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便秘治療穴としての合谷・神門 ver.1.1

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 1.合谷

1)合谷押圧で、排便しやすくなるか?

十年ほど前、私が主催した勉強会の席上、小宮猛史氏が「排便困難時は、便器に座って左右の合谷を強圧すると排便しやすくなる」(代田文彦編、玉川病院生情報会著「鍼灸臨床生情報②」医道の日本社にも掲載)と、意外な見解を提示した。それを聞いた私は、合谷は大腸経に属するので、そういうことがあるのかとは思ったが、それ以上に話を進展させられなかった。以来この発言内容は、私の中で未解決課題として保留されつづけた。
 
2)骨盤底筋協調運動障害
      
排便しようとして腹圧上昇→骨盤底筋はゆるんで下降→肛門直腸角が直角になる→スムーズな排便。これが生理的な排便機序になる。


肛門と直腸は、立位や仰臥位では肛門直腸角が直角に折れまがっているので、この姿勢では糞便が通過しにくい構造になっている。洋式トイレの場合は椅座で排便するので、肛門直腸角は水平に近づくので、排便しやすい体勢になる。さらに上体を前傾してつま先立ち姿勢にすると、肛門直腸角度はより水平に近づくので、もっと排便しやすくなる。
この肛門直腸角を生むのはで恥骨から直腸を紐でひかっけ、たぐり寄せるような構造になっている。この恥骨直腸筋は肛門挙筋の一つである。
   
※肛門挙筋3種:肛門挙筋:腸骨尾骨筋・恥骨尾骨筋・恥骨直腸筋がある。恥骨尾骨筋はPC筋という名称としても知られ、ペニスが勃起するときにペニス海綿体に血液を送るポンプの役割および海綿体に送られた血液をペニスから体内に戻らないように圧迫する役割がある。PC筋が正常に働かなければ中折れ等の障害を引き起こすとされる。

 
3)合谷押圧の意義
   
上体前傾姿勢にして排便しやすくする姿勢は、ちょうど合谷を押圧する時の姿勢に似ていることを発見した。本稿冒頭で「合谷押圧で、排便しやすくなるか?」との疑問への回答は、「合谷押圧する姿勢をとっていきむことで排便をしやすくなる」のではないかとなる。


4)痔疾に対する孔最の治効理由(三島泰之)

 スムーズに排便できない場合、いきむ力を増すことになる。和式の排便スタイルはでは、膝を相当窮屈にまげた姿勢で、手は自然と結ばれ、前腕は屈筋に力が入った姿勢となる。前腕屈筋群では、孔最穴あたりから手首に向かって一番力が入った状態になる。痔の痛みの中での排便のポーズは、この延長上である。排便困難→いきみ→痔核の悪化という機序をたどる。(「今日から使える身近な疾患35の治療法」医道の日本社刊 2001年3月1日出版)。

 

2.澤田流神門


 
1)澤田流神門は便秘に効果あるのか?
   
代田文誌著「鍼灸治療基礎学」を読むと、「神門の灸(米粒大5壮)が便秘に効果ある」旨のことが書いてある。ただし神門がなぜ便秘に効くのかは、誰に聞いても納得できる回答は返ってこなかった。

2)神門刺針が遠隔部の圧痛に及ぼす影響
(塩沢芳一「刺針と圧痛との関係の研究 第5報 神門について」日鍼灸誌、11巻1号、昭36.12.1)
   
塩沢芳一は合谷の圧痛と澤田流神門の関係を調べた。その結果、合谷の圧痛は神門の刺針によって、 拭うがごとく消退するものが多いことが判明した。また澤田流神門に針をしたとき、中府・膻中・上不容・大巨の圧痛が変化するかどうかを229例調べた。この結果、合谷の圧痛が減っていれば、他のツボの圧痛もとれる傾向にあった。なお澤田流神門に針をすると合谷の圧痛が減り、合谷に針をすると澤田流神門の圧痛が変化することは、代田文誌の日常臨床からも周知していることだったという。


 

以上の報告から、神門刺針は、合谷はもちろん、身体全体の過敏性をゆるめる作用があるのではないかと推定された。その作用の一つが痙攣性便秘ということになる。
塩沢の調査データを見ると神門刺針が全身的なツボ圧痛反応を弱くしていることが分かり、今更ながら非常に驚いている。ただし神門だけがこのような特別な効果があるのか否かは読み取ることができない。
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3)澤田流神門の皮内針で腹痛がとれ、便通のついた症例(奧定由香子氏報告) 

本症例報告は、代田文彦編、玉川病院生情報会著「鍼灸臨床生情報」医道の日本社刊による。
普段から便秘傾向あり。数日前から便秘していたので、起床時に牛乳1杯とコーヒー2杯を飲むと、突然腹部全体に仙痛出現。すぐに排便(普通便)はあったが仙痛不変だった。背部へ施術すると自発痛は治まったが、前屈姿勢・歩行などで腹筋を緊張させる姿勢で腹部がズキーンと痛む。腹痛に効きそうな下肢部穴をいろいろ押圧するも症状は緩解せず。しかし左澤田流神門を押圧しながら前屈姿勢をとらせると痛みはなかった。この穴に皮内針を入れると、前屈姿勢や歩行でも痛みはでなかった。その後毎日便通があったのだが、皮内針をはずすと便秘になってしまた。以上。

この症例で分かることは、澤田流神門=蠕動運動亢進させて便秘を治す、という構図ではなく、澤田流神門=腹部筋緊張を改善というものである。そこから見えてくるのは、腹部筋緊張と便秘の間につながりがりそうだということである。直腸や肛門は副交感神経優位なので内臓体壁反射を起こさないのだが、腹筋緊張が便秘に関係するとすれば、話は別になってくるだろう。神門刺激→前屈姿勢可能→便器で前傾姿勢ができるので肛門直腸角度開く→排便容易との因果関係があるかもしれない。

便秘を、自律神経失調の結果だとする見方は、間違いではないのだが、基本的に鍼灸治療は体性神経に働きかけるものであって、自律神経に直接的に作用させることはできない。もし針灸で、容易に自律神経を操作できるようならば、血圧や体温の恒常性、内臓活動にも支障をきたすので、大変危険な治療ということになりかねない。 

 

 


痔疾に対する孔最刺激の検討 

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1.孔最の語源

正穴名に「孔」の字が入っているのは孔最のみである。一般的にツボは穴という字が使われるので、あえて孔最と命名した以上、何か理由がありそうだと思った。「孔」の語源は顖門(=大泉門すなわち顖会穴)で、骨と骨の間隙を示している。

孔と穴の違いについて、窪んだアナには「穴」、突き抜けたアナには「孔」を使うとの見解もあるが、例外が多いのでこの区別はあまり成立しない。ただ「孔」は、「瞳孔」「鼻孔」などで用いられるように、何かが通っているアナをいう。たとえば「針孔」は糸を通すためのアナのことである。
 
孔最を押圧すると橈骨と尺骨、そしてその両骨間のつくる大きな間隙も触知できる。この間隙を満たしているのは、肌肉しっかりと触知できる肌肉(腕橈骨筋など)や脈中を流れる血(橈骨動脈など)、脈外を流れる気(正中神経など)となるだろう。


2.孔最の位置

①標準孔最
肘から手関節横紋までを、1.25寸と定めた時、前腕前橈側、太淵の上7寸。つまり曲池の下5.5寸である。 
②澤田流孔最
尺沢の下3寸。したがって標準孔最の上2.5寸になる。代田は、実際の取穴は時と場合により上下に移動することが多く、指先の按圧感によりその最高過敏点かつ硬結点を取穴すると記している。

3.孔最の適応
 
「鍼灸治療基礎学」には孔最の適応症として、①痔痛、痔核、痔出血、痔瘻、裂肛、脱肛。ただし脱肛には効かないこともある。②肺尖結核や喘息にも反応が現れ、または治効がある。灸治が適するとある。孔最は肺経上の代表穴なので上記②の効能があると記すのは納得はできるが、痔疾がなぜ効くのかの理由は分からない。
 いろいろな針灸治療書を調べてみると、痔に対する治療穴として孔最の名前があがっていないもの多い。結局孔最が痔に効くことの理由を求めるのは無理で、特効穴としての取り扱いなるのだろうか。
 
昔は形の似たものには共通の作用があるとする考え方があった。たとえば耳孔によく似た岩の割れ目を耳神様と崇め、耳の悪い者が供え物して合掌した。虫歯地蔵も各地に建てられた。煎った大豆を供えて平癒を祈ったという。煎ると殻が割れるが、その割れ目から歯中に入った虫を外に外に逃がそうとする願いがあったと思われた。この類にについては以下の記事を参照のこと。

歯周病に対する局所刺針の方法と女膝の灸 ver.1.8

 

そこで妄想することになるが、孔最穴を深々と押圧すれば、橈骨と尺骨の骨間に指が入り、指の左右は軟らかい肉が隆起して二つの尻のようにも見える。また孔最は肛門に似ていると直感的にひらめいたのではないだろうか。


4.痔核治療の孔最刺激は、座位で強く手を握りしめる肢位にする(三島泰之)

三島は、孔最の主な適応症は痔出血と痔痛で、孔最の刺激を有効にするには、仰臥位で施灸するのではなく、坐位で強く手を握りしめた肢位で行うべきだと記した。針ならば太針を用いて5分~1寸、数分間の手技針を行う。痛みを我慢する姿勢は、歯を食いしばり、上下肢を含め全身に力を入れた状態になる。昔の排便スタイルはでは、膝を相当窮屈にまげた姿勢で、手は自然と結ばれ、前腕は屈筋に力が入った姿勢となる。前腕屈筋群では、孔最穴あたりから手首に向かって一番力が入った状態になる。痔痛に耐えながらの排便姿勢、この延長上である」(「今日から使える身近な疾患35の治療法」医道の日本社刊 2001年3月1日出版)。


5.痔疾に対する孔最刺激の方法(国分壮)
国分壮・橋本敬三共著「鍼灸による速効療法 運動力学的療法」医歯薬、昭和40年4月20日)では自分の治療ノウハウを率直に書いてあり興味深い。

①局所刺激

肛門周辺を押圧すると特定の位置に圧痛点を発見できる。その中心めがけて深く刺入する。この一針だけで痔痛はなくなり痛むことはなくなる。この圧痛点に直接灸するのは具合が悪い。太い線香や蚊取り線香を使い。圧痛点に徐々に火頭を近づける。はじめはポカポカとほのかに温かく快適であるが、さらに火を近づけるとアッと灼熱感を覚えて肛門がキュッと締まる。間髪を入れず火先を遠のける。これを5~6回施すと圧痛がとれる。翌日また圧痛があれば4~5日続ければ圧痛はとれる。

②孔最刺激
灸の治療は必ずしもモグサを必要としない。70℃くらいの温熱感がツボに的中すればよい。直接灸の場合はできるだけ細い艾炷でよい。要するに快適な感覚がツボ周囲に放散すればよい。温灸では刺激部位を広くとらねばならない。

 
6.結論

いろいろと調べると、痔に効くという効能は、痔核限定のようだ。しっかりと反応している孔最の反応を捉えることが重要で、その反応点が結果的に孔最や澤田流孔最の位置にこだわる必要はない。

第8回 針灸奮起の会「内科症状の現代針灸」開催のお知らせ

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先回の令和5年春には、第七期針灸奮起「五官科」の会を行いました。今回は新たに、令和5年10月1日~12月5日に針灸奮起の会「内科」を開催します。内科針灸学を学習できる希有な機会となります。皆様のご参加をお待ちしています。

 

内臓症状の現代針灸テキスト 序文より

よく現代針灸は、整形外科疾患には適しているが、内科などの治療には向かないとの声を耳にする。現代針灸を学習しようとする場合、優先順位として遭遇する機会の多い整形疾患の治療から学習を始めるのが普通なので、内科針灸の学習を後回しにするのはやむを得ない。とはいえ、あとになって内科針灸を学習するのかと思いきや、代表的な内科症状のいくつかに対する基本的治療点を教えるというだけでは、とても内科針灸治療学とよべる内容ではない。針灸師があまり内科に興味を持てないもう一つの原因は、内科学は膨大な知識量なので、何から手をつけてよいのか分からないことが挙げられよう。指導する側にしても、内科疾患を実地で診た経験不足から、自信をもって教えることができないという葛藤がある。
私はかつて病院の東洋医学内科に5年半所属していたので、現代医療に関するある程度の現場的知識と経験を積むことができた。ただし内科の針灸となると、恩師の代田文彦先生にしても質問には答えて下さったが、講義形式で教わった記憶はない。治療法は各人のやり方に任せられてた。要するに内科の針灸臨床体系づくりができる段階にはなかった。
内科針灸学みたいなものをつくくることは夢だったが、その夢の実現に向けて、結局は自分なりにテキストを何十回も書き直しをする中で、少しずつ完成度を高めていく方法をとった。今回の内科講習会では、針灸師が内科知識を現代針灸臨床をどのように取り入れるべきかと、実際の治療方法を示した。

第1章 上・中腹部消化器症状[p23]     
 第1節  内臓体壁反射と体性神経反応 
 第2節  横隔神経と体壁反応 
 第3節 針灸院に来院する胃十二指腸疾患  
 第4節 胃症状の針灸治療 
 第5節 鼓腸と押圧治療  
 第6節 胆道疾患と針灸治療  
    第7節 腹証の現代医学的解釈  

第2章 下腹部消化器症状[p25]
    第1節 下腹部臓器の体壁反射 
    第2節 針灸院での下腹部症状の診察手順  
    第3節 下痢  
    第4節 便秘  
    第5節 下痢・便秘の針灸治療 
    第6節 虫垂炎と針灸治療  
    第7節 S状結腸~直腸の反射 
    第8節 痔疾  

第3章 胸部症状[p24]
    第1節 内臓の自律神経支配区分  
 第2節 狭心痛と針灸診療 
 第3節 胸壁性胸痛の針灸治療
    第4節  動悸・息切れ 
 第5節 咳嗽と喀痰の針灸治療 
    第6節 気管支喘息と針灸治療  

第4章 腎・泌尿器症状[p25]
 第1節 腎・泌尿器疾患と体壁反応 
    第2節 膀胱~尿道と睾丸の体壁反応  
 第3節 排尿痛と針灸治療 
 第4節 頻尿・尿失禁・排尿困難  
    第5節 夜尿症 
    第6節 勃起障害(ED)


1.スケジュール(残席数は、10月11日時点)
            
 第1回 10月1日(日)  上・中部消化器症状   残席11名
 第2回 10月15日(日) 下部消化器症状    残席11名 
 第3回 11月5日(日)   胸部症状 残席11名                   
 第4回 12月10日 (日) 泌尿器症状 残席11名                 

  ※11月19日は、特別講座として徐園子先生によるカッサアドバンスセミナー開催。
  鍼灸が得意とする「痛みを中心とする整形疾患」に対し、カッサと鍼灸の診療対決予定です。
    (詳細は後日お知らせします)

2.開催時間:午後5時30分~8時頃
3.毎回の定員:12名(定員になり次第〆切)
4.持参品:筆記用具程度、   毎回オリジナルカラーテキストを進呈。
  ※開催1週間前頃になったら、参加予定者中、希望する方に対しては、テキストPDFを送付します。
5.講習会費:針灸有資格者7,000円  鍼灸学生6000円 
6.会場:国立市中1丁目集会所

 

6.懇親会:講習会後、駅前の居酒屋で実施(希望者のみ) 

7.受講お申し込み方法
8月11日(金)より受付け開始します。参加御希望の方は、①参加希望会のテーマと開催予定日、②氏名、③住所、④電話 ⑤メールアドレスを、メールまたは電話でお伝えください。 折り返しご連絡を差し上げます。参加費は当日お支払いください。領収書発行します。 お申し込み〆切り日、各回とも開催前日までです。ただし参加者12名に達した場合、その時点で受け付け終了させていただきます。
 
あんご針灸院 似田 敦(にただあつし) 電話042(576)4418 メールアドレスnitadakai825@jcom.zaq.ne.jp

 

切迫性尿失禁が中髎の灸1回で改善した自験例(69才、男)

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1.主訴:突然尿意が強くなり、トイレが間に合わない

2.現病歴

1週間ほど前の就寝中、少々尿意を感じたので、起き上がりトイレに向かって十数歩歩いた。そのわずかな間に、我慢できないほど尿意が強くなった。トイレまであと数歩となった時、我慢できずにパンツやパジャマのズボンだけでなく、廊下やトイレの床などにも小便を漏らした。一度排尿を始めると、膀胱にある尿全部が出終わるまで尿の勢いは止められなかた。それ以降、1日数回は我慢できない尿意が急に出現し、たびたびパンツを取り替える必要があった。こういう状況になって紙製の尿漏れパンツを使おうかとか、寝床のすぐ隣に携帯トイレ(ポリバケツ)を置こうかと考えるようになった。まるで後期高齢者のようであった。

3.診断

切迫性尿失禁であり、その原因となるのが過活動膀胱によるもの。腹圧性尿失禁については、これまで患者の訴えとしては度々あった。笑ったり咳をしたり、重い物を持とうと下腹に力を入れた際に尿が漏れるというもので、その症状を想像することができた。切迫性尿失禁については以前から知識としては知っていたのだが、膀胱が意志とは無関係に収縮した結果、失禁するとはいう状態を身をもって体験した。

4.切迫性尿失禁とその針灸治療効果
 
早速ネットで、本疾患の治療について調べると、抗コリン剤が有効で、服薬により治りやすい疾患と書かれていた。しかしすでに私は糖尿病の治療薬を8種類服用していることでもあり、これ以上薬は増やしたくなかった。では過活動膀胱による切迫性尿失禁の針灸治療はどうすべきかと調べると、北小路博司氏の発表で、中髎から仙骨骨面に対して斜刺し、骨盤神経を刺激するとあった。これは以前から勉強していたことで、日常的に患者に使用している方法でもあった。とはいえ、通常治療には多くのツボを同時に使うのが普通なので、次髎が本当に効いたとする確信をもてた症例は、ほとんど記憶に残っていない。何事も実体験しないと手に入れることができないということだ。
 
中髎に自分自身で針をすることは難しかったので、家内に頼んで左右の中髎あたりにせんねん灸(強力温熱タイプ)をしてもらった。直接灸が良かったのだがモグサをひねる技術がなったので次善の策としてせんねん灸をしたもの。施灸体位は腹臥位でなくアグラ位で上体前屈位とこだわってみた。これは少しでも交感神経優位に誘導しようとする狙いがある。左右中髎に2壮づつ実施。

それから1~2時間経ち、尿意を感じた。トイレを目指して歩くこと十数秒。こみ上げてくるような激しい尿意はなくなり、普通に小用を足すことができた。念のため翌日も同用に中髎のせんねん灸治療を実施。あれから丸2日が経つが、切迫性尿失禁症状はなくなっている。中髎施灸の効果が、これほど強力なものだとは嬉しい誤算だった。


5.中髎刺針の効果の臨床研究結果の整理 
 (北小路博司:泌尿・生殖器系障害に対する鍼灸治療、「鍼灸臨床の科学」医歯薬、2000年9月より引用)

1)中髎刺針の原法(北小路博司)
 
2寸(60㎜)7番(0.3㎜)針を用い、中髎を刺入点とし、45°頭側の斜刺し、刺針転向で仙骨骨膜に沿うように50~60㎜刺入、重だるい得気感覚が得られた後、手で針を半回転する旋捻刺激および2~3ヘルツでの雀啄刺激を左右10分間ずつ行う。これを1回の治療として、基本的に週1回の治療感覚で行った。
これまで八髎穴刺針は、習慣的に針は後仙骨孔を貫通べきだとされていたが、実際にその必要はなく、仙骨孔を貫通しない刺針でも骨盤神経に影響を与えることが重要なことが判明した。骨盤神経に影響を与えるには、8番針にて仙骨骨面にこすりつけるような強刺激の針が効果的だという。

2)中髎刺針の効能の要点

 ・過活動膀胱の収縮過敏を鈍化させる。したがって切迫性尿失禁に効果がある。
 ・内尿道括約筋の緊張を緩めることで排尿困難を改善する。

①切迫性尿失禁
過活動膀胱による切迫性尿失禁に対しては、最大尿期時膀胱容量が増加傾向。切迫性尿失禁患者の60%が、尿失禁の消失ないし改善した。中髎刺針は膀胱容量を増加させる傾向がある(対抗コリン剤と同じ作用。抗コリン剤とは内臓中空内臓の痙攣による疼痛鎮静に使用)。 

②前立腺肥大症(第Ⅰ期)
前立腺肥大症第Ⅰ期に対して、週1回の中髎刺針を行い、平均6回あまり施術した。夜間の排尿回数減少、昼間排尿間隔の延長がみられた。治療終了後は元に戻る傾向があった。
  
③排尿困難に対して
排尿筋、外尿道括約筋協調不全(膀胱機能正常、尿道機能は過活動)による排尿困難6例中、4例で排尿困難が消失、1例は改善した。すなわち中髎刺針には、尿道括約筋過活動を鎮める効果があるらしい。
  
④低緊張性膀胱による排尿困難
神経因性膀胱の一タイプ(膀胱括約筋が低活動、尿道機能正常)で、主訴は排尿困難。このタイプ7例に中髎刺針を行い、1例に排尿困難の軽減がみられた。つまり膀胱括約筋の収縮力を増やすことはあまりできなかった。


※腹圧性尿失禁   
切迫性尿失禁ではなく、腹圧性尿失禁はどのように施術すべきか。斎藤雅一は、中極深刺手技針が有効だった例を紹介した。腹圧痛性尿失禁の70歳女性に対して、中極穴に対して下方に45°の斜刺で4㎝刺入し、得気を得た後10分間半回旋刺激。週1回治療で5回治療を1クールとした。すると、1クール終了時に、尿失禁時の不快感が消失した。(斎藤雅一:排尿障害プラクティスVol.7 No.1. 1999)

 

 

Ⅰb抑制を応用した膝蓋靱帯炎の治療(40才、女性)

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1.主訴:膝屈伸時の、右膝骸骨下際の痛み

 

2.現病歴
満一才幼児の育児でだっこすることが多い。1ヶ月前頃から 歩行で膝を曲げ伸ばしする際に右膝蓋骨下が痛くなり、整形受診して膝蓋靱帯炎との診断を受けた。X線は正常。治療はロキソニン軟膏と痛みが強い時の頓服用としてロキソニン錠、および右膝関節部のサポーターを処方された。
痛み止めを使って、痛みが止まっても本当の治療にはならないと思い、当院に数年ぶりに来院した。

 

3.所見
内・外膝眼と犢鼻に強い圧痛あり。脛骨粗面の圧痛はあまりない。他に陰包、鵞足にも圧痛を認めた。

 

4.考察
大腿直筋短縮→膝蓋骨上方移動→膝蓋靱帯の牽引ストレス。
膝蓋靱帯炎は犢鼻圧痛(++)により明瞭。脛骨粗面の圧痛(-)なのでオスグッドとはいえない。内・外膝眼は撮痛は伏在神経膝蓋下枝の興奮で、鵞足の撮痛は伏在神経下腿内側枝の反応。陰包は伏在神経内転筋管部の神経絞扼障害の反応点だが、非常に強い圧痛とはいえないので内転筋管症候群とまではいえない。
膝蓋靱帯の圧痛だけでなく、伏在神経痛も絡んでいることを示すものだろう。

いつもなら大腿直筋緊張をゆるめる目的で、仰臥位膝伸展位で伏兎・梁丘・血海に刺針して、膝屈曲の介助自動運動を行わせるところだが、同じことばかりしていても進歩がない。今回はⅠb抑制を使って四頭筋緊張をゆるめる方法を試してみた。
 
まず膝蓋靱帯の両側を術者のr両手の拇趾と示指で指で強くつまんで引っぱり上げる、あるいは術者の指先を膝蓋腱下に潜り込ませるようにする(患者は痛がる)。膝蓋靱帯を上から押圧すると非常に痛がるので止めた方がよい。膝蓋腱をつまんだ状態で、患者に膝の曲げ伸ばしを軽くゆっくりと行わせる(患者はさらに痛がるが我慢させる)。
数回この運動を行って術者の指を離す。そして床を歩かせてみる。今まで痛くてできなかった歩行が、痛みを忘れたように普通に歩けるようになった。

これだけでは治療時間が短すぎるので、内外膝眼・鵞足・陰包などの伏在神経反応点にせんねん灸をして治療を終えた。


5.コメント
 
今回の治療は、大腿直筋の端にある膝蓋腱を引っ張り、身体が腱が断裂してしまうことを回避するため大腿直筋緊張をゆるめるというⅠb抑制の臨床応用て治療した。
 なお膝蓋靱帯をつまんで引っ張り上げるという治療手技は、<重症専門TV>光田昌平氏「オスグッドの原因と治し方」ユーチューブ動画をアレンジした。膝蓋靱帯炎でもオスグッドでも治療は大差ないに思う。

       
        
        
        
        
      

喉頭症状に対する前頸部の針灸治療点の整理 ver.1.1

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1.舌骨上筋刺針(舌根穴など)

適応:舌痛症、喉の詰まり感、
位置、刺針:舌根穴とはいわゆる舌の根もとの部分で、下顎骨の正中裏面。寸6#2で直刺1~2㎝数本刺入。刺入したまま唾を飲ませる動作を行わせる。
解説:
舌骨上筋とは、舌骨と下顎骨を結ぶいくつかの筋をいう。顎舌骨筋、顎二腹筋後腹など。
ノドのつまり感は、嚥下の際に強く自覚する。嚥下運動は、咽頭にある食塊を喉頭に入れることなく食道に入れる動作で、この食塊の進入方向を決定するのが喉頭蓋が下に落ちる動きである。この喉頭蓋の動きは喉頭蓋が能動的に動くのではなく、嚥下の際の甲状軟骨と舌骨が上方に一瞬持ち上がる動きに依存している。嚥下の際のゴックンという動作とともに甲状軟骨が一瞬上に持ち上がり、喉頭蓋が下に落ちる動きと連動している。

 

 

2.上喉頭神経ブロック点刺針

適用:上喉頭神経ブロック点に圧痛を認める咽頭部痛。
位置:前正中線上で、舌骨と甲状軟骨の間で甲状舌骨膜部に廉泉穴をとる。ここから左右それぞれ1㎝ほど外方に上喉頭神経孔があり、ここを治療点に求める。
刺針:仰臥位でマクラを外す。上喉頭神経孔に命中するよう、寸6#2で斜刺。咽頭に針響を広がる。
解説:上喉頭動脈という細い動脈で声帯に酸素や栄養を送っている。上喉頭神経が興奮すると、喉のイガイガ感が出て咳込むようになる。これは喉頭内への異物侵入防止のための咳誘発反射といえる。ポッテンジャーによれば、上喉頭神経が興奮すれば喉頭異物感が出現するという。この見解からすれば、梅核気など喉のつまり感には上喉頭神経内枝刺の適応があるかもしれない。


3.輪状甲状筋刺針

適用:高い声が出にくい場合か? 本刺針法が有効かどうかは不明だが、発声に関係している触知可能名筋は輪状甲状筋のみである。
位置:前正中線上で、甲状軟骨と輪状軟骨間に仮点を定め、そこから左右1㎝の処。
刺針:輪状甲状筋に対し直刺1㎝。刺針した状態で発声させると。本筋が収縮し針体が大きく動くのを観察できる。
解説:輪状甲状筋刺針が収縮すると甲状軟骨と輪状軟骨の距離が狭まり、これが声帯靱帯を伸張させ、高い発声を可能としている。つまり輪状甲状筋の緊張は、声の高さを決定する因子になる。

 

4.気管軟骨刺(郡山七二著「鍼灸治法録」の、”気管と喉頭直刺”より)

適応:喉頭や上位気管にに原因のある疾患の鎮咳去痰としての特効。それ以下の気管や胸腔内疾患の鎮咳去痰には効果がない。刺針部には知熱灸を併用。
位置・刺針:気管・喉頭ともに前面と側面から4~5本づつ、1~2㎝間隔で、せいぜい1㎝ほど刺入。軟骨に触れるものを限度にする。特定の部位といったものはないので、適宜に行えばよい。輪状軟骨にづづく気道は気管になる。気管は気管軟骨により内径が狭窄して呼吸困難になるのを予防している。気管には迷走神経が分布している。迷走神経興奮すると、咳が誘発される。
解説:
咳には、ノドから出るものと胸から出るものの2種類があり、患者は咳の出所を自覚できている。喉頭炎はノドから出る咳で、気管支炎や肺炎は胸から出る咳になる。
また咳には痰を伴う湿性咳と、痰のない乾性咳がある。湿性咳の場合、痰を喀出する目的で咳が 出るのだから、治療目標は鎮咳よりも去痰になる。去痰とは痰をなくすことではない(痰を減らすのは一朝一夕にできない)、痰を切れやすくする(痰の粘稠度を緩める、すなわち痰の水分を多くする)ことである。

 

5.下咽頭収縮筋刺

 

咽頭収縮筋には、上中下の3種あるが、治療で用いるのは主に下咽頭収縮筋。

適応:嗄声、良いつやのある声が出せない。
位置:甲状軟骨の外縁と頸動脈の間
刺針:下咽頭収縮筋刺へ深刺、または押圧
解説:中咽頭収縮筋が緊張するとは舌骨を頸椎に押さえつけ、下咽頭収縮筋は甲状軟骨を頸椎側に押さえつける。中・下咽頭収縮筋はは頭に入った食塊を食道に押し込む目的  があるが、同筋が緊張すると喉頭を頸椎側に押さえつけるので、声帯の動きを妨げることになる。本筋の緊張を緩めることで、正しい発声をしやすくする。
枝川直義著「ドクトルなおさんの治療事典」地湧社1983年9月)には、「風邪症状の嗄声とか声が出なくなった人で、前頸部の主として、下咽頭収縮筋とその周辺に超希釈ステロイド剤を注射しますと、その直後より正常な声が出始めるという事実があり、まるで奇術をしているような気になることもある」との記載があった。

 

6.洞刺(とうし)
※洞刺の読みは、ドウシではなく、トウシが正解。1948年 に代田文誌と細野史郎博士が協力して創始した。しかし降圧剤、気管支拡張剤(β2刺激剤)、抗コリン剤(内臓平滑筋痙攣の緩和)、などの薬物療法が進歩した現在、その実用的価値は低下したが、鍼灸発展の経過としての医学史的価値があるといえる。

適応:①血圧降下、②気管支拡張(喘息発作の改善)・止咳など
位置:喉頭隆起の高さで、総頸動脈が、内頸動脈と外頸動脈に分岐する部にある頸動脈洞(ふくれている部)部。
刺針:仰臥位で、左右一側づつ頸動脈洞部の血管壁外壁に刺入。7秒程度刺針(血圧が下がりすぎるのを予防)
解説:

①圧受容体刺激による血圧降下作用
 
頸動脈洞には血圧上昇を感知する圧受容器がある。
血圧上昇時に伴う頸動脈血管の拡張 →舌咽神経を刺激→ 延髄の血管運動中枢を刺激→迷走神経を介して血管拡張による降圧 
極端に降圧する恐れがあるので高血圧に対する場合7秒置針に留め、また両側同時に実施しないこと。ただし降圧効果はせいぜい最高血圧値で10~20程度(最小血圧値は変化ない)と強力な作用はない。現在では廉価で安全な降圧剤が入手できるので洞刺を行う意義は乏しくなった。

②化学受容体刺激による気管支拡張作用

気管支喘息発作時に洞刺を行えば、瞬時に喘鳴が改善して呼吸が楽になると代田文誌は記している。これも現代では気管支拡張剤(交感神経β2刺激剤)の入手が容易になったので、喘息発作の鎮静のため洞刺を行う意義は薄れた。頸動脈小体は、血中酸素分圧の低下を感知する化学受容体。 針で頸動脈洞を刺激すると舌咽神経を刺激するが、これを中枢では頸動脈小体からの信号であると誤認するので、呼吸中枢は血中酸素濃度を増やそうと迷走神経に気管支拡張命 令を送るのではなかろうか。
頸動脈小体が酸素分圧低下をキャッチ →舌咽神経が伝達 → 延髄の呼吸運動中枢 →迷走神経興奮し、気管支拡張


③舌咽神経痛の鎮痛

舌咽神経は、舌根部~咽頭、外耳道、鼓膜を知覚支配しているので、洞刺によりこれらに 鎮痛効果をもたらす。その典型は扁桃炎の痛み。洞刺を行って速効しない場合でも、人迎部に3㎜皮内針を皮下針的に斜刺し固定すると、おおむね24時間以内に鎮痛効果が得られる。(渡辺実:扁桃炎・口内炎の簡易療法、医道の日本 昭58.8)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

居髎と環跳の位置と使い方

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居髎や環跳は、文献により場所が相当違ってくるが、文献的にどちらに正統性があるかを問うよりも、針灸臨床での使い道という観点から整理した方が、実りあるものになるだろう。

1.居髎
 
居髎の「居」とは蹲踞(そんきょ)の「踞」と同じで、尻を踵の上にのせるここと。「髎」とは骨のすきま。要するに正座をした時にできる下腹と大腿間にできる隙間のこと。本間祥白著『図解針灸実用経穴学』によれば、「居髎(胆)は上前腸骨棘の縫工筋付着部の後方、大腿筋膜張筋の付着部、圧して痛むところ」と記載されている。
 この居髎の解剖学的特徴は、鼠径靱帯下に大腿外側皮神経が通過する部であり、神経絞扼障害の好発部位になると思われる。      
 

(別説)居髎の位置は、大転子と上前腸骨棘を結んだ中点とする説もあって、この方が主流だろう。何といっても東洋療法学校協会教科書での居髎はこの位置。
この取穴では、中・小殿筋緊張緩和を治療目標としているようで、この使い方は納得できるものである。しかしながらこの位置に居髎をもっていくと、日本流環跳(後述)とだぶる結果となり、都合上が悪くなる。この部位は日本流環跳に譲ることにした。



 

2.環跳

環跳(胆) は、「環」は丸いことで股関節回転軸のことで、跳躍時に動くことを示している。この語源から、股関節裂隙~大腿骨頭あたりに穴位があることが予想できる。
環跳の位置は大きくわけて日本式と中国式に分類できる。日本式は大転子の前方にとるのに対し、中国式は大転子の後方である。



1)日本式環跳

上前腸骨棘と大転子の頂点とを結ぶ線を3等分し、大転子の頂点から3分の1のところに取る。この部位は前述した居髎取穴の別法によく似ている。中・小殿筋刺針である。

 

中・小殿筋刺針は、単に側臥位で深刺するよりも、横座り位置で深刺行うと非常に効果的な刺針になる。それは硬く緊張した中・小殿筋が筋緊張真っ最中だからである。
 左図のような横座り位になると、重心が右になるのでこれに対抗するため上体を左にひねる。その結果、中・小殿筋に強い収縮が必要となる。その場合、中・小殿筋のコリをゆるめるには、横座り位にして刺針すると効果が高い。


2)中国式環跳

仙骨裂孔(督脈の腰兪)と大転子の頂点とを結ぶ線を3等分し、大転子の頂点から3分の1のところに取る。 

中国流環跳の取穴は、坐骨神経ブロック点とよく似ている。坐骨神経ブロック点は、側腹位にせしめ、上後腸骨棘と大転子を結んだ中点から直角に3㎝下った処にある。坐骨神経ブロック点から直刺深刺すると、梨状筋→坐骨神経と刺激できる。

3.まとめ

①居髎は上前腸骨棘の内縁で、縫工筋の上前腸骨棘起始部にとる。その意義は、鼠径溝で、大腿外側側神経のの絞扼障害の改善。
②日本式環跳は、横座り位置、上前腸骨棘と大転子を結んだ線で、大転子寄りの1/3の部にとる。中・小殿筋緊張の改善目的で施術する。
③中国式環跳は、坐骨神経ブロック点とほぼ同じで、上後腸骨棘と大転子を結んだ中点から3㎝直角に下ったところにとる。梨状筋症候群や坐骨神経痛で使う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

石坂宗哲著『鍼灸茗話』より(兪穴の俗称、妊娠と不妊の治療、五十肩治療のコツ) Ver1.3

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石坂宗哲著『鍼灸茗話』は、江戸時代の鍼灸書の中も広く知られている。そのせいもあって、鍼灸師の基礎知識として学校教育で学習済みの内容が多く、その意味で新鮮味は少ないが、中にはオヤッと感じる記載があるので、いくつか紹介する。なお、鍼灸茗話は、久次米晃訳による。
茗話は<みょうわ>ではなく、<めいわ>と読むのが正しい。「茗」とは遅く摘んだ茶葉のことで、通常の季節に摘んだ茶葉のことは単に「茶」という。すなわち茗話とは、「のんびりと回想しながら書き溜めた茶飲み話」といった意味になるだろう。なお※印は、筆者の注釈である。
『鍼灸茗話』は和綴じ本で、昔は医道の日本社から普通に購入できた。



1.兪穴俗称

1)ちりけ
第三胸椎棘突起下の「ちりけ」は、元々小児の痰喘壅盛(今日の小児喘息)の病名であると鷹取の書にもある。今日の人が兪穴の名前であると思っているのは間違いである(『本朝医談』)。今も関西では小児の急吼喘(=喘鳴)を、「はやちり」とよぶところが多い。

※「壅」(よう)とは、人家を堀や川で囲む、押し込める、塞ぐの意味。この文中では、呼吸しにくいとの意味
※鷹取の書:鷹取秀次著「外科細漸」上中下巻 全3冊  江戸初期 和本 医学書 

2)斜差(すじかい)

すじかいとは、男児では左の肝兪と右の脾兪に一壮ずつ、女児では右の肝兪と左の脾兪に一壮ずつ灸すること。肝兪は風邪に侵入されないように、脾兪は飮食で疲労しないように。小児は気力が脆弱で灸熱に堪えることができないため、左右の肝兪・左右の脾兪という四穴全部に施灸しない。二穴に省略して施灸する。


3)貫き打ち(=打ち抜き)

内果の上四指一夫を三陰交という。また外果の上四指一夫に絶骨(=懸鐘)穴がある。この両者を世間一般では「ぬきうち」の穴とよぶ。打ち抜きの灸とよぶこともある。外関と内関にも貫打ちの灸を行うことがある。向かい合う2穴同時に灸熱を加えるもので、術者が一人でやることは難しい。
※一カ所から灸をすると、病邪は奥に逃げ、逆側から灸をすると、病邪は、元の方に戻る。このような場合、病邪の逃げ場がなくなるよう、病邪を挟む位置にある二穴同時に灸熱を加えるのが良いとの考え方がある。
※四指一夫:第2指~代5指を、指を開かないで揃えて伸ばすこと。


4)井のめ

井のめとは、腰眼のことで、十六・十七椎(第4・第5腰椎)の間で左右に三寸半開いたところの陥凹部をいう。「井のめ」とは亥目である。
※骨盤を後からみた時、イノシシの顔に似ていて、イノシシの目に相当する位置に井のめ(=腰眼)を取穴する。 ハート形なのは、イノシシの目の形がカタチがハートに似ている(実際には似ていない)ことに由来する。災いを除き、福を招くという意味がある。奈良時代頃からお寺や神社などの建築装飾としていたるところに使われている。

 

5)からかさ(唐傘)灸

足の第二指・第三指の間で内庭穴のこと。唐傘灸。(「医学入門」では足痞根している部位でもある)

※「痞」とは、胸がつまる、胸がふさがる、つかえ、腹に塊のようなものがつかえる病気などの意味をもつ漢字)。この部の灸は逆上のぼせを下げるのに効くという。 
※唐傘とは洋傘に対する和傘の総称で、唐代にわが国に入ってきたもの。それ以前の傘は、折りたたむことができなかった。唐笠には別名番傘ともいう。竹の骨組みに油紙を貼っている。洋傘よりも重く大きい。番傘というのは油紙に紛失防止のための番号が振ってある和傘で、貸し出し用として使われた。内庭は、足の五本指が集まるところという点から、唐傘の骨組みの中央にたとえだのだろう。

唐傘は、「番傘」のほかに、「蛇の目傘」ともよばれた。広げた傘を上からみると二重円で内円が黒くぬってあるというデザインがはやった。注意を促す記号として従来から知られていて、蛇の目のようであったことから、蛇の目と呼ばれた。蛇には瞼がないので、ずっと目が開いているように見える。(実際は目の上に透明な瞬膜という膜があり、目を保護している)


※通常の痞根は、L1棘突起下縁と同じ高さ、後正中線の外方3.5寸の部位。L1棘突起下は、後正中から、懸枢→三焦兪(外1.5寸)→ 肓門(外3寸)→痞根(外3.5寸)と経穴が横並びになる。

 


6)かごかき三里

かごかきは、「駕籠かき」の意味。駕籠をかついで人を運ぶのを職業とする人足のこと。ふくらはぎの下の筋溝で陥凹部。人体の中の三魚腹(=下腿三頭筋)のうちの一つで、承山穴がこれ。かごかきは足をよく使うことから、脚の疲労回復のつぼのこと。
※時代劇などでよく見るのは「四つ手駕籠」で駕籠の中では最も軽量なタイプだが、それでも重さは約10㎏はあった(ちなみに大名駕籠は50㎏)。これに人を乗せて運ぶのだから、当時の客人は小柄だったとしても総重量60㎏にもなっただろう。それにしても当時の人夫の体力には驚かされる。ちなみに四つ手駕籠の料金は、一里(4㎞)で、現在の一万円以上もした。
                  

2.求嗣断嗣(きゅうしだんし)

求嗣とは子孫を求めること、断嗣とは子孫を求めないことの意味である。昔から妊娠させること、させないことの方法が論じられているが、顕著な効果をあげたという例は極めて少ない。しかし、まったくだめだと言い切ることはできない。(中略)
 
かつてある人妻が不妊症で私の処にやってきた。診ると臍下に引きつっている部分がある。天枢穴の下にあたるところで、かすかな動きがある。そこを押すと、陰器の奥に響いて痛む。これは疝癖(「疝」とは、生殖器・睾丸・陰嚢部分の病証。体内の潰瘍が外に膿を出す)であり、不妊症になっている原因がこれだと考えた。まず二十日のほど当帰勺薬散を煎じて飲ませ、外陵・大巨の左右四穴に施灸させ、十数日間に七・八回、子宮口と周辺に細鍼で連環刺した。更に毎月十五回ずつ前の四穴に施灸させた。数ヶ月もたたないうちに生理が止まり、臨月になり安産した。(中略)
なお連環刺とは、連環の形(半月を連ねたような形)に刺すもので、営衛の經絡・宗気の流れを漏らさずに取るための治療手技。石坂流の家定三刺法の一つ。

石坂宗哲著『鍼灸説約』に掲載された治験には次のようなものがある。
『銅人腧穴鍼灸図経』1027年製作)では、「中極穴は女性の不妊を治す」とあり、『千金方』(唐代618年- 907年)では「関元は女性に刺針すると子が生まれない」とある。中極穴と関元穴は3寸(1寸の誤りか)離れているだけである。ところがその一方は不妊症を治し、他方は刺すと子供を産めなくなるとある。
これは疑わしい。昔、貧しい商人の家で、毎年出産する者がいた。五、六年で五、六人の子供が産まれた。その夫婦は生活に困り、不妊になるようにしてほしいと言った。そこで試しに関元穴に2寸から3寸刺針し、右門穴に十四壮施灸した。七日間施術して終わりにした。ところが、その人はまた妊娠した。やってきて、鍼は効かないと、私を嘲笑した。

妊娠5ヶ月になるのを待って、関元・合谷・三陰交の三穴に七日間刺針したが、妊娠は良好だった。臨月になって、男子を出産した。安産だった。私はここに至って、昔の人も嘘を書き残すことがあるのだと悟った。

(この見解に対し柳谷素霊は「不妊治療は成功しやすいが、避妊・堕胎は成功しにくい。しかし施術がうまくいけば、避妊・堕胎も不可能ではないが、上に示している避妊の穴に刺針して、内臓収縮現象が起こらなければ効果を期待できない。」と記している。


3.狄嶔(てききん)の言

唐の魯州の刺史庫で、狄嶔という人が風痺(筋肉・関節の疼痛を特徴とする病証を痺証といい、風痺は、とくに風邪が勝っているもので、四肢の関節・筋肉の遊走性の疼痛が特徴)であり、の病気を患い、弓を引くことができず、非常に困っていた。
その時に医師瓢権が治療した。まず嶔に、弓矢を持って弓場に行かせ、立ったまま肩髃穴に刺針したところ、鍼を刺入するにつれて、射ることが自在になったという。

※症状の起こる動き(この場合、弓を引く動作)をさせ、その時出現する局所圧痛点に刺針することが効果を生む秘訣で、これは現代においても針を効かせるための重要なコツともいえる。


頸動脈洞刺の意義 ver.1.3

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1.頸動脈洞刺

1)洞刺(とうし)の開発 ※洞刺は「どうし」ではなく、「とうし」と読む。

1942年、中山(千葉大医学部教授)らは頸動脈球摘出術を施し、この手術が特発性壊疽、喘息、高血圧、狭心症等に著効あることを発表した。これをヒントに頚動脈洞の血管壁に針で刺激する方法を考案した。肺結核患者の訴える呼吸困難・極度の不整脈・高熱に対してこの技法を行ってみると卓効を得た。またある胆石疝痛患者の痛みに対して行うと即時に鎮静効果を得た、というエピソードが洞刺の始まりで、このことを契機として代田文誌と細野史郎(漢方専門医)が1948年に創案研究したもの。
頸動脈洞は、経穴でいう人迎穴がある部であることから、その血管壁刺針を、代田文誌は洞刺(頸動脈洞刺針の略)あるいは人迎洞刺と命名した。


  

2)洞刺の方法
①仰臥位にして、頸を過伸展させる肢位にする。喉頭隆起の高さで胸鎖乳突筋の内縁にある頸動脈の最大拍動部(人迎穴)を取穴。
②寸6~寸3の2番針程度の針で、拍動部からゆっくりと少しずつ直刺する。5分~1寸ほどの深度で頸動脈血管壁に針先を当てる。なお当たったか否かは、少し刺入しては術者の両手を針から離し、針の動きを見る。脈拍に一致した針柄の動きが観察できれば正解。そのまま7秒~数分間(病態により異なる)置針した後、抜針する。




2.洞刺の意義
代田文誌先生の記す適応症を個々に考察する。

1)圧受容体刺激による血圧降下作用

頸動脈洞には血圧の上昇を感知する圧受容体がある。血圧上昇すると頸動脈血管が拡張する。この反応を舌咽神経が捉え、延髄の血管運動中枢に信号を送る。すると血管運動中枢は迷走神経に信号を送り、血管拡張させ、血圧降下が起こるという仕組みになる。したがって洞刺は、高血圧時に血圧を下げる目的で行う適応が生まれる。しかしながら、この血圧降下は、正常血圧者では10~20㎜Hg程度(最高血圧150㎜Hgであれば時に50㎜Hg降下することもあるという)に過ぎず、反応は一過性である。洞刺が開発されたのは今から70年以上前の話であって、現代では効果的で安全で安価な降圧剤が広く普及しているので、応急処置は別として、高血圧の治療としての洞刺は適切な治療とはいえず、廃れてしまった。

なお血圧降下目的で行う洞刺の置針時間は左右とも7~10秒程度にするべきで、長時間の置針は人によっては血圧降下し過ぎる危険があるという。実際、洞刺を十分学習していない者が、洞刺の針に低周波通電10分ほどしたことがあり代田文彦先生を驚かせたが、実際には何の副作用もなかったということだ。


2)化学受容器刺激による気管支拡張作用

気管支喘息発作に洞刺を行えば、喘鳴が改善し呼吸が楽になると代田文誌は記し、実際にも有力な手段であることは確からしいが、この機序はよく分かっていない。滝島任ほか著:気管支喘息の鍼治療 気道抵抗連続側的による評価(日本医事新報 昭和54.12.29)によれば、「頸動脈洞には迷走神経からの線維を受け取っているので、迷走神経の鎮静化が治効を生むのであろう」と述べるに留まっている。

周知のように頸動脈洞部には、頸動脈洞とは別に頸動脈小体とよばれる直径1~2㎜の組織がある。これは血中酸素分圧の低下を感知する化学的受容器である。酸素分圧低下という信号は、舌咽神経により延髄の呼吸中枢に伝達される。呼吸中枢は、迷走神経興奮を弛めるよう命令が出され、これにより気管を広げるようになる。鍼で頸動脈洞を刺激すると舌咽神経が刺激されるが、これを中枢は頸動脈小体からの刺激だと誤認するので、呼吸中枢は血中酸素を増やすために、迷走神経に気管支拡張命令を送るのではないだろうか?

洞刺は気管支喘息発作時の鎮静に用いられるのだが、鍼灸治療院に来院することは喘息発作時には困難である。また現代の喘息治療は必要十分な量のステロイド剤吸入であって、発作に至る前に処置することになる。一方入院レベルの重度気管支喘息(肺性心)患者には、ほとんど洞刺の効果がないという事実がある。すなわち施術する機会は非常に限られるものになる。

3)舌咽神経痛の鎮痛

舌咽神経は、下根部~咽頭、外耳道、鼓膜を知覚支配しているので、洞刺によりこれらに鎮痛効果をもたらすことが知れる。代表疾患は扁桃炎。
速効しない場合には、人迎部に3㎜皮内針を皮下鍼的に下から上へ斜刺し固定する。おおむね24時間以内に扁桃炎症状は完全に治まる(渡辺実:扁桃炎・口内炎の簡易療法 医道の日本 昭58.8)という。

4)亜急性リウマチの鎮痛

代田文誌のいう「亜急性リウマチ」という言葉が、現在では何を意味するか不明であるが、慢性関節リウマチやリウマチ熱とは異なるようだ。
慢性関節リウマチ四肢痛に対する洞刺は、ほとんど鎮痛効果がない印象を受ける。

ただし私は過去28年の臨床中、興味深い症例を2回経験した。数週間来、四肢の多関節痛を訴えて苦しんではいるが、訴える関節部にはまるで圧痛を始めとする炎症所見がないケースであり、ともに1回の洞刺で症状消失したのだった。このことを代田文彦先生に報告すると、結合織炎ではないか?との一言だった。もっと詳細にお聴きすべきだったと後悔している。

慢性関節リウマチの疼痛や関節変形は、昔から医療における難題だった。数年間痛みをとればよいだけなら麻薬を使う手もあるが、本疾患は基本的には命にかかわる疾患ではないのでそうはいかない。かつて薬はできるだけ使わず様子をみて、改善しなければ消炎鎮痛剤、次いで抗リウマチ薬、悪化すれ強力な抗炎症薬であるステロイド薬を使った。「強い薬には強い副作用がある」との考えがあったためだが1990年頃からRAは発症後の最初の2年間で、骨破壊が進行することがわかり、薬物の使い方に変化した。 

身体の中でリウマチを悪化させるタンパク質あることは知られていて、そのタンパク質の作用と症状を抑えて関節の破壊を食い止めるリウマチ薬がいくつも開発され普及した。初期にはメトトレキサートなどの免疫抑制剤など強い薬を使い、それで効果不足であれば生物学的製剤のエンブレルやレミケードも併用して関節の変形や機能低下を防ぐようになった。
ある病院のデータでは、2000年頃の慢性関節リウマチの寛解率は8%だったが、2014年に50%に達した。 

※抗リウマチ薬:1990年代。代表はメトトレキサート(商品名リウマトレックス)で第一選択薬(免疫抑制剤)になる。関節リウマチを起こす免疫異常に作用し、病気の進行を抑える。痛みを直接抑えるのではなく、関節の軟骨や骨破壊を抑えることで、関節の痛みや腫脹が軽くなり、関節痛が改善される。 

生物学的製剤:2000年代。関節破壊に直接関わる物質(炎症性サイトカインTNFαなど)や細胞の活性を抑える。生物学的製剤は一般に高価。副作用は感染症に脆弱。レミケード(点滴注射)・エンブレル(皮下注射)・シンポニー(皮下注射)  

※生物学的製剤:バイオテクノロジーにより、生物がつくりだすタンパク質などから生成された(従来薬は、化学的に合成されたもの)。細胞から分泌される蛋白質の一つにサイトカインがる。これは他の細胞に情報を伝える働きをもつ物質だが、リウマチ患者ではサイトカインの働きが過剰になってリウマチが悪化する。生物学的製剤には、このサイトカインの作用を抑える薬やリンパ球の活性化を抑える薬がある。副作用は易感染。
最新薬はシンポニーで4週間に1度の皮下注射となるが、3割負担で1回4~7万円弱(2019年)かかる。

 

5)胃痙攣・胆石疝痛

胃痙攣は、現代でいう胆石疝痛に相当するとされる。胆石疝痛の痛みは、尿路結石と同じように迷走神経過剰興奮による中腔器官痙攣によるもので、体幹症状部に交感神経刺激目的の強刺激の針灸をすれば鎮痛するのが普通である。
洞刺激→舌咽神経→中枢→交感神経緊張作用という機序が作用するのであろう。

開業針灸にとって胆石疝痛はあまり縁のない症状だろうが、本症に緊急入院した患者に対し、側臥位にて魂門(肝兪外方1.5寸)に起立筋深層筋膜に向けて斜刺すると、数分後に鎮痛できた経験がある(数時間後に痛み再発)。ただし、このことを患者の担当医師に報告すると、ほとんど興味を示さなかったが。痛みをとるだけなら非ステロイド系消炎鎮痛剤を使えばよいことを知っていたからだろう。内臓痙攣痛に使うブスコパンではなく、ボルタレン等の消炎鎮痛剤が適応になることをもって、鍼灸が胆石疝痛にも効果あることを推定でき得る。

 
3.現在での洞刺の価値
 
現在でも頸動脈球摘出術は医科診療報酬点数表に載っているが、すでに過去の医療技術となっている。一方、洞刺を開発してすでに70年が経ているが、洞刺のことは針灸臨床の場でもほとんど話題にならなくなった。薬物療法の進歩により相対的に洞刺の価値は目減りしたのだろう。筆者が実際に洞刺を試みても、①②にあまり効いた印象をもっていない。咽喉痛に対しても速効するわけではない。③の胆石痛に対しては未追試(胃倉刺針の方が効果確実なため)。

代田文誌の年譜(代田文誌の鍼灸姿勢その1)ver.1.3

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 1.「鍼灸真髄」を著した頃

代田文誌先生(以下敬称略)の鍼灸は、前半生が沢田流太極療法、後半生は現代鍼灸に変化したことはよく知られている。沢田健の神業のような治療効果に仰天し、心酔したことは「鍼灸真髄」に詳しく記されているが、文誌の年譜を調べてみると、沢田健の治療を初めて見学した時は、文誌は鍼灸免許を取得して、わずか1年しか経過していないことを知った。すでにこの段階で、沢田流を受け入れる下準備ができていたことに驚いた。
 
ところで沢田流太極療法とはどのような治療法なのだろうか。今となっては、その名前だけしか知らない鍼灸師が多くなってしまったので、その概要を解説する必要があるだろう。これは次回ブログに書くことにする。

 


2.科学派鍼灸への転向

また文誌の後半生は、現代鍼灸に変化したが、私は沢田健の治療である沢田流太極療法に見切りをつけた理由が知りたいと思うようになった。これについては「經絡論争」(昭和24~25年頃)の時期、經絡肯定派と經絡否定派との間で、医道の日本誌上で討論がなされたが、それについて文誌は次のように記した。

「古典を古典のままに学びとり、これを生ける人体に応用し、それによって古典の真価を証明するとともに鍼灸古典の中に伏在する科学性を見さんとしたと述べた、さらに古典を生ける人体に合わせて実験し、死物の古典を以て生ける活物の人体を読んで、古典の真意をすっかり体得してから、然る後に現代科学を以てこの生ける事実を批判し解刻し、そこに伏在する科学的真理を探り求めねばならぬ」
 
すなわち文誌の求める鍼灸とは、古典鍼灸ではなく科学的針灸だったことが理解でき、ライフワークとして鍼灸を研究する順序として沢田流鍼灸から入ったとみるべきだろう。
 まさしく守破離を地でいった人であった。經絡論争にみる代田文誌の発言を、もう少し詳しく見ていく必要があるだろう。これは次々回ブログで書く予定にする。

上写真は、Data Chef によりモノクロ画像を、疑似カラー化した。

 

3.代田文誌年譜

<世に出るまで>

1883(明治16) 医制免許規則布告。漢方医排除された。ただし一般大衆に親しまれた鍼灸術は、一般の家庭で盛んに実施され続けた。
1990(明治33)  長野県飯田市の農家に生まれる
1911(明治44) 按摩・針術・灸術の営業取り締まり規則が発布。
1920(大正9)20才 正月に喀血、東京私立錦城中学校を結核にて中退。この闘病体験が以後の死生観に大きく影響し、仏門に入る。この年、マッサージ術、柔道整復術の営業取り締まり規則が発布。
1926(大正15)26才 早稲田大学文学部通信教育卒。
 鍼灸術検定試験合格し鍼灸師となる。当時は針灸学校というものはなく、鍼灸師の元で4年間以上修業をしたという証明書があればそれが針師灸師試験の受験資格となり、試験を経て鍼灸師となることができた(鍼灸師免許という大層なものではなく業として鍼灸してもよいという鑑札だった)。代田文誌は飯田市の盲人鍼灸師の処で「4年修業した」というニセ証明書を書いてもらい、ともかく鍼灸師になることができた。今となっては考えられないことである。
(皮内鍼で有名な赤羽幸兵衛も、当時のカネで金5円で証明書を書いてもらった。)

※20才~27、8才まで、結核により長い療病生活を過ごしていた。

<第1期(沢田流鍼灸と現代医学の研修時代)>
1927(昭和2)27才  沢田健氏に師事(以降12年間。沢田健死去まで)、 同年母、やすえ死去
 (沢田健氏の見学を見学し始めた段階では、ほぼ針灸臨床経験ゼロだった)
※沢田健は1877(明治10年)大阪の剣道指南の家に生まれた。青年時代に京都武徳殿で柔術を修業し、活殺自在の法や接骨術を習得。青年期、朝鮮に渡り、釜山で鍼灸治療所を開設。
1922(大正11年)、後に沢田健の門下生となる城一格氏の招きで、45才で日本へ帰国。城氏は沢田に鹿児島で針灸免許を取得させようとしたが、灸の免許取得はしたが針の免許は取れなかった(当時の都道府県の針師灸師の認定試験の合格率は20%前後)。東京で開業。関東大震災(1923)で一切を焼き尽くすも、再び小石川雑司ヶ谷にて治療院を再開。
※代田文誌著の沢田健治療の見学記「鍼灸真髄」は昭和2年~昭和12年のもの
1929(昭和4)29才 東大の医学解剖学教室で勉強(以降2年間)
1930(昭和5)30才 父、代田安吉死去(昭和2年の母の死後、父も生きる気力を喪失)
1931(昭和6) 31才 長野県日赤病院研究生(以降3年間)
    昭和8年頃から東京は上野駅前の旅館「東洋館」で出張治療開始。月1回、治療日は一両日。
1936(昭和11)36才 長野に移転
1937(昭和12)37才 結婚(夫人の名前は、やゑ)
1938(昭和13)38才 澤田健は疔を背中に発病。同年61才にて死去 
文誌は、この年より終戦頃(昭和20年)まで、茨城県東茨城郡内原村にある満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練所の衛生課顧問として、灸療所の開設および開拓医学の指導を行なってきた。この施設で訓練を受けた者たちは満州へ送られたが、敗戦と前後してソ連軍が満州に侵攻したことにより、落命した者も多い。 

 

<2期(GHQ旋風と科学派鍼灸の確立へ)>

1939(昭和14) 39才 代田文彦(元、東京女子医大教授)出生
昭和8年この頃、1944(昭和19) 44才 長野市で開業。倉島宗二、塩沢幸吉らと共同で臨床に従事(1966年, 代田68才)まで。代田文誌は、末尾が、7、8、9のつく日。すなわち月9日間担当。
他の二名の先生も同様に月9日づつ担当した。 この頃の東京出張は、東大正門前の新星学寮で施術。治療は6畳、2組の布団。助手を1~2名使って非常に多忙だった。治療費は初回500円、次回以降は400円。
もぐさ一袋30円。なお 同時期、長野市で行った治療代金は、初回170円、次回以降130円だった。
  ※新星学寮とは、篤志家H氏が主として優秀学生のために共同管理、共同経営した学生寮。  
  毎月、月初めの、一両日。東京以外でも松本・上田等でも出張治療。これは日帰り、または一両日の治療だった。
1945(昭和20) 終戦
1947 (昭和22)  昭和21年、日本国憲法制定に伴い、GHQは鍼灸禁止令を指示しようとしたが、
  石川日出鶴丸(当時、三重医学専門学校長)は「鍼灸術ニ就イテ」という陳情論文を提出。また同年、代田は日本鍼灸医学会の再建を決意。
元京都大学生理学教授の石川日出鶴丸博士の門下に入り、求心性自律神経二重支配法則などを学ぶ。
1948(昭和23)48才 鍼灸術禁止令解除。日本鍼灸学会発足
  金沢大学病理学教室石太刀雄博士の下で内臓ー皮膚血管反射の研究開始。
1949 (昭和24)49才 皮電計について研究開始。東京小石川にて開業
  ※この頃から約2年間、「經絡論争」が起こった。經絡否定派は、代田文誌、米 山博久。經絡肯定派は、柳谷素霊、竹山晋一郎ら。昭和25年米山はついに「經絡非否定論」を医道の日本誌上に発表。
1951(昭和26)長野県鍼灸師会初代会長(昭和40年まで)
1960(昭和35)日本針灸皮電研究会(現、日本臨床鍼灸懇話会)を発足
1967頃(昭和42頃)67才 東京の井の頭公園傍に移転し、針灸院開業
1974(昭和49)74才 死去

澤田健「十二原之表」の解説

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ko1.代田文誌、「十二原之表」との出会い

上表左の一文:
上表は、『鍼灸治療基礎学』中のもの。<毎朝六十六難の図に対し、原気の流行・衛栄の往来を黙座省察することで身中の一太極を知り、自らを万象にぴったりと符号する態度を貫き通す>広岡蘇仙の言(『難経鉄鑑』の著者)

 

代田文誌が長野で鍼灸治療を開始して間もない頃のこと、東京市雑司ヶ谷の澤田健の治療院に初めて見学に行った(満27才)。『鍼灸神髄』にはその時の状況が書かれている。治療室に入ってまず目に入ったのは、「五臓之色体表」と、「十二原之表」だった。十二原の表は初めて目にするものだったので、「どうか御説明を」と御願いしたが、「簡単に説明できるものではない。毎日見ていればよい。そのうちにわかってくる」と叱咤されてしまった。「五臓之色体表」と「十二原之表」は、巻紙に毛筆で記し、記念の書として何人かの弟子に贈ったようである。私も現物を見せてもらったが、気合いに満ちた見事な筆使いであった。
     
 沢田流太極療法 (代田文誌の鍼灸姿勢その2 ) Ver.1.5  2021-01-08 
https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/90e2d4cb08485c0c8c12a8780dd7d6e6

 

2.「十二原之表」の解説

「十二原之表」の説明は、結局『鍼灸神髄』の中で示さなかったが、その13年後に著した『鍼灸治療基礎学』で説明している。この「十二原之表」は難経六十六難の内容(十に経絡それぞれの原穴を明記)を示すものだが、それに澤田流独自の考え方も表している。『基礎学』の説明にしても難解なので、ここでは平易に説明したい。

<要点>
①十二原穴の部位は、三焦の気が運行して出入りし、留まる部位でもある。
ゆえに五臓六腑に病あれば、所属する経脈の原穴を選穴する。

②原気には、先天の原気と後天の原気の2種類ある。先天の原気とは生まれながらにして体がもっている精気である。後天の原気とは宗気(酸素)・栄気(飲食物)・衛気(小腸の乳糜管にて食物中の栄養素)を介して、いずれも体内に入る精気である。
 
※上の衛気の<小腸の乳糜管にて食物中の脂肪分>との説明は唐突のように見受けられる。これは三谷公器著「三焦論」の影響を受けている(詳細後述)。若かりし頃の澤田は三焦の正体に悩んでいたが、「三焦論」の読後、考え方が大いに進歩したと述べた。

③後天の原気である宗気・栄気・衛気を取り込んで生化学反応を起こさせる反応炉であって、換言すれば<内部環境>の保全が三焦の役割である。三焦とは熱で三焦とは人体の3つの熱源(=体温発生源)のこと。先天の原気と併せて人間の生命活動を生み出している。この三焦を特に重視したことが澤田健太極療法の特徴である。これは生理学でいう恒温動物の深部温度のことで、内部環境保持のため一定温度(ヒトでは37℃)に保たれていことが生理的になる。このような環境下で、初めて五臓六腑を正常に機能させることができる。

④従って治療に際しては、まず三焦に流入する宗気・栄気・衛気の状況を是正することが第一で、次に五臓六腑の十二原穴の是正という順番になる。三焦経の原穴である陽池の灸を重視したのは、三焦を整える意味からである。

⑤この原気の根は臍下丹田(臍下3寸で関元穴)の腎間の動悸(腹大動脈の拍動)でみることができる。すなわち臍下丹田は原穴の元締めに相当する。腎間の動悸で、人間の原気の虚実をうかがう。たとえ重病と思えても臍下丹田の動悸がしっかりしていれば治療しやすい、といった判断をする。


3.『解体発蒙』にみる三焦論          

三谷公器は、西洋医学の内容を中国医学で折衷しようと試みた江戸時代後期の医師で、杉田玄白ら著『解体新書』出版の40年後に『解体発蒙』を出版した。屍体解剖を通じて、小腸壁から上に伸びる多数の乳糜管を観察、乳糜管が集まってリンパ管に吸収され胸管中を流れる胸管になるのを観察した。下の図は内臓を背中側から観たもので、乳糜管の走行が見事に描かれている。三谷はこの中を流れる液体を栄液と訳し、チノモト(血の素)とした。チノモトは肺気を受けて血液とするとした。
この乳糜管内で、乳糜と水分が混じり温められて上昇することは、生(せい)石灰に水を注ぐと、温度上昇するようなものであろうと記している。ちなみにこの化学変化による温度上昇は、日本酒や弁当を温めることに利用されている。

『解体発蒙』の三焦論 に啓発された澤田健は、明治5年に復刻版を完成させた。その行動力には舌を巻く。  

 

4.澤田健と難経の取捨選択

澤田健の治療は、五臓色体表と、難経六十六難をベースとしたが、後に出現した経絡治療派のように難經六十九難(子母補瀉論)や難經七十五難(相剋選穴論)は治療に利用しなかった。澤田健は脈診も遅速虚実程度であって、三部九候の脈は治療に取り入れなかった。代田文誌も脈診は行うことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

臓腑の官職 ver.1.1

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古典「素問」霊蘭秘典論では、臓腑の機能は古代中国の官職に例えられている。臓腑の機能は、これだけにとどまるものではないが、官職に例えることで、親しみやすくなっている。臓腑の官職については、これまでにも大勢の人が説明しているが、私も整理してみることにした。
なお官職の説明の最後は、ほとんどが「○○出ず」となっているが、これは出ないという否定形ではなく、どうして出ないことがあろうか、という反語表現であることに留意すべきである。

 
  ①肝    将軍の官                                        
  ②胆    中正の官
  ③心    君主の官
  ④小腸   受盛の官
  ⑤脾    倉廩(そうりん)の官 
  ⑥胃     同上
  ⑦肺    相傅(そうふ)の官 
  ⑧大腸   伝導の官
  ⑨腎    作強(さっきょう)の官 
  ⑩膀胱   州都の官 
  ⑪心包   臣使の官 
  ⑫三焦   決瀆(けっとく)の官 

 
 
1.肝        

将軍の官、謀慮出ず   

肝は「月」+「干」で、干は幹の原字。身体の中心となる幹のことでその重要性が知れる。「謀慮」とは人間の思考のこと。将軍が君主の下で全体を統率するように、肝は身体中央にあって思惟・精神活動に深く係わるとのこと。
肝は木の枝葉のように、のびのびと伸びているのがよく、この状態であれば気を身体中に巡らせることができる。すなわちこれが気合いを入れた状態。
「肝」の機能が失調すると情緒が不安定になる。とくに肝の「疏泄機能」(全身に気を巡らす機能)は人間の精神状態に非常に影響されやすく、ストレスを感じるとすぐに失調すやすい。
  


2.心    

君主の官、神明出ず

「心主血脈」ともいい、血液の運行を制御する意味になるが、より重要なことは、心は君主のように一国の統帥の位置にあり、協調統一的な生命活動を維持するための「神明」すなわち神のような英知を生むことである。


3.脾・胃      

倉廩(そうりん)の官、五味出ず

脾と胃は不可分の関係があって、胃は受納をを主どり脾は運化を主る。内経では「脾と胃は膜をもって相連なる」とあるとあり、脾胃は不可分の関係にあることを指摘している。
「倉廩」は米殻の倉庫、「五味」は気血に化生する源のこと。胃から分泌する津液により飲食物を消化をして気血に変換し、五臓に送り届ける。


4.肺     

相傅(そうふ)の官、治節出ず

「相傅」とは補佐の意味。ここでは君主である心の補佐官のこと。「治節」とは肺の主な生理機能を包括的に説明したもで、肺が呼吸運動を調節することで呼吸が規則的に行われ、同時に全身の気機(昇降出入)が正常に行われて血液の循環も維持され、津液の代謝も管理・調節される。

 

5.腎    

作強の官、伎巧出ず
 
「作強」とは、重労働に耐える強者、「伎巧」とは聡明で智恵にまさり精巧多才なこと。
作強の官とは、腎が他臓器の作用を促進することを意味する。腎のこのような作用は、一口でいえば活力の源で、腎は精を蔵し、髄を生む結果、足腰を強化し、生殖や生長を担う結果である。



6.心包    

臣使の官、喜楽出ず

「臣使」とは君主の代行として、心に代わって喜楽を伝える。

 

7.胆        

中正の官、決断出ず        

「中正」とは不偏の意で、公平、正確の意味を含み、「決断」とは決定、判断のこと。公平中立な立場の役人である裁判官で正邪を分ける役割。腸道と膀胱中のかすや排泄物とは異なり、胆汁はけがされていない。ことから「胆は清浄の腑なり」ともよばれる。
※肝は計画、胆は実行され、戦術の決断は、胆に依拠して初めて下される。

 

8.小腸   

受盛の官、化物出ず
 
「受盛」とは、受け入れ器に物を盛ることで、予算配分する役人のこと。「化物」とは、消化して変化させる意味で、胃が消化し脾が吸収した飲食物の残渣の中から、さらに有用なものを吸収する一方、不要な水分を膀胱へ送って小便とし、不要な固形のかすを大腸に送り大便とする。小腸の機能が失調すると、これらの分別が不十分なまま大腸に送られ、下腹部痛や下痢などの原因となる。

 

9.大腸   

伝導の官、変化出ず

「伝導」とは、大腸が糟粕(しぼりかす)を輸送する通路。「変化」とは、糟が変化して糞便となって体外に出し、腸内にとどめないこと。。
胃で消化したものが小腸で更に消化吸収され、その糟粕が今度は大腸に集められ、糟粕を糞便に変化する。
大腸が失調すると、腹鳴や下痢や便秘といった排泄障害がみられるようになる。

 


10.膀胱    

洲都の官、津液蔵す

「州都」の原意は中州(川の砂州)に住居し得る場所で、ここでは膀胱が、水(小便)を貯蔵し、一定量集まると排出することをコントロールする、これらを管理する地方(体の下部にあるので)の長官。
なお膀胱と表裏をなすのは腎で、小便は、腎の気化作用により作られ、膀胱に送られる。ここでの気化作用とは、気が変化して水になるという意味。
   

11.三焦    

決瀆(けっとく)の官、水道出ず

「決」とは、疏通の意である。「瀆」とは溝で。「決瀆」とは水道を疏通すること。三焦は溝を切り開き水を流す官吏に例えらる。体内の水液を上下に流通し、体外に排出することを管理する。上焦で病気を治せないなら、水は高原で氾濫する。中焦であれば水な中?に滞留する。下焦ならば水は二便で乱れる。

 

小児鍼の歴史と疳の虫の治療 ver.1.2

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筆者は2011年5月27日、「小児かんの虫の鍼灸治療」と題したブロクを発表したが、最近、長野仁・高岡裕「小児鍼の起源について 小児鍼師の誕生とその歴史的背景」(神戸大学大学院医学研究科内科系講座小児科学分野ゲノム医療実践学部門)平成 22 年 7 月 20 日受理の論文(ネット上で公開)を読む機会があり、小児針に対する今日の常識的理解が誤りであることを知った。この論文の知見を含めて、小児針法について書き改めることにした。小児鍼の歴史は、小児特有の胎毒や丹毒に対して、刺絡することが原点だったが、明治時代になって鍼師が鋒鍼(刃物のような鍼)を使うことが禁止されたため、按摩針とよばれた擦ったり叩いたりする軽刺激の鍼に変わったという経緯があったという。

長野仁、高岡裕:小児針の起源について
http://jsmh.umin.jp/journal/56-3/56-3_387.pdf

 
1.乳幼児の二大疾患であった胎毒と丹毒
   
かつて、わが国では胎児が胎内にある時、胎内の毒物により病気になった状態を、胎毒や丹毒によるものとされた。胎毒は毒が体内に留まった状態、丹毒は毒が皮膚に発した場合であった。

1)胎毒
 
    

①本態
かつては胎児の間に蓄積した毒が、出生後の体内に残存することによる。戦国~江戸時代初期には、幼児~幼児期に起こる大半の病気の原因になると考える説もあったほどだった。
②症状
脂漏性湿疹。新生児黄疸・高熱。拡大解釈されて頻繁な発熱、自律神経不安定(夜泣き、熱性けいれん=ひきつけ)
③治療
散気を目的として刺絡。
 

2)丹毒

①本態
連鎖菌による膿痂疹。年齢、季節を問わずに生じ、黄褐色の厚い痂皮と周囲の発赤を特徴とする。かつては胎児の間に蓄積した毒が、出生後の皮膚に発現したものとされた。最近では乳幼児よりも免疫力の低下した高齢者に多くなった。俗名とびひ。飛び火するように、身体のあちこちに痂疹が出現し、他者に接触感染しやすい
②症状
悪寒発熱を伴って境界鮮明な浮腫性の紅斑が顔面や下肢に皮膚に発生する
③治療
かつては刺絡したが現在では鍼灸禁忌。皮膚科で抗生物質治療が行われる。抗生物質の服用が必要になる。
 
3)丹毒と散気(チリゲ)
   
チリゲとは中国医書に所出のないわが国特有の概念である。丹毒の和俗名を散気(または塵気)とよんだ。チリゲとは、本来は丹毒という皮膚病の別称であり、小児疳の虫のことをいうようにもなった。さらには灸点を意味することにもなった。つまりチリゲは皮膚病→疳の虫→チリゲの灸というように意味が変化した。今日、チリゲというと小児疳の虫の治療で行う身柱穴の灸というように意味が限定されてしまった。

※江戸時代後期の石坂宗哲著「鍼灸茗話」によれば、「ちりけ」は、兪穴の名前ではなく、元々は小児喘息の病名のことをいうとある。


2. 疳の虫
 
1)概念                               
   
かんの虫は民間用語であり漢方では疳という。「疳」は肉食甘物を食べるものに因を発する。具体的には、母親が肉類過食等で与えた結果、母乳成分に異変がある場合、または乳児に歯が生えた後も母乳を与え続ける場合によるとされる。
     
また「癇」との意味もある。これは痙攣を主症候とする病変をすべて包括する概念で、癇癪(かんしゃく)の癇である。おもちゃ売り場の床にひっくり返って大声で泣き叫ぶなど。
   
※乳幼児の離乳前後(生後8~10ヶ月)に多い。子供に乳歯が生え始めるは生後6ヶ月前後であり、2歳頃までに完成する。歯が生えてきた後も母乳を与え続けることは、子供に疳が生ずるので好ましくない。現代では、離乳は5か月頃から始める、母乳を完全に離すのは生後8~10か月までがよいとされている。
 

2)原因と症状
   
原因:神経性素因、騒がしい環境、栄養の不適切。ただしその主因は、精神と身体の急速な発育にために生ずるアンバランスによって生ずるとされる。 小児精神身体症に相当。
   
症状:不機嫌、夜泣き、不眠等の神経症状があり、顔面に一種の精神興奮状態を示す。
 

3)疳の虫封じ(まじない)について
    
かつて本邦では疳の虫の治療として、民間の呪医や僧侶などによって虫切り、虫封じ、疳封じなどの施術が行われた。乳児の手のひらに真言、梵字などを書き、粗塩で手のひらをもみ洗いして、しばらく置いてみると指先から細かい糸状のものが出ているのが見えるといい、これが虫であるとされた。実際は手を洗う水の中に真綿が少量混ぜてあり、乾いてくるとそれまで見えなかった真綿が見えるようになる。要するに暗示療法である。

 

 

3.小児針法
 
1)小児鍼の歴史 
   
中国には小児鍼という考え方はなかった。乳幼児に対し、わが国では磁器の破片を用いて細絡から刺絡するような強刺激が普通に行われていたが、江戸時代には古代九鍼の一つである鋒鍼(現代でいう三稜鍼)が用いられるようになった。しかし1883年に医師免許規則が公布されるにおよび、鍼師が皮膚を切開することは禁止され、1912年(大正元年)からは鍼灸業は免許制となったことで、医師以外は治療として刃物にのような鍼は使えなくなった。
   



ちょうどその頃、小児鍼の治効の現代医学的理論づけを行ったのが藤井秀二医師(大阪大学小児科)で、鍼に関しての初の博士号取得となった。藤井の実家は小児針治療を行っていたが、そこで行われていたのは、これまでの小児鍼とは異なり、小児按摩のような刺さない鍼であってあったことから、今日広く普及しているような軽刺激の方法(按摩針)に変わっていった。「小児鍼」という名称を定着させたのも藤井だった。それ以前は、「小児はり」といったような名称だった。


2)藤井秀二の小児鍼の治効理論
 
小児に対する針灸治療には、小児針を用いることが多い。小児針の適応年令は、生後20日から 4~5歳で、それ以上では成人と同様の亳針法でド-ゼをきわめて弱くする。

藤井の小児針の治効理論とは、「小児は自律神経が成人に比べて変動しやすく、自律神経が不安定になりやすいことに注目。小児針の治効は、皮膚知覚刺激を介して交感神経の不安定を  調整する点にある」とした。(藤井秀二:「小児はり」について知られざれる事項、医道の日本、昭和50年1 月号)
点への刺激よりも面への刺激を行うのは、内臓体壁反射理論的方法だと理解できる。

藤井秀二は、毫鍼を示指と母指で少し先が出るように摘まんで垂直にたたいていたが、後に「藤井式物療器」を考案した。この製品は小児鍼の一種であるが、極細純金製の集毛針を皮膚に押し当てるが、針は軟らかくすぐに曲がってしまうので取扱には慎重を要した。今から30年ほど前までは、その藤井式物療器は市販されていて、当時でも2万円ほどしたことを覚えている。

 

 

4.かんの虫の針灸治療

 かんの虫に対する小児針は、小児のいわゆる健康増進の治療と同じであり、生後1か月頃から 5歳頃までを中心に行われる。身柱や頭項部を中心に全身的に行う。小児針だけで効果に乏 しい場合には、ちりげの灸(身柱穴への灸で気を散らす)や細い豪針にて全身的に浅刺する。
  小学生ではボディブラシ、乳幼児では歯ブラシを使用。以下の部位を3~5分以内で終わる ように、軽くリズミカルにサッサッと擦る。 施術部の発赤や発汗をもって度とするのが原則ともいうが、藤井によれば、これではド-ゼ過多に陥りやすいという。 

 

健康増進目的では、月初めごとに3日間連続して行う。特に異常のない小児に施術を受けると、その子供はその月中は元気で健康を維持できるという事実を大衆が知っていた。かんの虫の治療回数では、疳症状の弱い時は3回、強い時は5回、かん症状の取れにくい場合には7回前後、毎月反復して実施する。

 米山博久の経験によれば、不眠・不機嫌1~3回、夜泣き2~5回、奇声3~5回、食思不振 1~5回程度で十分であり、幼稚園児まで毎月継続することがよいという。(米山博久著:私の鍼灸治療学、医道の日本社、p78、昭和60年1月)

 


5.トーマス式小児針について

近年、トーマス・ウェルニッケ小児科医(ドイツ国際日本伝統医学協会会長)は、次のような見解を示した。
胎児が生まれる際、狭い産道を身体が一回転して通過するため、頸椎に異常をきたし、特に上位頸椎周辺の際を走行する脳神経である迷走神経・舌咽神経・舌下神経・副神経  (これら4つの脳神経の始点は延髄)への圧迫が、疳症状につながる。
したがって、頸椎周辺が 固定化される(要するに生後3~5ヶ月)以前に、小児針治療を開始することが大切であるというもの。

胃倉・魂門の刺激目標

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筆者は 2022-06-26のブログで「急性胆嚢痛に対する胃倉の刺針技法と理論」と題した内容を報告した。しかしその後進展があったので、そのブログを消去するとともに、改訂版として本稿を発表することにした。

1.胃倉
代田文誌が行って有名になった方法に、胃痙攣や胆石症による強い腹痛に対して、胃倉(Th11棘突起外方3寸)に刺針するものがあった。なおここでいう胃痙攣とは、現代では急性胆石痛の痛みだとされている。中背を刺激するのではなく、なぜ胃倉を特効穴とする理由についての説明はされていない。昭和の鍼灸治療書は、アセスメントがないのが普通だった。

2.魂門 
話は変わるが、私はかって胆石の激しい痛みに対して、側臥位にして魂門(Th9棘突起外方3寸)から脊柱棘突起方向に向けて深刺して、良い結果が出ていて、失敗した経験がなかった。魂門刺針の治効理由として、志室からの腰神経叢刺針と同じようなものだとみなしていた。むろん高さ的に魂門からの刺針では腰神経叢に当てることはできないが、肋間神経刺激になる。腰神経叢刺針は内科方面では高い確率で尿路結石疝痛を頓挫させることができるので、これと同じような性質になるのだろう。
 深々と押圧して触知できる圧痛は私の2022-06-26のブログでは胃倉は下後鋸筋の筋膜痛に対する施術かと推測した。当時としてはそれ以上調べようがなかった。
が、<下鋸筋は、呼吸のための肋骨運動の補助筋だが、薄い筋であってその作用は弱い>と書かれていたので、間違った解釈をしてしまったと反省した。

 

 

2.胃倉・魂門刺針は、何を目標として刺激しているのか

1)後鋸筋筋膜の重積

近来、筋肉そのものよりも筋膜に対する理解が著しく進歩して、筋と筋の境目で、筋膜が複雑に入り組んでいる処(=重積部)が、筋膜癒着を起こし、滑走性が悪くなりやすいことが知られるようになった。

このような観点から、もう一度胃倉や魂門の局所解剖学的性質をみると、後鋸筋あたりの筋膜が複雑な構造になっていることが知れる。トリガーポイントの書を読むと、このあたりが症状を起こすトリガーとなっているとの記載があった。すなわち後鋸筋の問題ではなく、後鋸筋あたりの筋膜癒着が症状を発生させている。このように推測すると、これまで胃倉と魂門を別物としていたのは誤りで、正体は同じもので、個体差による位置のズレの範囲内ということになりそうだ。

 

2)横隔膜停止部

 

横隔膜というと、薄い平らな膜のような形を思い浮かべがちだが、実際には全体的に筋肉ででたドーム構造になっている。とくに第7胸椎~第12胸椎の範囲は起立筋の深層に横隔膜が存在している。それゆえ横隔膜はTh7の高さである膈兪にあると思うのは間違いで、第7胸椎~第12胸椎の高さに、その起始がある。
 
柳谷素霊著「秘法一本針伝書」のい五臓六腑の針では、膈兪と脾兪(それぞれ棘突起外方1寸)に横隔膜と胃疾患に対する治療穴としているのは、おそらく肋間神経刺激が横隔膜起始刺激になっていることに関係があるだろう。
また同書には、腎兪外方1寸を腸疾患の治療穴としているが、これは横隔膜脚部を刺激していると思われた。横隔膜脚部につては、石川太刀雄著「内臓体壁反射」にも記載があり、腰部に限局性の筋硬結が出現することが指摘されている。

 

 

内臓は自律神経支配だが、横隔膜は体性神経支配なので、横隔膜に対しては針で響きを送ることができる。横隔神経への刺激は、被験者には内臓に響いたような感覚を与えるんのだろう。

 

 

 

腸症状に対する遠隔治療穴の原理

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※本ブログ内容は、令和5年10月15日、針灸奮起の会「内科症状の現代針灸」、<第2章、中下部症状の現代針灸>でも取り上げます。

1.下腹部臓器の体壁反射表の見方
    
  
①内臓は交感神経と副交感神経という2つの自律神経で制御されている。どちらが優位であるかは定まっており、胸腰系内臓は交感神経優位、頭仙系内臓は、副交感神経優位になる。
  
②上表の見「虫垂・上行結腸:Th9~Th11(+)前、骨盤神経(-)」との意味は、Th9~Th11デルマトーム交感神経優位であり、体幹前面に反応は出現する一方、副交感経支配は優位ではないことを示す。

③ Th9~Th11デルマトーム交感神経反応は、皮膚のザラツキ、冷え、発汗などの皮膚所見となり、診察上見逃されやすい。しかし交感神経興奮がある閾値を超えると体性神経に刺激が漏れ出すので、体性神経デルマトーム反応である皮膚の痛みやコリなどの所見として反応が出現し触知しやすい。

④体性神経デルマトームとは末梢神経皮枝分布のことで、神経が深層から浅層へ現れる部に反応が現れやすい。そえは背部では起立筋、腹部では腹直筋上にコリや痛み反応として現れる。この皮枝をつまむと、皮下筋膜が癒着している部ともいえる。 

⑤なお、交感神経デルマトームと体性神経デルマトームは体幹では同じ分布としてよいので、実際には交感神経デルマトーム図は使われず、体性神経デルマトームで代用されている。

⑥「虫垂・上行結腸」「小腸(空腸・回腸)・大腸(横行結腸・下行結腸)」の体壁反応を図示すると次のようになる。

 

⑦交感神経反応は、体性神経反応に漏れ出すと説明したが、体性神経の神経の主要枝を刺激るので、腹部内臓では、Th12より上位ではでは肋間神経が興奮となり、L1~L3は腰神経叢反応として腰部と大腿前面に反応が現れる。
たとえば血海はL3デルマトーム上なので、血海には小・大腸の反応が現れる。梁丘はL4デルマトームで、仙骨神経叢領域(L4~S3)となるが、これも腰神経叢反応の誤差範囲なので、小・大腸の反応が現れるとしてよいだろう。


  


⑧ 冒頭の表で「S状結腸~直腸 L1~L2(-)、骨盤神経反応(+)」とは、交感神経反応として鼠径部に現れることになるがこの反応は優位はなく、副交感神経優位なので、仙部副交感神経反応として、八髎穴に反応が出現する。骨盤神経を含む副交感神経反応は、体性神経反応のように圧痛硬結は現れない。下図では骨盤内体性神経刺激点として多用する陰部神経刺針や陰部神経刺激目的の中極刺針もつけ加えた。

今回のブログは内臓治療について記しているわけだが、内臓に響かせる針というのは、体性神経の知覚成分を刺激した結果といえるだろう。内臓を自分の意志である程度コントロールできる部分は、運動神経コントロールとしての呼吸運動(横隔神経)と尿便我慢(陰部神経)の2つしかない。これに内臓に響いたような感覚が得られる肋間神経が加わる。

 

 

 

2.柳谷素霊による胃カタルに対する梁丘刺針の技法
  
梁丘穴は胃痛に効き、血海が婦人科で血に関係する病に効くという話を耳にすることは多いが、実際の針灸治療に使えるほど効果が高いのだろうか。効く確率は実際は意外に低いのではないかという気持ちもある。効かせるには、コツがあるのかもしれない。柳谷素霊著「胃カタルの鍼灸法」柳谷素霊選集下よりの中で、梁丘の刺針ついて書かれている箇所がある。以下引用文。

胃カタルとは現代の胃炎に相当するが、とくに嘔吐を繰り返すものをいう。
大腿外側の大腿直筋の外縁で、下肢を伸ばしてウンと力を入れると凹むところに梁丘を取穴。下方から上方に向けて、大腿直筋外縁下に針尖が入るような気持ちで斜刺する。この時、患者には息を吸わせ、なるべく手足をキバるよう力を入れさせて刺入、針を進ませるのは吸気時行い、呼気時には針を留め、または力を抜く(呼吸の瀉法)。このようにして徐々に進め針響きが腹中に入ると患者が訴えれば、病の痛みが次第にうすらいでくる。腹中に響かない場合、弾振(ピンピンと針柄をゆっくりと弱く弾ずる)すれば、やがて疼痛は軽減する。


常習性便秘に関する鍼灸治療点の検討 ver.2.1

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1.下行結腸に対する腰部からの刺針   
  
内臓体壁反射の理論では、大腸は上行結腸~下行結腸までは交感神経が主導権を握り、その反応は背部に現れる。さらに大腸は、上行結腸と下行結腸が後腹膜臓器で、とくに下行結腸を刺激する目的として、左大腸兪・左腰宜(ようぎ=別称、便通穴)などを刺激することが多い。

下行結腸は、腰方形筋の深部にあるので直刺で深刺すると命中できる。この部は皮下脂肪や筋 組織が豊富(下図では省略)なので、深刺する必要がある。また上行結腸と下行結腸の内縁には 腎臓(Th12~L3の位置)があるので、下行結腸に刺入するには、腸骨稜(L4の高さ)から行うことで、腎臓への刺入を回避できる。

1)左肓門外方(郡山七二『鍼灸臨床治法録』)     
志室の上1.5寸。L1棘突起下外側8㎝の部。下行結腸刺激。脊柱の方に向けて圧すると広背筋、外腹斜筋を触知できる。その筋群を直刺する方向と角度で4㎝刺入し、強刺激する。 「これだけで必ずといってよいほど通じがある」と記している。  
  
※私の意見:横行結腸は腹直筋の直下で比較的浅層に位置しているのに対し、下行結腸は後腹膜臓器で、左下腹部の小腸の奥にある。下行結腸への刺入は、伏臥位で腰方形筋の深部に直刺する、もしくは郡山七二のように、側臥位にして腰方形筋の外縁から中に刺入することを考える。ただしL1棘突起下の高さでは下行結腸の直側に左腎があるので注意が必要。安全性を考えるとL4の高さ(すなわち腸骨稜の高さ=腰宜穴)から刺入した方がよい。
 

 

2)便通穴(=左腰宜 ようぎ)    
便通穴とは木下晴都が命名した。腰宜穴に相当するのだが、左腰宜穴のみを便通穴とよぶ。L4棘突起左下外方3寸。腰方形筋の外で、腸骨稜縁の直上を取穴。やや内下方に向けて3㎝刺入。森秀太郎著「はり入門」では、「深さ50㎜で下腹部に響きを得る」とある。下行結腸内臓刺になる。

 

2.小腸に対する腹部からの刺針
 

1)天枢深刺(森秀太郎「はり入門」医道の日本社)   

森秀太郎が最も重視しているのが天枢への雀啄針であった。同氏の天枢刺針は、臍の外方1.5寸にとっている(教科書的には臍の外方2寸)。15~30㎜直刺し、腹腔内に針先を入れ、腹腔内刺入を目標としている。 中国の文献では、天枢から深刺し、下腹から下肢へ引きつれるような針響を得て、初めて効果が出ると説明している。

2)臨床のヒント

①天枢の浅針は、腹直筋刺激だが、深刺すると腹直筋→大網→腸間膜・小腸と入る。
森秀太郎が最も重視しているのが天枢への雀啄針だったという森の天枢刺針は、臍の外方1.5寸(教科書的には臍の外方2寸)の部から、15~30㎜直刺し、腹腔内刺入を目標としている。針響を肛門に得るのがコツだという。 
こんなに深刺して大丈夫なのかと心配なるが、中国の文献では天枢から深刺し、下腹から下肢へ引きつれるような針響を得て、初めて効果が出ると説明しているものもある。

②大網とは、腹膜と腹腔の隙間にあり、胃からエプロンのように垂れ下がっている膜状の組織で、腹膜の一部である。腹部炎症を広げず閉じ込める役割があるとされるが大網に知覚はない。一方、腸間膜とは、腸を吊り下げるようにして固定している腹膜の一部で、腸に酸素や栄養を送る血管や知覚神経が存在している。上行結腸、下行結腸、直腸は腸間膜を持たず、腹壁や骨盤腔に直接固定されているので、体内で移動することはない。これに対して横行結腸、S状結腸は、腸間膜に覆われているが、腹壁には固定されていない。高齢者の便秘患者では、腸間膜がゆるんで垂れ下がるので、腸捻転や腸閉塞を起こす原因となる。

③柳谷素霊は、四満(柳谷は臍下2寸に石門をとり、その左外方1寸の部をとっている)から刺針する。実証者の便秘には、2~3寸#3で直刺、2寸以上刺入して、上下に針を動かす。この時、患者の拳を握らせ、両足に力を入れしめ、息を吸って止め、下腹に力を入れさせる。肛門に響けば直ちに息を吐かせ、抜針する。 虚証者の便秘には、寸6、#2で直刺深刺。針を弾振させて、肛門に響かせる。この時患者は口を開かせ、両手を開き、全身の力を抜き、平静ならしめる。いずれも肛門に響かないと効果もないと考えてよい、と記している。
腸間膜に刺入すると肛門に響かすことができるということだろうか。

 

3.下行結腸・S状結腸に対する骨盤内筋の筋膜刺激
  
下行結腸やS状結腸は後腹膜臓器なので、これらの腸管を直接鍼で刺激するのはかなりの深刺が必要である。これら結腸への直接刺激でなく、骨盤内の腸骨筋または内閉鎖筋過緊張あるいは 癒着により腸管の通過障害を生じている可能性があり、腸骨筋や内閉鎖筋への刺針が治療になることがある。
 
1)腸骨筋刺針としての左府舎刺針     
   
教科書での府舎は、恥骨上縁から上1寸の前正中線上に中極をとり、その外方4寸で、鼠径溝の中央から一寸上を取穴する。府舎を便秘で使うと書いているのは、森秀太郎(『はり入門』医道の日本社)で、寸6の6番の針で、やや内方に向けて10~30㎜ほど刺入すると、下腹部から肛門に響きを得る、とある。
私の意見:左府舎からの直刺は下行結腸に入れるというより、その外方にある腸骨筋に入れて響かせることを意図していると思われた。肛門に響くのは、陰部神経刺激によると予想した。

腸骨筋は大腰筋の影に隠れて一見すると目立たない筋だが、骨盤内で広い体積を占めている。腸骨筋が股関節に癒着して鼠径部痛を起こすことが知られている。鼠径部外端から内方1/3の部から刺針することは、この部に糞塊を触知できる弛緩性便秘の治療に使えると主張する者もいる。   


 

 

2)秘結穴(左腹結移動穴)    

秘結穴は、木下晴都『最新針灸治療学』医道の日本社に載っているツボである。一般的な左腹結部位(臍の外方3.5寸に大横をとり、その下方1.3寸)では効果が期待されないと記されている。仰臥位、左上前腸骨棘の前内縁中央から右方へ3㎝で脾経上を取穴する。3~4㎝速刺速抜する。この刺針は、鍼先が腹膜に触れるため、約2㎝は静かに入れて、その後は急速に刺入し、目的の深さに達した途端に抜き取る、と木下は記している。本穴の刺法も、前述の府舎と同様、腸骨筋刺針だと考えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦時下における集団施灸の効果(代田文誌著「鍼灸読本」より)ver.2.4

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 数年前私は代田文誌著「十四経図解 鍼灸読本」春陽堂刊を入手した。初版は昭和15年で、昭和50年代に再版された。今日ではそれも絶版となった。

 集団的に施灸を初めたのは、昭和八年五月第二次自衛移民(500名)が満州に渡る時で、さらに昭和13年の茨城郡内原村にある満蒙開拓青少年義勇軍訓練所の開所から昭和20年まで、保険灸を施していた。義勇軍は満州に渡って後も引き続き保険灸をやることになっていた。富国強兵を国是としていた時代のこと、高価な医薬品を必要としないお灸で健康増進に役立てるなら、ということで国が保険灸普及の後押しをした。

その折、団員向けの小冊子を製作しようとのことで、昭和15年春陽堂から「鍼灸読本」を出版した。基礎的な内容なので本稿で特記すべき点はあまりないが、健康灸について興味深い内容を発見した。

いずれにせよ、戦争に負けて以後、この構想は頓挫し、戦後まもなく訓練所の建物も解体された。


1.3パターンの保険灸

茨城県内原村、義勇軍訓練所において、保険灸として以下の三種の規則をつくって灸をした。
下記経穴に、半米粒大灸5壮づつ実施。

1)健康「上」と認める者に、身柱・風門・大椎・曲池・足三里
2)健康「中」と認める者に、身柱・風門・大椎・四華・中脘・曲池・足三里
3)健康「下」と認める者に、身柱、風門、大椎・四華・肝兪・脾兪・腎兪・関元・天枢・曲池・足三里
 
註)四華:
四花ともいう。ヒモを首にかけ、鳩尾のところで両端を切る。このヒモの中央を喉頭隆起にかけ、その両端を背部にまわし、脊柱上でその先端に仮点(ア点)をつける。次に口を閉じて左右の口角の間を測り、脊柱上のア点にその中央部をあてて、その左右にイ、ウの2点、上下にエ、オの2点、計4点に施灸する。(本間祥白著「図解実用経穴学」より)膈兪と霊台および八椎下(筋縮と至陽の間でTh7棘突起下)の計四穴になる。潮熱・盗汗(肺結核時のような)、虚弱体質時に灸療する。

 

 

2.取穴理由

1)誰でも17~18才となると風門に灸した。これは風邪を予防し、同時に心臓の機能を整える目的。風邪は万病の始めであると古人は恐れていた。また同時に膏肓も併せて灸する。その意味はおそらく結核の予防と全身の活力を強めるためであったと思える。

2)24~25才ともなれば三陰交を加える。これは花柳病(=性病)の予防と生殖器を健康にならしめ婦人にあっては月経を整える爲であろう。

3)30~40才頃になると、足三里にすえる。これは胃を健康にし老衰を防ぎ、一切の疾病と予防し、その上長命を保つ方法とした。、
なお老いて視力の減弱を防ぐために足三里、併せて曲池へ施灸することもあった。

  

3.沢田流太極療法との相違点

「鍼灸読本」を出版したのは代田文誌40才の時だった。この年には「鍼灸治療基礎学」も出版し、翌年には「鍼灸真髄」も出版している。師匠の沢田健は文誌が38才の時に死去している。

「鍼灸治療基礎学」や「鍼灸真髄」は、沢田健の治療すなわち沢田流太極療法を大いに褒め讃えている。「鍼灸読本」にみる保険灸の取穴理論は、「三原気論」理論や五臓色体表を用いていないという点で本式の沢田流太極療法とは異なるが、沢田流基本穴に似た面があり、かつ一般人にとって考え方が分かりやすいものとなっている。


沢田流太極療法の説明

 http://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/90e2d4cb08485c0c8c12a8780dd7d6e6


※沢田流基本穴:百会穴、身柱穴、肝兪穴、脾兪穴、腎兪穴、次髎穴、澤田流京門(志室穴)、中脘穴、気海穴、曲池穴、左陽池、足三里穴、澤田流太谿(照海穴)、風池穴、天枢穴など。(時代により多少変化あり)

 

4.田中恭平氏の「健康長寿の灸」 と神田勝重氏の「保険灸」

内原村義勇軍訓練所で、代田文誌の同僚として次の2名の鍼灸師が、保険灸の配穴について記している。文誌を含めて計3名が同じテーマで記載しているが、それぞれ微妙に内容が異なっているのが興味深い。


1)田中恭平の「健康長寿の灸」
2018年6月22日、匿名氏から田中恭平『灸の医学的効果』309頁「健康長寿の灸」の内容紹介コメントを頂戴した。田中氏は、内原の満蒙開拓義勇軍の内原訓練所衛生課内の鍼灸部で代田文誌と一緒に働いていた。

① 身柱、風門、足三里の五点 ‥‥健康上の者
② 身柱、四華、三里の七点‥‥‥ 健康中の者
③ ②に腹部基本灸四点と左右の曲池を加へた十三点 ‥‥健康下の者 
④ ①に膈兪、肝兪、脾兪、腎兪、腹部基本灸の十二点を加へた都合十七点‥‥健康下の者 

(「腹部の基本灸といふのは、私・田中恭平自身で決めた基本灸でありますから、書物には基本灸などと云ふ文句はありません。腹部基本灸の穴は中脘、天枢、関元。)

2)神田勝重氏の「保健灸」
上述の匿名氏は、神田勝重『灸療要訣』(日本書房)115頁「保健灸」についての内容も紹介してくれている。神田氏は序文で、『灸療要訣』の内容の大部分は、私の師 代田文誌先生が後日『鍼灸治療要訣』として刊行される草稿の中より必要と思はれるものを寫させて頂いたものである」と記している。

①健康上と認めるもの‥‥身柱、風門、霊台、曲池、足三里
②健康中と認めるもの‥‥身柱、風門、四華、中脘、曲池、足三里
③健康下と認めるもの‥‥身柱、風門、四華、中脘、気海、腎兪、脾兪、次髎、左陽池、足三里、太谿


3)3者の比較

①健康度「上」

 

万病の元とされる<風邪>の予防のためだろう。上背部の灸を重視しているように見える。

②健康度「中」

 健康度「上」の風邪の予防に加え、肺結核の予防のためか、横隔膜あたりの刺激を重視しているようにみえる。

 

③健康度「下」

健康度「中」の肺結核予防に加えて、脾兪・腎兪など消化吸収力を高めることで、食物が人体に取り込むことで栄養になることを期待しているかのようだ。
興味深いのは、神田勝重氏の左陽池の灸である。左陽池は沢田流太極治療の伝統的治療穴の一つとして、沢田健先生は非常に重視していたのだが、代田文誌先生は、後に合理性に乏しいとして選穴しなくなった。陽池は三焦経の原穴であるが、沢田先生の独特の考え方として、三焦を重要視していた。その理由として三焦は生体における化学反応を連続的に起こす条件としての体温を一定に保つ内部環境があげられるという。陽池の左側を取穴するのは、人身の右を陰とし、左を陽とするという素問霊枢の説からきている。陽池は陽の池だから左をとるのが原則である。もちろん右の陽池を使っていけないというのではない。

沢田先生はほとんど書物を残さなかった方ではあるが三谷公器著「解体発蒙」を紹介する際の序文として、<三焦概論>という一文を残している。上焦を宗気、中焦を営気、下焦を衛気と関連づけて考察している内容となっている。


三谷公器著「解体発蒙」の三焦についての説明

https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/159cb2af0776c4083e2998a343973b28

 


5.集団施灸の効果

昭和50年4月15日。日鍼灸誌に堀越清三氏により「集団施灸の一例」として当時の将兵約800名に対する集団施灸(1週間~3ヶ月間)のデータを報告している。当時は軍機密として公表されなかった。安価で手軽にできる施灸治療の秘密を、敵国に知られるのを国家が嫌がったと思うと面白い。

原著論文

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsam1955/24/2/24_2_22/_pdf/-char/ja

一般兵、錬成兵、将校と下士官のグループ別で、それぞれその半数に施灸を行い、残り半数を施灸を行わない対照群とした。施灸前後に種々の体力測定を行い、施灸の効果の有無

を検討している。2回分析を行っていて、その結果は少々異なるが、おおむね次のようなった。(2回分析中、ともに有効なものを<有効>とし、1回のみ有効なものを<やや有効>と、2回ともに効果なかったものを<いまだ効果を見ざるもの>と分類してみた。

<有効と思われるもの>
体重増加、100m疾走の短縮、食欲増進、脚力、夜間排尿回数の減少

<やや有効>
睡眠、1000m疾走、懸垂、負担早駆、

<いまだ効果を見ざるもの>
患者発生状況
 

6.5人で協議してきめた保険灸の部位

奥野繁生からメールを頂戴した。保険灸の取穴について、当時の鍼灸師スタッフ5名が協議して「保険灸」の治療ポイントについて検討した結果が記されている文献を発見したとのこと。以下、奥野先生のメール内容。


『東邦医学』誌第6巻第7号(昭和14年6月、復刻版第四輯所収)を眺めていたら、代田文誌「鍼灸余話」という記事があり、そこに「青少年義勇軍の灸療」として、こう記されていました。

「茨城県内原の満蒙開拓青少年義勇軍に於て保健のためにその全員に灸をしてゐることに就ては前にも記したことがあるが、本年(昭和十四年)四月二日に、内原の青少年義勇軍訓練所に於て、同所長加藤完治先生を中心として、帝大医科の茂在教授、日大医科の齋藤教授と田中恭平氏と私との五人で協議した結果、左の様な灸を一般に行ふことに決定した。そのことを、茲に併せ記して大方の参考にしたいと思ふ。

一、健康甲と認める者に。身柱、風門、大椎、曲池、足三里。
二、健康乙と認める者に。身柱、風門、大椎、曲池、足三里、中脘
三、健康丙と認める者に。身柱、風門、大椎、曲池、足三里、中脘、関元、四華。

以上は、内原義勇軍訓練所の衛生部に於ける医師との協定の上にて一般的に施す灸治である。以上の灸点を選んだ理由については煩雑であるから今は記さぬが、これだけの灸にて青少年達の健康を維持し、その体格を向上せしめ、併せて結核其他の病気の予防に役立つであらうことは、確信して疑はぬ処である」

五人で協議した結果、だったのですね。(引用以上まで)

 

上記取穴を図示してみると以下のようになった。

 

先に挙げた3名の健康灸パターンに似てはいるが、微妙に異なっているものとなった。まあこれが正解という筋合いのものではないが‥‥
健康度「甲」と健康度「乙」とでは、中脘穴を加えるか否かという点のみが異なる。健康度「甲」健康度「乙」ともに上背部刺激は重視しているが、中背部や腰部を取穴していないのが特徴的である。

 

 

乳根・膻中・中庭・歩廊のツボ名の由来

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両乳間を結んだ胸骨体中央に膻中(任)をとり、その下1寸には中庭(任)がある。
中庭の外方2寸に歩廊(腎)をとり、歩廊のさらに外方2寸に乳根(胃)をとる。
以上の経穴の中で歩廊以外は、基本的ななツボであり、取穴の基準点ともなっている。

1.乳根
乳根の穴名由来は、自明なの省略する。左乳根は心尖拍部(=虚里の動?)であり、古典では胃の大絡として認識されたと考えている。これについての説明は、筆者のブログ参照のこと。

胃の大絡と脾の大絡の考察 2023.6.9
https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/f1b72a840a5c85aa0f5a2b07a07414f0


2.膻中
「膻」とはヒツジのように生臭いのこと。膻中は乳頭の間にあるので、乳頭から漏れ出だ乳汁が流れ出て、膻中にたまるりやすいことから命名した。生臭いのは溜まった乳汁が発酵した結果だろう。

3.中庭
中庭のすぐ上には胸骨体が隆起している。胸骨体は深部に心臓があって非常に重要な場所なので、その高貴な場所に続く庭という意味になる。これが外庭ではく中庭としたのは。胸骨体から外れたとはいえ、左右肋骨弓間にあり下には剣状突起があるので、ここはまだ宮殿の敷地内という認識だろう。

 

4.歩廊
歩廊穴のツボ名由来についていろいろな参考書を開くも、しっくりくるものがなかったので、自分で考えてみた。
歩廊は、もとは建築用語で、二列の柱をつなぐための細い通路という意味がある。現代では工事現場の足場のようなものであり、歩道橋(少々立派すぎるが)もこのたぐいになる。

歩廊穴は肋骨軟骨縁にあり、左右歩廊の内側は陥凹して下にが剣状突起がある。また左右歩廊は腹直筋停止部により連結している。このことを踏まえると次のような位置関係が得られるだろう。以上、歩廊の由来を簡単にまとめると、左右の肋軟骨が腹直筋停止で連絡している部位といえると思われた。

 

 

 

腹部ツボ名の由来 ver.1.2

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先回、前胸部ツボ名の由来を調べ、当ブログで報告した。この作業は知的好奇心を刺激するものだった。そういう訳ならば同じ方式で腹部ツボの名称の由来を調べてみることにした。腹部のツボについて、中脘などの「脘」は腹直筋を示すこと。ブログ「鼠径部の経穴」と「天文学と経穴」において、天枢の「枢」は扉の回転軸であることを示した。ツボの五枢の「五」とは五方のことで、ここでは全方向を指し、「五枢」が股関節がいろいろな方向に可動性があることを示している。気衝の「衝」は脈拍ではなく、胃経走行の直角に折れ曲がる様を表現している。太乙の「乙」とは大腸が折れ曲がって走行する様、もしくは太乙で胃袋の終わりをさすのかもしれない。膏兪の「膏」は横隔膜ではなく、膏膜(現在の腸間膜)であることを指摘した。


1.腹部経穴の分布傾向

①上腹部は、予想通り胃に関係する経穴(赤)が多い。すぐ下層には胃と腸の境界を意味する経穴(オレンジ色)も多数あり、両者は分離されてる。
②臍の横のライン、恥骨上のラインは、鼠径溝は取穴する上で基準となるものである。
これらの穴名には、解剖学的特性の名前が優先されてつけられている(黄緑色)。
③臍下2寸ラインにある石門、四満は腸を示す名称になる(黄色)。
④腸に関係するツボの下には、腎・膀胱を示す経穴がある(紺色)。
⑤さらにその下には婦人科の妊娠関連を示す大赫や帰来がある(紫色)。

 

2.腹部経穴の由来
※印は独自の解釈

1)臍上6寸
①巨闕(任)    「闕」は宮殿入口にある大きな門のこと。肋骨弓基部の陥凹部。
②幽門(腎)    「幽」は幽閉の幽で、隠すとの意味。胃の上部が肋骨弓で隠される。解剖学の胃の下口である幽門とは無関係。
③不容(胃)   胃の噴門に相当。胃の受納能力の限界が、このあたりになる。

2)臍上5寸
①上脘(任)  
a.胃の上部
※b.「脘」には平たくのばした肉の意味があり、腹直筋を意味する。腹直筋の上部のこと。
②腹通谷(腎)    内経には<谷の道は脾を通ず>とある。水穀(飲食物)を上から下へ流す所。
③承満(胃)  「承」は受納。「満」は充満。不容穴の下にあり、水穀で満タンという意味。

3)臍上4寸
①中脘(任) 
a.胃の中央、小湾部
※b.腹直筋の中央のこと(「上脘」の説明を参照)。
②陰都(腎) 
a. 腎経の流注が、胃の両側にある胃経と交わる。その様子が、村から都に上がる者のような、”お上りさん”状態。
b.胃の近くにあるので、胃を整える作用がある。別名「食宮」「食府」。
③梁門(胃)   「梁」=柱のハリ。上腹部に現れる横梁のような硬いもの。心下痞満(心窩部がつかえた感じ)すなわち、胃のつかえ、消化不良、胃の脹満)治療の門戸。

4)臍上3寸
①建里(任)  「建」=建ておく、位置する。「里」=居住地で、ここでは胃をさす。胃の通り道の途中にあるツボ。
②石関(腎)   石が邪魔しているように物が通らないこと。胃や腸の通過障害。
③関門(胃)  「関」は関所、「門」の開閉を管理すること。胃と腸の境目で、閉門時には食を受けつけず、開門時には下痢が止まらない状況になる。
④腹哀(脾)   悲しげな泣き声(この場合は腹鳴)を哀鳴という。腹痛、腹鳴の愁訴を治す。

5)臍上2寸
①下脘(任) 
a.胃の下部。
※b.腹直筋の下部のこと(「上脘」の説明を参照)。
②商曲(腎)    このツボの内部は大腸の横行結腸が下に垂れ下がり弯曲しているところ。商」は五行では五音の金に属し、肺・大腸に関係する。
③太乙(胃)   
a.中国の古代思想で、天地・万物の生じる根源。北極星のこと。
        古代中国では北極星という星は限定されなかった。北極星というからには、一番明るい星であるべきなのだが、現実には2等星。どう解釈すべきかさぞ困ったこだろう。

※b.「乙」=二番目という意味の他に、つかえて曲がって止まるとの意味がある。
 道なりに歩いていて途中で急に曲がる。すなわち腸の形を示しているのではないだろうか? 「太」は腸の中での太い部分すなわ大腸のことだろう。
※C.「乙」には終わりという意味もある。太とは胃袋をさし、乙がつくと胃の終わりということ。
 ちなみに「乙字湯」は江戸時代からつくられた痔疾の和製漢方薬で、この場合の「乙」は<終わり>の意味している。消化管の終わりは肛門である。


6)臍上1寸
①水分(任)     臍上1寸にあって水分が分かれ出る部。飲食物のうち水液は腎臓→膀胱に入る。この下にある小腸には清を吸収し、濁(植物残渣)は 
             大腸  に入る
②滑肉門(胃)   腹直筋上にあり、腹筋の動きがなめらかな様子。体幹運動で腱画の動きがよく見える部。

7)臍部
①神闕(任) 「神」は生命、「闕」は宮中の門。臍からへその緒を伝って胎児は滋養される。
②肓兪(腎)  腎の流注は、この部から深く潜り肓膜(=腸間膜)に向かい入っていく。腹痛、泄瀉、便秘などを主治とする。
③天枢(胃)   
a.北斗七星の一番星(北極星に最も近い星)
b.「枢」とは回転扉の軸構造をいう。金属製のちょうつがいが発明される以前、木の棒を丸ほぞ(凸構造)と丸ほぞ受け(凹構造)の2通り加工し、 組み合わせて扉を開閉する仕組みをつくった。体を折り曲げるところで、ここを境に上半身と下半身を区分する。
④大横(脾)    神闕から大きく離れた部位。
⑤帯脈(胆)    腰に巻く帯の位置。


8)臍下1寸
①陰交(任)    「交」=交わる。任脈・衝脈・腎経の陰経の三脈が交わる穴
②中注(腎)   深部には 腎気が集まる胞宮や精巣があり、ここから胞中(子宮)へと腎気が注がれる。
③外陵(胃)  「外」は傍ら、「陵」は突起したところ。
                       体に力を入れると、腹部に気が集まり、外側にある腹筋が盛り上がる様子が陵(=豪族の墓)のように見えることから。


9)臍下1寸5分
①気海(任)    先天の気が広く集まるところ。腎の精気が集まるところ。
②腹結(脾)    腹気すなわち腸の蠕動を調整する。腹の脹満を治する。


10)臍下2寸
①石門(任)       この部が石のように詰まって固い状態。大便秘訣、尿閉、この部が固く不妊女性のことを石女とよんだ。
②四満(腎)  臍~腸の瘀血による、切られるような劇痛に対して、瘀を散らし脹を消す効能がある。
③大巨(胃)       腹部で最も高く、大きく隆起した場所


11)臍下3寸
①関元(任)   「関」は要の場所。田=これを産する土地。不老不死を得るための修行を練丹術とよんだ。丹とは火の燃えているような朱色のこと。
        道教では人体の要所は下丹田(関元)、中丹田(膻中)、上丹田(印堂)の3カ所あり、中でも重要視したのは下丹田だった。
       ※朱の原材料は硫化水銀で、西洋では賢者の石とよばれた。熱すると硫黄と水銀に分離できた。水銀は猛毒なのだが、当時は不老不死に                                      なる霊薬とされ珍重された。非常に高価で服用できたのは王貴族に限られた。ただし、この霊薬を飲んだ者は水銀中毒死したのだった。
②気穴(腎)    腎気が集まるところ。腎は納気を主どる。これは深く息を吸い込んで、大気を下腹までもっていく道教での呼吸法。
③水道(胃)    「道」は道路のこと、本穴は膀胱の上部にあり治水をする役目がある。


12)臍下4寸
①中極(任)      本穴は全身のほぼ中心にあたる。一方、腹部任脈の端なので「極」と名づけた。極とは南極北極、月極駐車場の「極」である。
        深部に膀胱があるので、膀胱の募穴でもある。
②大赫(腎)    「赫」=赤々という他にはっきりと現れるとの意味がある。本穴の内部には子宮があり、妊娠すると、この部が脹らみ突出する。
③帰来(胃)   a.帰来とは、還って戻るの意味。呼吸法で、息を吐き出した後、再び息を吸って、この場所に気が戻ること。
                     b.帰来=帰ってくること   病弱で子供ができず、実家に帰された女性が、このツボ刺激で元気になり夫の元へ帰れた。 
④府舎(脾)   「府」=腑と同じ、「舎」=住居する場所。腹部には六腑が集まることを示す。


13)臍下5寸
①曲骨(任)   かつては恥骨のことを横骨とよんだ。本穴は恥骨上縁で弯曲した処なので曲骨とした。
 ※骨度法では横骨幅6.5寸としているが、これを恥骨結節両端間の距離と解釈するのは無理がある。恥骨上枝の、左右外端の間の長さのこと だろう。
②横骨(腎)    恥骨の旧名を横骨という。
③気衝(胃)   ※鼠径部で、上行した胃経が衝突するように折れ曲がる部位。本穴の「衝」は脈拍とは無関係。
④衝門(脾)    「衝」は脈拍部で、突き上げる様をいう。大腿動脈拍動部。
⑤急脈(奇)  急脈は<鼠径部で曲骨の外方の2.5寸の拍動部>とある。すなわち曲骨の外方2寸にある「気衝」の、外方わずか約1㎝外方になる。「脈」の名がついてはいる が、大腿動脈拍動は触知できない。<医心方>によれば「急脈の別名を羊矢(ようし)という。羊矢とくに陰部の腹と股が相接するところ」とある。したがって急脈は陰嚢と鼠径溝の境界で精索あたりをさす。急脈の”脈”とは勃起時の脈動を示しているのだろうと推測する。急脈の拍動は勃起時に限定するので、正穴ではなく奇穴として認定したのだろう。


14)その他の部位
①五枢(胆)    ※「枢」には枢要という意味の他に、扉の回転軸との意味がある。「五」は五方(東西南北と中央)のこと。
  本穴は腹部と大腿部の境にある鼠径部近くにあって股関節部にあり、広い関節可動域をもつことを示す。
②維道(胆)    「維」とはつなぎとめること。本穴は体幹側面を下行する胆経(縦糸)と臍周りを一周する帯脈(横糸)をつなぎとめる交会穴になる。



引用文献
①森和監修:王暁明ほか著「経穴マップ」医歯薬
②周春才著:土屋憲明訳「まんが経穴入門」医道の日本社
③ネット:翁鍼灸治療院 HP
④ネット:経穴デジタル辞典  ALL FOR ONE
⑤漢和辞典「漢字源」学研

ボアス圧診点について ver.1.1

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1.ボアス圧診点は胃・十二指腸潰瘍の反応点として広く知られている。ボアス圧診点の位置は、原著によればTh10~Th12椎体の左側になっている。
上部消化器の所属デルマトームはTh5~Th9だが、圧痛点は押圧して求めるものなので、ミオトームの問題と解釈すれば、ほぼ合致していると考えるべきだろうか。
それにしてもボアス圧痛点は「椎体の左側」という漠とした説明であって、これを起立筋上すなわち背部兪穴ラインで、棘突起の外方1.5寸の処だと解釈する者は多いと思う。

2.一方、意舎は胃倉は、ボアス圧診点の外下方にある。沢田流では胃痙攣(今日でいう胆石痛)の治療点として有名な穴であり、本穴の刺針で強力な鎮痛作用をもたらすことが多い。
ボアス圧診点と意舎・胃倉に共通するのが腰方形筋である。腰方形筋は第12肋骨を起始としているので、上記部位の圧痛反応は、腰方形筋の緊張を診ているのだろうか。
すなわち、胆石痛→交感神経興奮→脊髄→交通枝→体性神経興奮→腰方形筋緊張という内臓体壁反射である。とするなら、棘突起の外方3寸が正確なのかもしれない。

 ※代田文雑誌は、胃倉(Th12棘突起下外方3寸)を日常繁用だとし、胃痙攣、胆石疝痛に著効があると記している。また意舎(胃倉の上方1寸)の効能も、胃倉と殆ど同様だとしている。胃痙攣(現代でいう胆石痛)'の場合の圧痛点は、この意舎よりも五分ほど内下方に寄った筋間に現れることが多いという。(「鍼灸治療基礎学」より)

 

3.右ボアス圧痛点

ボアス圧痛点は左側が有名だが、右にもあって、「右第9、第10胸椎棘突起の外方3㎝をボアス胆嚢点とよび、胆道疾患で出現する」という。ただしこの資料は中川嘉志馬著、守一雄改定「触診と圧診」金原出版、1955(絶版)によるもので、原著には<右第9、第10胸椎横突起の外方3㎝>と書いてあった。ちなみに「石川太刀雄著内臓体壁反射」には<Th12すぐ右側>となっている。間違いだと思ったので上述のように訂正した。

書籍「触診と圧診」は絶版ながら、鍼灸師が読むべき本。古書で発見したら購入をお勧めする。私は当時、書店で1700円で購入した。

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