   国立市中1-11-26 電話042(576)4418

3.発表者とタイトル
1)小野寺文人
臼蓋形成不全と診断されてから末期変形性股関節症(Otto骨盤の危険性)まで進行していると診断に至るまで、疼痛緩和が可能であった鍼灸治療の1症例(53才、女性)
   ※Otto骨盤→ 骨盤腔盤内に臼蓋底が突出している状態。変形性股関節症の重篤状態。 非常にまれ。

2)岡本雅典
アルコール性神経障害による手掌及び足底の自発痛に対する圧痛点への鍼灸刺激が奏効 した一症例(49才、男性)

3)似田敦
陰部神経刺針と閉鎖神経刺針の比較検討一覧  
(基本的陰部神経刺針、仙棘靭帯刺針、肛門挙筋刺針、大腿内側筋刺針などの技法紹介)

4)吉村英         
歩行障害の1症例(76才、男)   
-対応を誤れば慢性硬膜下血腫として致死的な転機を辿っていた可能性のあった症例-
 
5)小宮猛史
潤天堂式、徒手的な大腰筋性施術 

6).紺野康代
下顎の運動鍼について
-側頸部および肩こりに対し下関より下顎の運動鍼を試みた症例-(47才、女性)

 4.私の感想
いつもなら参加資格をゆるく、鍼灸学生も提出レポートなしの条件で、多くの先生方に参加していただく意向だったが、今回はコロナの三密を避ける意味もあって、少数精鋭の6名(最低でも臨床10年以上)にお集まりいただいた。ベテラン勢ということで、基礎的なことからの説明は要らず、質疑応答も的を得たものだった。有意義なひとときを過ごすことができたと思う。

前列左から、:村英(吉村はりきゅう院)、似田敦(あんご鍼灸院)、小野寺文人(稲穂鍼灸院・整骨院)
後列左から:紺野康代(自由ヶ丘鍼灸均整院)、岡本雅典(鍼灸ホスピターレ)、小宮猛史(潤天堂鍼灸院)

3.懇親会(午後5時頃~)    

国立駅南口バーミャンにて

陰部神経と閉鎖神経の比較検討

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去る平成2年10月4日の現代鍼灸科学研究会で、私は「陰部神経と閉鎖神経の比較一覧」を報告した。その時、まとめた表と関連図を載せる。

 

 

腰部神経根症に対する坐骨神経ブロック針 Ver.1.1

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本タイトルは2006年6月23日に投稿したものだが、現時点の常識に合わせ、少々改変して報告する。

1.腰部神経根症の概念
臨床的にはL5S1L4(多い順)神経根の圧迫により下肢の痛みや知覚鈍麻を起こしている病態。神経根圧迫の原因としては20~40才では腰椎椎間板ヘルニア(線維輪の膨張や髄核脱出)によるものが多い。高齢者では変形性脊椎症(骨棘による神経根圧迫)によるものもある。

2.診断
L5やS1の神経根症であればSLRテストで60度以内で、疼痛は下肢に放散する。L4の神経根症の頻度は非常に少ないが大腿神経伸展テストで大腿部に痛み放散する。ほかにデルマトームに従った知覚鈍麻が出現。

3.病態生理
一昔前までは、坐骨神経が腰部や殿部のヘルニアや筋により圧迫され、神経絞扼障害を起こすと考えられていた。しかし運動神経は下行性で、知覚神経は上行性なので、腰殿部で坐骨神経の知覚成分を圧迫しても下肢には痛み症状は出現しないのであって、坐骨神経痛で生じる下肢症状は腰殿部筋の下肢放散痛によるものだされるようになった。ゆえに腰殿部筋のコリを緩めることが本質的な価値をもつ治療へと見方が変化した。


4.鍼灸治療
L5やS1の神経根症の症状は坐骨神経痛が出現する。坐骨神経痛は仙骨神経叢(L4~S3前枝)の主要枝であるから、L4やL5の神経根部に刺針することは、高い技術が必要だが理論上は可能である。ただしこのような神経根刺針は、直後の治療効果は別として症状改善に寄与するかは疑わしい。

鍼灸は対症療法だと割り切り、神経痛を改善するという単純な目的に絞って行うのがよい。それには側腹位にて、殿部の最大圧痛点である坐骨神経ブロック点(中国の環跳穴)への置針、それに下肢症状部への置針(パルス鍼でもよい)で10~20分間を行う。すると数日間は良好な状態に保てることが多く、この効果を持続する目的で下肢症状部への自宅施灸を行わせる。

坐骨神経ブロック点刺針:側腹位(シムズ肢位)で実施することが重要。上後腸骨棘と大転子を結んた中点から、3㎝直角に下した点を刺入点とする。2.5寸#5~#8の針で直刺、電撃様針響を下肢に与える.。あえて少しずらして坐骨神経傍の梨状筋に刺針することで電撃様針響をあたえない方法もあって、両者間には治療効果の差はない。しかしながら、響きに過敏な者では電撃様針響は受け入れられない一方、電撃様針響を与えないと鍼灸師の技術が低いとする思い込みの患者もいるので、患者の好みの問題だといえる。


5.患者指導
神経根症は安静が非常に重要である。安静にすることで、次の効果が生まれる。

①局所の炎症が治まることで浮腫も消退して、神経圧迫の程度が軽減する。
②長期的には自ら神経根部の神経が位置を変化させることで、神経圧迫の度合も軽くなる。
③白血球がヘルニアを貪食する。

3週間の安静でもあまり改善しない場合、手術も考慮するが、実際に手術に至る例は100例中数例にとどまる。
腰椎神経根症では、下肢の知覚鈍麻を訴える例も多いが、知覚鈍麻に特化した治療というものはなく、痛みを軽減することで次第に知覚鈍麻も軽くなることを期待する。ただし痛みよりも知覚鈍麻は治しにくい。

間中喜雄著「PWドクター沖縄捕虜記」について(補足あり)

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1.「PWドクター 沖縄捕虜記」とは
間中喜雄先生は、医師となって間もなく招集を受け、5年余を軍隊で過ごしている。この間の最後の1年、すなわち終戦直前から沖縄本島での捕虜生活の様子が、自著「PWドクター 沖縄捕虜記」(1962年金剛社刊)に記録されている。なおPWとは、prisoner of war (戦争捕虜)のことである。私は35年ほど前800円で入手したが、すでに絶版で入手困難である。
間中先生が世間に広く知られる存在になるのは1950年の日本東洋医学会設立時頃からであり、以後は中国、アメリカ、フランス等世界中で講演活動することになる。
本書は、いわゆる"世に出る"前の下地形成"の資料として格好な読み物となっている。

2.間中先生の前半生の年譜
明治44年 小田原生まれ
昭和10年(24歳)京都帝国大学医学部卒業。その後、東京で2年間の外科研修
昭和12年(26歳)父親の代から続く小田原の「間中外科病院」を継承
昭和15年7月(29歳)招集 東部12部隊野戦化学実験部に配属。その後復員。
昭和16年(30歳)宮古島、豊部隊山砲兵第28連隊に陸軍軍医中尉として再度配属。
昭和19年10月 アメリカ軍の宮古島空爆開始、以後連日のように空爆を受ける。
昭和20年9月(34歳)無条件降伏 
昭和20年11月 アメリカ占領軍が宮古島初上陸。捕虜となり、沖縄本島へ輸送。
         屋嘉戦争捕虜収容所で10日間過ごす
昭和20年末 嘉手納第7労働キャンプに移動。医師として10ヶ月間労働
昭和21年12月(35歳) 那覇港→名古屋、復員。10ヶ月間の労働賃金は90ドル。
           (以後省略)

3.PWドクター時代の間中先生の日常
間中喜雄先生(本書では新納仁としている)は沖縄の一孤島である宮古島(本書でM島としている)に陸軍軍医中尉として配属された。宮古島は沖縄の遙か南200㎞下った孤島である。
宮古島に間中先生が配属されて数年後からアメリカ軍の空爆が連日のように始まり、軍事基地だけでなく市街地も廃墟同然となり、深刻な食糧難、非衛生状態の蔓延から、風土病であるマラリアが大流行していた。当時宮古島には、終戦当時、2万人の日本兵がいた。

しかし本書は、そうした凄惨な状況には触れていない。基本的にはユーモラスな自伝であり、終戦宣言後の、混乱状態から書き起こしている。宮古島では激しい爆撃はあったが、アメリカ軍の上陸による戦闘はなかったせいか、戦後に来島したアメリカ占領軍に対しても、敵愾心がおきないらしく、元日本兵は従順にアメリカの指示通りに動いた。
(沖縄地上戦の後に捕虜となったものは、宮古島出身兵と異なり、極限的な体験をしたので、捕虜生活というのは魂の抜け殻のようだったらしい。)

嘉手納労働キャンプで、初めてナマでアメリカ人の社会の一端を知ることとなり、カルチャーショックに襲われた。豊富な物資、機械化、スピーディーな事務処理、あけっぴろげな人間性について、驚きは大きかった。一方、厳しい軍紀下にあった日本軍内での将校や兵も、同じ捕虜として対等な立場になった。いままでの価値観や規律は一気に崩壊した。

本キャンプには、二千名ほどの捕虜が集められたが、英語の達者な者は2名のみ(うち1名は二世)。間中先生も、少々英語を操れるというので、重宝された。
元々秀才だった間中先生にしても、ナマの英語を身近で見聞きするという生活は、初めての訳で、実践英語の良い英語訓練の場となった。手元に辞書がないので、相手の言っていることを推理する他なかった。アクセントを間違えたら、ありふれた言葉も通じないこと。自分は、アメリカ日常用語を知らないことを痛感した。間中先生は、近い将来、国際的に活躍することになるが、その下地が形成されたらしい。
  report→出頭する(報告せよ) observe→出席する(見る)
  火が消える→go out   火を消す→put out    cot→簡易ベッド
  必要である:It is indispensable. →I cannot do without it.
英語では、このDO  TAKE  MAKE  PUT  GO  GET というようなやさしい言葉の組み合わせで、いろいろな言い廻しができる。読み物もないので、米軍娯楽用の小説を図書館から借り受けて読んだ。辞書がないので、判らない字は飛ばして読むのだが、こうした楽な読み方が非常に英語の勉強になるという。

一般兵(将校以外)は、強制労働で、木工、土工、給仕、コック、ペンキ吹きつけ、倉庫番、荷役、掃除など。午前8時出発、作業中止が午後4時、午後5時到着。土曜は半休で午後はスポーツ。祝祭日は休み。食い物は米軍と質・量ともに同じ。きびしく鍛え上げられた日本兵からすれば、非常に楽な生活だった。日本人は働き者が多く、しばらく作業所に通っているうちに信任を得てアメリカ軍の監督なしで作業する者も多くなった。
終いには、爆弾庫の管理、武器の管理まで捕虜に任せた。
敵と戦う必要がなく、食べ物も豊富にあるとなると、暇つぶしの方法が問題になってくる。

捕虜の一人が踊りのお師匠さんがいて、踊りの稽古が始まった。これが高じて、カテナ納涼大会が発足。盛大に踊りの輪ができた。やがて風呂設備や床屋、スポーツ施設(野球、ピンポン、バトミントン、バレーボール、バスケットボール)も完備。収容所同士のリーグ線や米軍と試合するのもできた。土俵もつくり、番付までできた。最も豪華だったのは演芸分隊で、田舎の芝居小屋ぐらいにはできた。この演芸が収容所生活最大の慰安だった。手元には脚本や参考書もないはずなのに、毎週出し物を工夫した。

4.面白かった文章の一部
1)宮古島の対空射撃について:我が軍の対空砲砲火は、まったく敵飛行機に当たらなかった。後期になると、砲弾を節約するため豊式爆弾を使用。豊式爆弾というのは要するに打ち上げ花火のことである。これで飛行機が落ちますか?と問うと「落ちはちまいが、敵は驚くだろう」(大きな音がするので)と答えた。
2)終戦後、宮古島にも飛行機がDDT(新型殺虫剤)を散布。人畜無害なのに、目立って蚊や蠅が減り、その効果に驚いた。
3)宮古島から沖縄本島への輸送船内では、あちらこちらで車座になってサイコロ、トランプなどの賭博横行。湯飲み大の缶詰を2缶配給された。1つはビスケット・レモンジュース・ジャム、もう1缶には、肉や豆が入っている。久しぶりの美味に、こんなうまいもんが世の中にあったのかと思う。
4)かつての大隊長も同じ捕虜キャンプに集められた。間中先生の姿をみて大隊長曰く「やあ貴公もここへ来たかや」と言ったといって、ご機嫌だった。同じ不幸は仲間が多いほど慰められるし、同じ幸福なら仲間が少ないほど得意なものである。
5)カデナ労働キャンプ内には、他に医師もいた。大柄なその医師に身長を問うと、「目の下170です」と奇妙な挨拶をした。
6)毎日、ジャムの5ガロン缶が十人に1つの割合で配給がある(1ガロン≒3.8リットル)。始めは珍しくてペロペロなめていたが、だんだんと飽きて見向きもしなくなる。そのジャムとイーストを混ぜて五ガロン缶に入れておいた。次の日衛生兵が大声を挙げて「できました。こりゃいけます‥‥」とジャム酒をもってきた。甘口のどぶろくと化した。酒の醸造法も、たちまちカデナ全体の流行になった。
7)ラジオが日本の君が代を放送した。日本を敵として戦ってきたはずの米兵たちが起立して敬意を表している。日本の捕虜たちは戦争が負ければ国家もくそもあるものかいといった顔で知らん顔している。

5.間中喜雄の「平和碑」について
私は「PWドクター沖縄捕虜記」を読み、間中喜雄にとって、太平洋戦争が世間一般の常識とは異なり、苦しみの体験とはいえなかったように感じた。まあ戦争体験は、個々のおかれた状況により色々な印象をもつのも当たり前の話だからだ。ところが最近、間中の地元である小田原市郊外の東泉院という寺に、間中作「平和碑」のあることを知った。間中が死去したのは1989年なので、少なくとも30年以上前にはそこにあったことになる。間中は書画の才能もあったので、石像まで自分で彫ったという。石碑の文章をみると、間中の戦争体験が悲痛であったことを改めて知らされた。

 



何のために死んだのか判らない人たちに捧ぐる碑

戦争の狂気が国々を侵すとき無数の
無垢の人々がいたましくもその犠牲になって殺されてゆく

 

 

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