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内臓疾患に対する針灸治療の私見 Ver.1.4

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私が平成29年12月22日に発表したブログ<泌尿器科症状に対する陰部神経刺の限界>をみて、最近「初心のはり士」氏が、驚くべきことに数回にわけて自分の見解を示している。この内容は私のブログ内容とは直結していないが、内容はうなずかされる点が多い。これに対する私の直接の返答ではないが、内臓疾患に対する私の見解を示しておくことにしたい。内容的には過去ブログのダイジェストである。


1.現代鍼灸流の内臓治療の原則

内臓機能は主に自律神経によって調整されている。自律神経には交感神経と副交感神経がある。交感神経優位支配内臓では、交感神経節を仲介して脊髄神経に反応が出ている場合、該当内臓に所属するデルマトーム領域の起立筋や腹直筋の緊張部位を治療点に選ぶことになる。たとえば胃が悪いとする。胃はTh5~Th9レベルの交感神経優位の内臓で、この高さの起立筋や腹直筋を刺激するというが、患者の訴える胃症状を改善できるのだろうか。胃症状と思っているのは、実は横隔膜辺縁Th5~Th9の反応すなわち肋間神経の治療をしているのではないだろうか。肋間神経痛は体性神経なので、鍼治療の守備範囲である。横隔膜症状を問題視するのならば、柳谷素霊の一本鍼伝書中にある五臓六腑の鍼の一つの膈兪一行刺針の方が本質的な治療になるだろう。

 

肺・気管支と骨盤内臓器は副交感神経優位であって、デルマトーム反応が現れない。その内訳は、肺・気管支は第10脳神経である迷走神経中に含まれる副交感神経により、骨盤内臓器である泌尿器臓器は骨盤神経になる。



2.肺・気管支症状に対する鍼灸治療

 
ゆえに、鍼灸治療の基本的考え方として、肺・気管支疾患の症状は、副交感神経の活動を低めること、すなわち交感神経を興奮させることで症状緩和が図られるので、座位にして大椎や治喘への強刺激を与えることが理にかなっている。
以上は原則的な理論構成なので、実際の疾患に対しては思惑通りの効果を上げられるとは限らない。たとえば気管支喘息に上背部への強刺激を与えるのが良いとしても、同部位に伏臥位で浅鍼置針をすると、呼吸困難になるかといえば、そうも言い切れない。その治療をすると症状が悪化するのなら鍼灸医療過誤が多発することだろう。治療は過誤が強刺激するとその時は症状改善するが、その晩喘息症状出現するというケースは重度喘息患者(肺性心)に多数みられた。

針灸治療で大椎を使うのは、星状神経節刺針の代用としての用途である場合もある。医師が行う星状神経節ブロックの意味は、頸部交感神経節の支配を緩めることで、頭蓋内を副交感神経優位にさせ、血流を促進させて自然治癒力向上させることを目的としている。主に顔面麻痺で用いられるものである。ブロックした直後、縮瞳したり顔面発赤することで、ブロック成功を確認することができる。針灸治療で星状神経節を刺激しても、ブロックした時に準じた効果があげられるとい報告はある。しかし前頸部から刺針することは患者に恐怖感を与えるので、大椎刺針を使うという作戦になるのだが、大椎は喘息発作時に、交感神経興奮させる目的で行うと前段では書いた。これは星状神経節ブロックの効果とは真逆になる。大椎と星状神経節ブロックは似て非なる効果なのだろうか。


3.骨盤内臓症状に対する鍼灸治療 
 
骨盤内臓は骨盤内臓神経という副交感神経優位の神経がコントロールしている。骨盤内臓はS2~S4からなるので、これを刺激するには八髎穴(とくに中髎)を刺激点とするのが妥当である。副交感神経の優位過剰が症状をもたらしているのであれば、八髎穴に強刺激を与え、交感神経興奮させることで相対的に副交感神経の鎮静化を図る。副交感神経支配が弱くなりすぎるのであれば、八髎穴に弱刺激を与えることで副交感神経を活性化させるということになる。実際の臨床では骨盤内臓が副交感神経優位になりすぎていると解釈して、八髎穴に強刺激を与えることが多いようである。そして研究報告では、八髎穴刺激が功を奏したという結論になることが多い。ただし現実には、泌尿器科症状を呈する疾患に対して鍼灸治療を行っても、当ブログへコメントを下さった<初心のはり氏>が指摘するように症状が改善しないケースは非常に多いのである。

鍼灸が体性神経症状に対して効果的なことは自明であるが、内臓疾患に対して、本当に鍼灸は効果があるのだろうか。それは臨床研究における「変化」ではなく、金銭を支払って鍼灸にかかった患者にとって、その金銭以上のメリットを与え得るのだろうか。

筆者のこれまでの経験から鍼灸は自律神経がからんだ症状にはあまり有効でないとの印象をもっている。たとえば慢性肝炎、慢性腎炎などの難病ではもちろんだが、過敏性腸症候群あるいは常習性便秘など機能性疾患に対しても、ゼニを受取って治療を請負うほどの自信はないのである。しかしながら尿路結石による側腹部痛には外志室深刺、胆石による中背痛には胃倉の刺針あるいは多壮灸など中空臓器の非常な痙攣による痛みには、これを速効で軽減する力をもっている。


4.体性神経性の内臓症状に対する鍼灸治療

数は少ないが内臓症状に有効な鍼灸治療もあって、それが内臓にありながら体性神経支配であるという例外がある。その体性神経とは横隔神経と陰部神経である。その証拠として横隔神経は呼吸運動に関与するが、呼吸は一時的なら我慢することができる。もし一時的に呼吸を止められないなら、水中に潜ることは当然として、飮食することもできなくなる(嚥下時は無呼吸になるので)。陰部神経は知覚・運動両方の線維をもつ。その運動線維成分だが、肛門や外膀胱括約筋を意志によりある程度制御できるので、大便や小便が我慢することができ、社会生活が可能になるのである。
陰部神経の知覚成分は、膀胱炎や切痔の痛みに、そして生理痛に関係していて、これらの疾患は針灸で非常に効果のあることが知れる。「頭痛・歯痛・生理痛にはバファリン」というコマーシャルがあるが、知覚神経の痛みにバファリンは効果があって、同時に針灸の良い適応もそこにあるのだろう。
 
胃症状に対しては、肩井・巨闕など横隔神経を刺激して胃症状の治療にあたる。生理痛は陰部神経の鎮痛を図る目的で八髎穴を刺激するようなものである。切痔にたいしても肛門周囲を刺激すると鎮痛効果が得られることが多い。


5.針灸治療を一生の仕事とすること

理論的矛盾を挙げるときりがないのだが、それでも鍼灸治療を続けるのが鍼灸師である。治療を続ける中で、より有効な治療法を方法を具体的に見出し、報告することが鍼灸の進歩につながってくる。治療理論がガラス張りなので、特定個人が神格化されることもない。伝統至上主義で変わらない医師でも針灸をやる人はたまにお目にかかるが、ちょっと針灸を行って効果がでないと、それを針灸の限界のせいにして、その後は関心を失ってしまう。その点、鍼灸師は鍼灸しかないのだがら、針灸が効かないのなら、効くような針灸をするよう努力を続けざるを得ない。この意味から針灸は鍼灸師が発展させるほかなく、今後鍼灸師が生き延びるには、医師が及ばない針灸をすること以外にないだろう。このように代田文彦先生は話していた。

 

 

 

 


立位で膝関節症の針治療をすることの意義 Ver. 1.3

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筆者は本年11月15日に「膝OAに対する鍼灸臨床 Ver.2.0」を発表した。

この時、立位で診療することの必要性について少し触れたのだが、鍼灸の効果を高めるために重要な内容なので、今回きちんと説明したい。


1.仰臥位での膝関節周囲の治療

膝OAでは、膝周囲の圧痛点に刺針施灸することが多いが、多くは仰臥位で行い、置針あるいはこれに低周波通電を追加する形をとるのが定石であろう。

しかし筋を脱力させた状態で刺針するのは、確かに針はスーッと入るだろうが、あまり効果的でない。膝OAの痛みの正体は筋膜症で、筋緊張を緩めることが治療目標となるから、、問題のある筋を収縮または伸張させた状態にして刺針した方が効果的になる。この体勢は患者にとって不安定なので単刺術や雀啄術が適しており、置針や置針パルス通電は不適切になる。

膝OAで重要となるのが大腿四頭筋の緊張改善だが、大腿四頭筋の起始である膝蓋骨上縁部鶴頂穴あたりのの圧痛硬結は、よい治療目標となる。刺針は四頭筋をストレッチさせる、すなわち仰臥位で膝屈曲位にさせて刺針すると、四頭筋腱刺激することで四頭筋を緩める
生理的機序(Ⅰb抑制)に働きかけとよい。
鶴頂刺針の理論は、オスグッド病に対する膝蓋腱(=犢鼻)刺激にも使える。

 

2.膝蓋骨周囲の圧痛に対する立位での施術の意義

1)治療効果の乏しい仰臥位施術

では仰臥位膝伸展位で、膝蓋骨内縁や外縁(内膝蓋穴や外膝蓋穴)の圧痛や内膝眼・外膝眼の圧痛に対してはどう対処すべきだろうか。
筆者はこれまで、大腿膝蓋関節の滑動性の悪さで、この滑液分泌を促す目的で局所圧痛点に刺針するという解釈から局所圧痛点に刺針していたが、治療を繰り返しても思ったほど効果はないのが実情だった。


2)立位での施術

これらの穴の圧痛も実は筋膜症の一つなのではないだろうか。このアイデアが正しいとして、「仰臥位膝屈曲位で鶴頂の圧痛を診る」と同様の治療方策はないものかと悩んだ。その結果、たどりついたのが「立位にしての刺針」だった。
   
膝関節痛は、仰臥位姿勢では痛みが出ないのが普通である。この姿勢にさせて圧痛点を探して刺針してもあまり効果が得られない場合がある。膝痛で痛みが生ずるのは、立った時そして歩いた時であるから、ベッド(または踏台)の上に立位にさせた状態ににして圧痛点を探して刺針するという内容である。

①立位にして、前面から行う施術のデメリット

当初、患者をベッドに立たせ、術者は、患者に向き合った姿勢で丸椅子に座って、圧痛探しをした。圧痛点は膝蓋骨縁周囲の下半分(内膝蓋、内膝眼、犢鼻、外膝眼、外膝蓋など)に多数出現することが多く、また仰臥位で調べた反応点とは微妙点に反応点がれた部位だったり全く異なった部位に圧痛を発見できた。仰臥位で膝屈曲位で探る圧痛は、膝蓋骨上半分なので、立位で圧痛点を探る方法は、また別の観点からの探索であって,互いに補完性があることが判明した。探るのはそこに単刺術をすると、直後効果が非常にあった。

 ただしこの姿勢は、当院のベッド周りの構造上、患者のつかまる処がないので、患者は不安がっていた。


②立位にして、後側から行う施術のメリット

そこで数週間後から、ベッドに立たせた患者の後側から、圧痛探しをしてみた。この姿勢では、両手で患者の膝両側面をしっかりとサポートでき、キッチリとした押手も構えられるので、非常に刺針しやすくなった。その上、患者は壁と向き合うことになるので、壁に手をつくことができて以前より安定感がありそうに見えた。

 


3.膝の新穴

話はまったく変わる。膝関節痛の圧痛点位置を表記するには、正穴だけでは足りず、従来から皆が不自由していた。その解剖学的部位を記録するのも面倒なことであった。このような状況にあって、出端昭男氏は、御著書の中で、自分なりに命名したツボ名を発表した。これは本人の思惑を越えて、針灸界に広く普及していった。その理由は、命名理由が解剖学的特徴をうまく捉えたからであろう。

 ①下血海(奇):膝蓋骨内上縁の裂隙部。
 ②下梁丘(奇):膝蓋骨外上縁の裂隙部。
 ③内膝蓋(新):膝蓋骨内側縁の中央。
 ④外膝蓋(新):膝蓋骨外側縁の中央。
 ⑤内膝眼(奇):膝蓋靱帯内側の陥凹部。
 ⑥外膝眼(奇):膝蓋靱帯外側の陥凹部。

膝痛患者における鶴頂圧痛と内外膝眼圧痛の相違点 Ver.1.1

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筆者は、2018年1月26日のブログ「立位で膝関節症の治療をすることの意義」で、膝痛患者に対し、立位で膝関節周囲縁の圧痛を探り、圧痛部に速刺速抜刺法を行う技法を提案した。このやり方は、2ヶ月ほど臨床に使ってみて、非常に効果の高い治療法らしいことが分かった。また自分なりの見解もできたので、ここに整理することにした。

 

1.刺針体位の変更

刺針体位をベッド上での立位から、ベッド傍での立位に変更
以前のブログではベッド上に立たせて刺針すると記した。これは患者を自分の側に向かせて刺針することを考えた末の結果だった。間もなく患者を自分と反対側に向かせて刺針する方法に変更した。これによって施術者の腕や手首で患者の大腿部をしっかりとホールドできるようになり安定感が増した。ただしこの方法では、あえてベッド上に立たせなくても、ベッド方向を向かせて床に立たせるだけで、膝蓋骨周囲に刺針できることに気づき、この2週間前から、この方法に変更した。この方が、患者にとってさらに不安感は少なくなる。隣のベッドにいる患者を覗かれるという不安もなくなる。

2.鶴頂圧痛と内外膝眼圧痛の病態の相違点 

立位で膝蓋骨周囲の圧痛を探してみると、膝蓋骨の下半分、とくに内膝眼・外膝眼に圧痛を多く触知できることが判明した。それは仰臥位で膝蓋骨周囲の圧痛を探った時には発見できなかったもので、発見できたとしても、圧痛点の位置が微妙に異なっていた。こういう有様だから、仰臥位で膝蓋骨周囲に鍼を刺しても効果が劣ることが多いようだ。

なお私は数年前から、仰臥位膝屈曲位で、膝窩骨上縁の四頭筋停止部の圧痛を探して刺針することを行い、非常に良い治療効果が得られている。歩行時の膝痛軽減するほか、とくに膝が深く屈曲できるようになり、なかには正座ができるようになるケースもあった。鶴頂穴刺針とは、大腿四頭筋とくに大腿直筋の起始部刺激になる。このことは2017年11月15日のブログ「膝OAに対する針灸臨床 Ver.2.0」で発表済である。

そうなると次の疑問は、規定された肢位で行う内外膝眼刺針と、鶴頂刺針の相違である。この2者は、一つの病態を別の角度から診ているだけなのだろうかという思いもあって、現在当院に通院中の膝痛患者十人ほどを調べてみた。すると鶴頂に圧痛があって内外膝眼に圧痛がない者がいて、鶴頂に圧痛がなく内外膝眼に圧痛がある者がいた。少数ながら両部位とも圧痛のある者もいたのだった。この結果から、内外膝眼圧痛が意味する病態と、鶴頂圧痛が意味する病態は別物らしいことに気づいた。


これはどういう病態生理からだろうか。私は鶴頂穴の圧痛は、四頭筋が短縮して伸張力低下の状況を診ている。また内外膝眼の圧痛は、四頭筋の収縮力低下による膝蓋骨位置の下垂、それに伴う大腿膝蓋関節の不適合具合を診ていると考えている。

となると、膝痛→痛むので使わない→大腿四頭筋の廃用性筋萎縮という病態生理に対して四頭筋強化運動とともに立位で内・外膝眼刺針を行うことに合理性があるだろう。このような場合、四頭筋強化運動を行わせるのもよいだろう。

一方筋緊張→筋短縮→膝屈曲時痛に対しては仰臥位膝屈曲位で行う鶴頂刺針が合理的になるだろうが、後者の場合はあえて四頭筋強化運動は必要ないと思われる。

私の鍼技法と現代鍼灸治療 背腰殿痛・膝関節痛を例に<講演予定> Ver.1.1

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私はこの度、鍼灸学会Tokyoで、講演することに決まりました。内容はほとんど私のブログで紹介していることばかりですが、現代鍼灸で多用する鍼技法を厳選していること、また120分と十分な講演時間を確保されていることが特徴で、これまで伝えきれなかった内容を紹介できるのではないかと思っています。実際に実技を見たい方、直接疑問を私にぶつけたい方など宜しければご参加下をお待ちしています。17ページのテキスト配布します。

 

日月:平成30年4月15日(日曜)

時間:午後1時30分~午後4時40分 

(午後1時~1時30分 鍼灸学会Tokyo平成30年度通常総会)

場所:東大医学図書館3階 大講堂
JR中央線御茶ノ水駅東口下車、聖橋を渡り終えた処の「御茶ノ水駅東口」バス停から「東大構内」行きバスに乗車。「東大病院前」下車。


参加申込み:当日直接会場へ。会員1000円、会員外3000円、鍼灸学生500円

主催:鍼灸学会Tokyo  

 

内容:
開業鍼灸師の通常業務は<常見の症状に対し、当たり前のように鍼灸治療を行い、普通通り治す>ということであろう。この場合、当たり前の治療というのは、当然ながら自分なりにベストの治療を行うことだが、その時はベストだと思っていた治療であっても、臨床験を積んでいくほどに以前と違った進化した治療となっていくのは当然である。その進歩は、科学的思考方法をもって構築されるべきである。現代鍼灸は、未完成の学問ではあが、より実効性のある治療方法へと変更を重ねることで、学問としての有用性を高めてた。今回、35年間の私の臨床により到達した現代鍼灸を、常見疾患である背腰殿痛膝痛を題材として、説明するとともに実技を供覧する。

 なお通常の講義では、症状→所見→病態把握→鍼灸治療考察→実際の治療という順序説明するだろうが、今回は端的に鍼灸技法を紹介するため、治療技法自体と、この技法の使用条件という2点に絞ってザックリと説明することにした。

A.腰背痛の治療技法
 ①背部一行刺鍼(仙椎部含む)
 ②大腰筋刺鍼と腰方形筋刺鍼

B.殿部痛の治療技法
 ③梨状筋刺鍼(坐骨神経ブロック点刺鍼)
 ④横座り位での中・小殿筋刺鍼 
 ⑤陰部神経刺鍼と内閉鎖筋刺鍼
 ⑥股関節徒手牽引
 ⑦仙腸関節運動鍼

C.膝痛の治療技法
 ⑧仰臥位膝屈曲位での鶴頂(大腿直筋停止部)刺鍼
 ⑨立位膝伸展位での膝蓋骨周囲刺鍼
 ⑩鵞足浅刺
 ⑪膝立位での膝窩筋(委中)刺鍼

奇経八脈の宗穴の意味と身体流注区分の考察 Ver.1.8

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1.十二正経の概念図
 
筆者は以前、十二正経走行概念の図を発表した。

 http://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/bac628918882edd51472352adefd6924/?img=0084a878810483f1998c462abef9281b

これと同じ内容をさらに単純化した図を示す。この図の面白いところは、赤丸の内側は胸腔腹腔にある臓腑で、鍼灸刺激できない部位。赤丸び外側は手足や体幹表面で鍼灸刺激できる部位となっているところである。鍼灸の内臓治療の考え方は、赤丸外の部位を刺激して赤丸内にある臓腑を治療すること、もしくは体幹胸腹側もしくは体幹背側から表層刺激になる。これは兪募穴治療のことである。

 

 

 2.奇経の八脈と宗穴

1)奇経の基本事項

上記十二正経絡概念図をベースとして、これに奇経走行を加えてみることにした。
始めに奇経に関する基本中の基本を確認しておく。奇経八脈はそれぞれ次のような宗穴をもっている。この治療点は次の奇経の二脈をペアで使い、4パターンの治療をすることになる。( )は宗穴名。

陽蹻脈(申脈)---督脈(後谿)
陰蹻脈(照海)---任脈(列缺)
陽維脈(外関)---帯脈(足臨泣)
陰維脈(内関)---衝脈(公孫)


2)福島弘道の提唱した新たな四脈と宗穴  
 
福島弘道氏は、従来の奇経八脈の宗穴治療だけでは不十分だとして4脈を加え、次の2パターンを付け加えることを提唱した。福島がなぜこのような事柄を思いついたのかを探ることが奇経を理解するヒントになる気がした。

足厥陰脈(太衝)--手少陰脈(通里)
手陽明脈(合谷)--足陽明脈(陥谷)


3)十二正経走行概念図への追加事項

1)前図に奇経八脈の宗穴を描き加えてみる。つまり十二經絡上に8つの宗穴を描くことになるが、4經絡は宗穴が存在しない。

2)そこで改めて福島の提唱した4新宗穴をさらに描き加えると、十二經絡上にそれぞれ一つの宗穴が載ってくる。

①肺経(列缺)、②大腸経(合谷)、③胃経(陥谷)、
④脾経(公孫)、⑤心経(通里)、⑥小腸経(後谿)、
⑦膀胱経(申脈)、⑧腎経(照海)、⑨心包経(内関)、
⑩三焦経(外関)、⑪胆経(足臨泣)、⑫肝経(太衝)

3)ペアとなる宗穴を点線で結ぶことにする。陽経ペアは赤色、陰経ペアは青色を使うことにする。
 
<陰経ペア>
①肺経(列缺)--⑧腎経(照海)
⑨心包経(内関)-④脾経(公孫)
⑤心経(通里)--⑫肝経(太衝)  ※福島提唱
 
<陽経ペア>
②大腸経(合谷)-③胃経(陥谷)   ※福島提唱
⑥小腸経(後谿)-⑦膀胱経(申脈)
⑩三焦経(外関)-⑪胆経(足臨泣)

 

 

4)奇経走行概念図

上に示した正経と奇経の総合概念図は、内容が込み入っていて、直感的に把握しにくいので、本図から、正経走行を取り除いてみることにする。奇経は臓腑を通らないので臓腑も取り除いてみることにした。

 

 

するとかなりシンプルな図が完成した。きちんとループを描いたが、奇経の8宗穴+合谷と陥谷を使った場合ということであって、これが奇経治療になるかは少々疑問である。というのも、使っているのは正経をショートカットしたルートだからである。


3.手足の八宗穴を使うことと奇経流注の謎

上図は、症状に応じて定められた手足の一組の要穴を刺激することで治療が成立することを示すものだが、この方法は奇経治療以外にも行われている。手足の陰側と陽側それぞれにある定められた12の要穴を使った治療は、1970年代に発表された腕顆針(日本名は手根足根針)が知られている。この図を見ると、手を上げた立位の状態で縦縞模様に区分されている。

 

 

奇経治療は、八つの奇経を組み合わせて使うのが原則なので、4パターンの治療になるが、同じような縦縞模様となっている図に、「ビームライト奇経治療」というものがあることをネットで知ることができる。

 

 http://seishikaikan.jp/blkikei.htm

 

4.新しい奇形流注図

縦割りの考えで奇経を眺めると、体幹と頭顔面の中央に、陰側に任脈があって背側に督脈がまず存在している。任脈のすぐ外方には陰蹻脈が伴走し、さらに陰蹻脈の外方に陰維脈が縦走している。督脈のすぐ外方には陽蹻脈が伴走し、陽蹻脈の外方には陽維脈が縦走しているといった基本構造がまず想定されている。一方、衝脈と帯脈は、流注構造では反映されていないようだ。

これまで鍼灸治療の治療チャート図は、頭針であれ耳針であれ、高麗手指針であれ、ある日突然完成形が提示され、その理論の正しさを、実際に治療効果がみられたとすることで読者を説得してきたが、論理的とは言い難く、知的満足感も得られない。自分にできる方法として、現実どうしてそう考えるのかの、思考過程を順序立てて明らかにすることで、その間違っているかもしれない部分を指摘できるようにすることが重要だろう。

これまでいろいろなことを考えてきたが、①手足の八つの宗穴で、定められた手足のペアとなる宗穴を結んだ図を描く。
②衝脈と帯脈の走行は無視するが、衝脈の宗穴である公孫、帯脈の宗である足臨泣は。各ペアとなる陰維脈ならびに陽維脈の流注における足部代表治療点として位置づける。以上の2点を重視し、私の考える奇経走行図を示したい。手足のペアとなる宗穴は連続してつながっている必要があるが、本図では背部の陽維・帯脈の流れは、肩甲骨によって上下に分断されていることになる。しかしながら、陽維・帯脈は、肩甲骨・肋骨間を上行している、つまり立体交差していると考えれば、納得いくものとなるだろう。

衝脈と帯脈は、他の奇経と同列に論じられない。というのは、ともに婦人病に関与するという共通点があり、衝脈の病証は月経異常に、帯脈は、腹部の脹満、臍から腰周りの痛みで、女性では帯下などが起こるとされている。要するに、この二脈の病証は、女性の初潮から閉経の期間に限定されるからで、つまりは新しい生命を誕生させるという大目的に関与しているものだからである。

 

  筆者は、古代中国医師は「おそらくこう考えたのではないか」という視点を骨の隆起など解剖学的立場から奇経を推察しているが、実際に奇経治療で効果を出すという臨床的観点から論説している立場がある。ネットで関連文献を検索してみると、伊藤修氏の論文に奇経八脈の走行図を推察したものが載っていた。原図はモノクロだが、私の<奇経八脈流注の考察(似田による>と比較しやすくするため、カラー化して下記に引用する。当然のことだが、類似点が多いが、肩甲骨周りと骨盤周りの奇経走行が私の図と大きく異なっている点である。

 

 

 

石川日出鶴丸著の要点

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石川日出鶴丸 原著 倉島宗二 校訂 昭和51年5月1日 日本針灸皮電学会刊

1.米占領軍の針灸按等医療類似行為禁止令に抵抗した石川日出鶴丸
 
石川日出鶴丸(1878-1947)は、東京帝大医学部を卒業後、京都帝大で教授となり、生理学教室を主催し、そこで求心性自律神経二重支配法則を発見して注目を浴びた。また東洋の伝統医学である針灸についても深い関心を示し、その治効原理と經絡経穴の本態の解明に着手した。その研究は、京都帝大から三重医専校長に移ってからも引き続き転回され、針灸の臨床面まで手を拡げた。昭和18年には鍼灸臨床の研究グループ龍胆会を主催した。龍胆会会員は、主座:石川日出鶴丸、幹事:藤井秀二、郡山七二、清水千里、代田文誌ほか11名という蒼々たるメンバーだった。

 
昭和22年、米占領軍は、日本の医療制度審議会に対し、針灸按等医療類似行為の禁止令が伝えられたが、その一方で米占領軍当局代表者のアイズマンは、著明は針灸研究者として石川教授を選び、針灸の学理的根拠の有無に関して十二項目にわたって質問し、さらに臨床実験を臨検して興味をいだくようになり、代表者アイズマン自らも針治療を受けて満足した。その結果、米占領軍の針灸禁止命令は、再教育の実施という条件つきで解除された。ご子息の石川太刀雄は、父君の研究をさらに発展させ「内臓体壁反射」を発見した。

本書は石川日出鶴丸が、針灸医学者でない本邦の一般の医学者に針灸医学の大要を説明するためにまとめられた。本著作は、日本皮電学会発行ということで現在絶版であり、またカタカナ表記であることもあって、読んだことのある者は少ないと思われる。であろ内容は基本的であるが、そうだったのかと感心させられる内容が所々に見受けられた。ここではそうした内容を紹介する。


2.中国伝統医学の欠点
 
中国伝統医学の考え方を、徹底的に学理的に批判すると、信用できないものとなる。いろいろとこじつければ、こじつけられないでもないが、それは屁理屈にすぎない。実に狭い経験から組み立てた理論をもって、それが妥当性を有するや否やを実験的に吟味しないで無理に一般的に適用しようと試み、理論の権力をもって強制的に押しつけてしまったので、はなはだしい誤解に陥っている。
 かくして事実を誤るのみか学問の発達を妨げたことは、その罪のまことに大いなるものがあるが、これに類似にことは西洋の医学史の中にも現れている。それゆえに西洋医学はある見方をすると、医学者から起こらないで理髪者や屠獣者の中から起こったと解されないでもない。しかし彼らでが医学をどうすることもできなかったと同様に、古代中国医学は決して排斥すべきものでなく、之を正しい道に導くように改造せねばならない。それを正しく改造するように読み直すことが、私は中国の医書を読むコツだと考えている。


3.陰陽における太陽、厥陰の意味合い 

陰陽にはそれぞれ三段階がある。陽は太陽・少陽・陽明に区分できるが、陽明とは太陽と少陽を合わせた状態であって、陽の全発する姿である。
陰には太陰・少陰・厥陰があるが、厥陰とは陰気の最も甚だしい太陰と少陰の合わせた状
おころがあるが、厥陰とは陰気の最も甚だしい太陰と少陰の合わせた状態で、陰が尽きる状態であるかようだが、支那の語で「尽きる」とは尽滅根絶の意味ではない。たとえば易に「碩果(せきか)不食」(大いなる樹果ありて食らわず)という言葉がある。手の届くところにある枝に実っている果実は食べられてしまうが、高い枝の先端の実は最後まで食べられずに残っている。この実はやがて地面に落ちるが、やがて実の種から発芽して、再びつながって発展していくといった内容である。




4.心包の相火とは 

心を君火とすれば、心包は相火(しょうか)である。相火とは宰相の「相」のことである。元来、宰相とは中国の王朝において皇帝や王を補佐する最高位の官吏を指したのが始まりで、内大臣に相当した地位だった。宰相は戦後に首相という名前に変わった。すなわち相の中の代表が首相という意味である。
「相」のの語源は「木+目」で、「木の種類や樹齢を丁寧に目で観察する」ことからきていいて、それが「人を見る」という意味に変わった。いわゆる人相であって、顔の美醜や好き嫌いではなく、「人間として持って生まれた性格、その後の育ち方、自分の律し方、多くの人を正しく指導できる本質」を見ることをいう。


5.心の役割 

心が憂えると心包の相火が宣(よろこ)ばない。心が喜ぶと相火が甚大となる。心は喜憂などの心情の宿るところで、今日の「こころ」と同じ意味である。ただし心は君主のように、じっとしているものなので、心情の変動は心包の働きによっている。ゆえに「心包は臣使の官なり喜楽出づ」と唱えられている。
 筆者註釈:理性をつかさどるのは脳であって、心ではない。心拍数を変化させる情動こそ心の機能である。なお脳を起点として体幹四肢に至る流れを、nerveといい、解体新書では神経と訳出した。神とは意識のことである。



6.三焦は「決瀆の官、水道これより出ず」とは

「瀆」には、①水路を通す溝(=用水路)と、②けがすという意味(冒瀆といった表現)の2つの意味がある。これは用水路に、どぶの水を流すことで、汚くするという着想から成り立っている。「決」は、堤防が決壊するという場合の決で疏通するという意味。すなわち 決瀆とは、用水路の水を流すという意味で、それは三焦の役割だとしている。
 三焦とは体温を一定内に保持する役割があり、体温維持との環境下で初めて他の臓腑の生理的機能が営まれる。上焦は霧のように、中焦は瀝(したたたり)のように、下焦は瀆(大≒排水路)のごときという表現がある。
 筆者註釈:この意味するところは、蒸し器内部を想い浮かべるとよい。上焦である蒸し器上部は、熱い水蒸気に満たされていて、下焦である蒸し器下部には熱湯がある。中焦部にすだれを置き、そこに食物を置けば、蒸されて軟らかくなる。蒸し器で温めるということは、食物の成分が下に滴りおちるので底の湯も汚れていくる。この液体としての水が水蒸気となり、冷やされて再び水に戻るという循環を「水道」とよぶ。水道には水を尿として排泄するという意味もある。



 

 

5.白い生命・赤い生命

中国医学によれば、陰陽の気が凝ってできたものが気または血で、気は空気や水蒸気のようにガス体であり、血はその凝縮して液体となったものであると定義している。
中国医学でいう血とは、動脈血・静脈血のほかにリンパ液その他の体液をも含めていうのであろう。我々が吸う空気や吐き出す空気や水蒸気も気である。呼気とともに水蒸気が吐き出されて冬季などでは白い霧となるのを見て、中国民族は白い生命と名付けていた。同様に彼らは動脈血や静脈血を見て、赤い生命と名付けていた。血液が全部体外に流出して体内に血液が乏しくなると死亡してしまう。同様に白い生命がでなくなって呼吸運動が止まると死んでしまう。

 
筆者註:現代おける死の三徴候とは、心臓拍動停止、呼吸停止、および脳機能の不可逆的停止を示す瞳孔の対光反射の消失をもって3徴候死としている。(脳死はこの限りではない)



生命の根本である流れるエキスが気体または液体になっている.。このエキスは霊気霊液であって、血管の中および外を流れている。血管の外も流れるという考え方が中国医学独特である。


血液が流れる管を血管とよぶが、血管にも静脈と動脈の区別がある。動脈はこれに触れると脈搏を感じるが、静脈ではこれを感じない。つまり脈管壁自体が動くか動かないかによって動脈または静脈を区別した。動脈を流れ出た血液は、砂原に水を注ぐ陽に動脈から身体組織の中に浸みこむと考えた。




当ブログにようこそ

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                 「現代医学的鍼灸治療」に、ようこそ

 ご関心のある方は、長年にわたり、諸先生がたの治療文献をたよりに勉強してきましたが、針灸臨床を始めて28年(平成18年現在)が過ぎた現在、自分なりの針灸治療も確立しつつあるように思った。単なる知識の受け売りにとどまらず、自分なりの見解をつけ加える内容にしたいと考えている。記す意味は、これまで世話になった諸先輩への御礼、および真摯に針灸を研究している先生がたのご参考に供することにあります。なお本ブログは、平成18年3月10日から配信開始しています。

平成29年12頃から、原因不明ですが画像貼り付けのサイズ変更ができない状態になりました。非常に不便を感じています。やむをえず、画像はサムネイルサイズにしました。この小さな画像をクリックすれば大きな画像が現れます。

当ブログに対して、ご意見・ご感想を頂戴することは大いに歓迎するところです。しかし今後匿名で私に回答を強いる質問等につきましては、今後返信しないことにしました。(平成30年2月15日)

 

 

 


 

 

 

古代九鍼の知識

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これまで古代九鍼についてはあまり興味がなかったが、調べてみると鑱鍼や員利鍼は古代から近代へと針の形や使用法が変化しているものがったり、員鍼のことを誤って員利鍼と称して販売している現状がある。要するにかなり混乱した状態になっていた。古代九鍼については現代では忘れかけた内容で、多くの鍼灸師は毫鍼以外にあまり使わない。というよりそれ以外の方法を知る者がほとんといなくなったということであろう。


現在、古代九鍼について知ろうと思ったら、柳谷素霊著「図説鍼灸実技」があり、最近では石原克己氏代表の「東京九鍼研究会」の活動があるが、それ以外にほとんど知識は得られない。東京九鍼会については以下に詳しい。石原克己「毫鍼・灸方の可能性と限界を整理したとき灸鍼の必要性を感じた!」あはきワールド 2007年4月25日・5月2日合併号 No.33)。本稿では主に「図説鍼灸実技」の内容を読み解き、理解を助けるため、石原克己氏の九鍼写真を使わせていたくことにした。

 

1.古代九鍼の形状と用途

1)鑱鍼(ザンシン)


①形状
「類経図翼」に示されている形と、「古今医統」の形は異なっている。図翼の方は、洋裁に用いる筋立てヘラのような平らな金属片で鋭利な尖端部分を皮膚に押しつけて切開する。医統は、長さ1.6寸で矢じりのような形をしている。「鑱」とは先が細く尖っているさま。のみ。

 
②用途
もともとは、外科的用法で、打ち傷での内出血を出す際に用いられた。現代小児鍼の原型で現在では補法として皮膚を摩擦したり、瀉法として鋭利な尖端部分を軽く迅速に連続的に皮膚に押しつけたり血絡上に打ち付けたりして皮膚を切開する鍼としても使われた。皮膚病や浮腫状態の治療に用いる。
補法:虚弱体質、小児消化不良。小児神経衰弱、異 嗜症、青便、遺尿症、発育不良、不眠等。
瀉法:夜泣き、夜驚症、神経異常興奮、赤眼、上衝、頭痛、歯痛、肩癖、炎症、鬱血、充血、神経痛等

 

2)員鍼(円鍼)

①形状
「円」はもとは「圓」と書いた。圓は丸い形の入物の意味で員と変化した。丸いものの意味である。円の対義語は「方」で四角いものをいう。長さ1.6寸。尖端は卵型。員鍼(上写真)のことを間違って員利針と称して販売する業者がいるので混乱を生じている。   

②用途 
分肉を按ずる、擦る。現代のマッサージとしての用途。現在あまり用いられないが、經絡治療家は使う。補的に使うには、鍼体や鍼柄頭を使う。
瀉的には擬宝珠(「ぎぼし」手すりや欄干部につけたネギの花の形をした装飾)の尖端でこすりったり触れたりして刺激を与える。

 

3)鍉鍼



①形状
長さ3.5寸。尖端は直径1.5㎜の球形。分肉を按ずる。

②用途
今日の銀粒のような使い方をする。經絡治療家の中には、經絡を鍉鍼で押さえて補瀉手技を行う者がいる。

 

 4)鋒鍼(三稜鍼)

①形状
「鋒」とは、矛(ほこ)のことで、△に尖った刃の尖端のこと。三角形の切断面をもつ刺絡鍼。矛は刺すと斬るの両法を目的とした武器で今日では「矛盾」という熟語が有名。矛がやがて槍(やり)や長刀(なぎなた)に分化した。槍はは矛に比べより先細りで刺突力に優れている。長刀は払って斬る用途。長さ1.6寸。

②用途
古くは、熱を瀉し、血を出し、癰(「よう」はれもの)熱を主どり經絡痼(「こ」長病や持病)痺を治するに用いた。現代では一般医家においても瀉血鍼として使われ、鍼家も瀉すに用いる。
中国や朝鮮では、熱症ことに小児の原因不明な熱症に対して爪端穴および十井穴に取穴して、邪気発散泄瀉を目標に刺して著効することがしばしばある。
瀉法をするには經絡の迎隨を考え迎にして鋒鍼の身体を刺手につまみ迎源跳鍼する。
乳幼児の瘀血を刺絡するのに用いた鋒鍼が起源だと考えられている。

 

5)鈹鍼

①形状
長さ2.5寸。刀型の刺絡鍼ないしやり型の鍼。

②用途
膿を出す用途。ねぶとや膿瘍の切開に用いる。今日の外科刀に相当。

 

 

6)員利鍼(円利鍼)

 



①形状
1.6寸長。鋭くて丸い鍼、尖端の直径がやや厚くなっている。「員」の意味は上記の員鍼の項目を参照。「利」は「禾」+「刀」の合成したもので、稲束を鋭い刀でサッと切る意味がある。即ち「利」とは、すらりと刃が通って鋭いさまのこと。時代とともに員利鍼の形状に二説あるといえる。徳川時代以降では、構造は鍼柄のごとき珠であって鍼体の中身部がやや太めになり、鍼尖が鋭利に磨かれている。毫鍼と比べ、鍼柄と鍼体が太い。 

②用途
昔は暴気に対して用いられるといい、別の文献では癰痺に対して用いられるという。痛みが激しいときにリウマチ様症状に用いる。

 

7)毫鍼:毛のように細い鍼。現在の鍼治療で普通に用いられている鍼。詳細省略。


8)長鍼



①形状
「とじ針」のように長い鍼。とじ針とは、編み物用の先の丸い針のこと。縫い始めや縫い終わりの際、毛糸を布片の中にしまい込む目的。普通は長さ2寸~3寸くらいの鍼を使うことが多いが、時には5寸7寸9寸あるいは1尺の鍼を刺すこともある。一般に4寸位から長鍼とみて差し支えない。

 ②用途
筋肉や間質組織に深く刺す、あるいは結合組中を水平に刺す。 坂井梅軒(=豊作)の横刺で刺す時は、押手の母指示指で皮下組織をつまみ、その持ち上がった中を鍼が進む。

肩井部の僧帽筋をつまんで背面から前面へと透刺する。五十肩時、肩髃から刺入して肩峰下をくぐらせる。上腕外側痛時は肩髃から曲池方向に刺入、大腿外側痛時は、風市から陽陵泉方向に水平刺し、下腿外側痛時は陽陵泉から懸鐘方向に水平刺する。


9)大鍼

①形状
太鍼ともいう。長さ4寸、太さは20~100番と太いのが特徴。多くは銀製。日本では鉄鍼が多い。

②用途
母指や示指の爪でグッと押さえ爪の晋第により鍼が盛り上がるように刺入する。夢分流打鍼法のように、小槌で叩打して切皮する方法もある。数呼吸後に抜針。関節に近い浮腫組織に用いる。

火鍼としての使用:馬啣鉄(馬の口にくわえさせて手綱をつける金具。耐熱性がある)を使って製造したものを使う。不導体で鍼柄を包み、真紅になるほどゴマ灯油の中で焼く。その直後に一気に刺入する。熱いので押手は使えない。わが国においてはもっぱら腫瘍潰瘍に用いる。排膿目的。灸頭鍼も火鍼に類する。現在の#30程度のステンレス製中国鍼を火鍼用として使ってみると、1~2回の使用で脆く使えなくなってしまう。火鍼にはタングステン・マンガンの合金の鍼が適しているといことである。タングステンは電球の赤く発熱部分に使われていることもあり耐熱性がある。


2.当時の九鍼使用時の医療感染問題

 
現代ではほぼ毫鍼、長鍼、大鍼3種の形式の鍼だけが残り、今日まで使われている。他の鍼は、やや洗練さた形とはいえない。
鋒鍼・鈹鍼・鑱鍼は今日の皮下注射程度ないしそれよりも太い。この鍼の太さにも関係するが、鍼治療の初期の時代、医療感染の問題に言及されねばならない。感染症が起きたことを疑わせる状況であっても、当時は間違った鍼を刺したとか、正しくない場所に刺したとか、間違った診察の結果にそうなったとかのせいにされている。(ニーダム著「中国のランセット」)

 


肩の外転制限を伴う上腕外側痛に対して棘下筋ストレッチさせての天宗刺針が有効な例

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主訴:上腕外転時の痛みを伴う運動制限

本ブログは、2012年10月9日報告の「五十肩で上腕外側痛を生じる理由と治療法」(以下アドレス参照)の内容を、さらに工夫した治療内容となっている。

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現病歴

2ヶ月ほど前、細い上り坂を犬を連れて散歩していた。すると正面から大きな犬を連れた人が来たので、あわてて犬を抱っこし、その際に転倒して階段を何段か滑り落ちた。その直後から左頸部痛、両臀痛、両膝痛を生じたが、現在最も辛いのは左腕を上げようとすると外転120度で上腕外側が痛くて上がらないという。ヨガインストラクターをしているので、この状態では指導できないとのこと。
理学テスト
他動的は肩関節のROM正常。アームドロップテスト正常。ペインフルアークなし。
病態把握:肩関節外転運動に関する筋膜症。圧痛をみると三角筋に顕著な圧痛はないが、肩甲骨の天宗に強い圧痛あることから、棘上筋の筋膜症と診断。(棘上筋のトリガーポイント刺激は、上腕外側に放散痛をもたらすことを知っていると治療に大いに役立つ。)




治療
患側上の側臥位にて、2寸4番針にて天宗刺針し、痛みを伴う角度まで上腕外転の他動運動を数回行わせた。これで効果不十分だったので、座位にして再び天宗刺針を行い、上腕外転の他動運動を行わせ、さらに症状軽減した。外転は170度程度までに改善した。
 このような治療を1週間に1~2回行わせたが、患者がいうには、現状ではネコの伸びのポーズのヨガができないという。いつもならこのポーズでは、自分は胸が床につくのに、と言った。そこでベッド上でそのポーズをさせ、その状態で天宗刺針をして軽く雀啄して抜針してみたが、直後からネコのポーズが軽々できるようになった。


勉強になったこと
ある姿勢にして痛みが出るのであれば、その状態にして症状部の圧痛点を探り、刺針すると効果が増大することはもはや常識だろう。すなわち過緊張状態にある筋をストレッチさせて圧痛点刺針を行うのがよい治療効果を生む秘訣である。今回はネコの背伸びのポーズというもののあることを知り、これが棘上筋を強力にストレッチさせる方法であることを知った。
 

痛風発作に灸治療が速効した例としなかった例

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筆者は、2016年11月22日に「急性膝関節痛が痛風由来だった症例」を報告したが、この症例では膝痛が痛風からきていると推測できず、また鍼灸治療も効果なかった。しかし2018年3月28日に左肘の痛風発作が灸治療で即時に鎮痛できた症例を経験したので、この事象を追加して報告する。なお表題は、痛風発作に灸治療が速効した例としなかった例とした。

1.痛風の概念
   
高尿酸血症による関節痛。血液に溶けきれない尿酸が尿酸塩となり関節滑膜と腎臓に沈着蓄積していく。これが痛風の  下地になる。

ある時、衝撃を受けたり急に尿酸値が下がったりして尿酸塩の結晶が剥がれ落ちると、白血球はこれを異物と認識して貪食する。この時炎症物質を大量に放出して、突然関節部の激痛を生ずる。
   
進行すれば結晶化した尿酸が腎臓の組織にも沈着し、腎不全(血液から老廃物をろ過する能力が低下)を起こし小便が出にくくなる。40~50才男性に多い。
     
尿酸はプリン体の最終分解物である。プリン体は肉類に多く含まれるが、プリン体自体は殆ど利用されることなく尿酸となる。プリン体を排泄するには尿酸として排泄するしかないが、尿細管で90%は再吸収される。ゆえに血中に蓄積されやすい。他の哺乳類では尿酸をさらに簡単な物質にして尿から排泄できる。プリン体過多は、プリン体を多く含む飮食物の過剰摂取にもよるが、体内でアミノ酸から合成された方が多い。内因性にはメタボリック症候群が関係している。




2.痛風発作
    
痛風発作は、第1中足指節関節が全体の7割を占める。典型パターンは、ある日突然、足母趾MP関節が赤く腫れて激烈な痛みが生ずるというもの。ほかに距腿・膝・アキレス腱などの下半身に発症するものが9割。
下半身の方が体温が低いことや血流が滞る傾向が下半身に多いことによる。痛みは1週間から10日後に次第に自然軽快するが、多くの場合1年以内にまた同じような発作がおこる。


3.症例 

1)右膝痛が痛風由来だった症例(52才男性)植木職

3日前から急に、右膝を90度以上の屈曲ができなくなった。思い当たる原因はない。 膝関節のロッキングがあるので半月板損傷を疑ったが、受傷動機がはっきりしないので本診断には確信がなかった。膝周囲に目立った圧痛点もなかったが、軽く刺針して治療を終えた。治療直後効果はなかった。
  
本患者は当院で治療成功しなかったので、翌日整形受診して「痛風」との診断をうけ、薬物療法を開始した。7日後当院再診。内服治療開始して数日~1週間で、ほぼ痛み消失したという。本例の膝痛が痛風だったとは驚いた。なお症例は、薬物で痛みを止めたのではなく自然緩解だったかもしれない。
 
痛風というと足母趾MP関節の赤く腫れ上がった激痛というイメージが強かったが、本例は可動域制限強いが熱感・腫脹とも見いだせなかった。こんな例もあるのかと驚いた。

2)左肘痛風発作に灸治療が速効した症例(50才男性)会社員

以前から検診で血中尿酸値の高値を指摘されていた。8日前から突然、左肘関節部が発赤・熱感・腫脹あり痛みのために膝の屈伸が十分にできなくなった。医師の投薬治療を8日間続けているが、症状に変化なくとてもつらいという。触診すると膝頭の直上1㎝ほどの上腕三頭筋腱部に限局的に強い圧痛が2カ所みつかったので、この2カ所に糸状灸を5壮実施。施術直後に痛みは減り、肘が伸びるようになったとのことだった。自宅でせんねん灸(強力温灸)を行うよう指示して治療終了した。
 きゅう

4.痛風発作の灸治療

局所が熱をもって痛む場合、局所から刺絡。足母趾MP関節痛の場合、大敦施灸というのが定石。

出来るだけ患部を高い位置に保ちつつ患部を冷やす。発作時の薬物療養は、まずは非ステロイド系消炎鎮痛剤(ボルタ   レン、ロキソニンなど)を用いて鎮痛させることが先決。「コルヒチン」には白血球が痛風発作の発生部位に働いた時に出るブロスタグランジンを抑制する働きがある。関節痛を感じ始めたときに飲めば、激痛を未然に防げる。本治療法としては尿酸値のコントロールが必要。


5.ヘルマン・ブショフが中世ヨーロッパで紹介した痛風の灸

ヨーロッパに灸治療が最初に紹介されたのが、痛風に対してだった。中世のヨーロッパ貴族に痛風が多かったのは、美食過多に要因があったらしい。利尿用のある緑茶を多量に摂取して大量に排尿することが痛風予防になることが知られていた。小便が多量に出れば、大量の尿酸が体に排泄さる事にもつながるからだろう。
   
バタヴィア(インドネシアの首都ジャカルタのオランダ植民地時代の名称)在住のオランダ人牧師、ヘルマン・ブショフ Herman Busschof は長い間足部痛風に苦しんでいた。現地のヨーロッパ人医師が頼りにならなかったので東南アジア出身の女医の灸治療を受けてみた。女医は彼の脚と膝に半時間の間にもぐさの小塊を約20個置いた。効果は彼の期待をはるかに上回った。すでに治療の最中に、それまでは一晩も休めなかったブショフが気持ちよく眠り込んでしまい、24時間後に目覚めたとき、膝と脚はまだ腫れていたが発作は治まり、何日もしないうちに仕事に戻ることができたという。
このヘルマン・ブジョフの灸に関する1675年の報告が、灸に関するヨーロッパ初の出版であった。

当時、アジアには「痛風」という概念はなかったので、女医は脚気と診断して施灸治療を行ったとする見解がある。一方、「脚気」はヨーロッパにない疾患だった。

わが国では 心不全で下肢がむくみ、末梢神経障害で足がしびれることから「脚気」と呼ばれた。( 心臓機能の低下・不全を併発したときは「脚気衝心」と呼ばれる重症だった)。
   

脚気の鍼灸治療

  http://blog.goo.ne.jp/admin/editentry?eid=78051ede4bbb1c7646621d2cd19f771e&p=1&sort=0&disp=50&order=0&ymd=0&cid=dccbeb7efad376c56996341b4cbda8b4  

打膿灸について Ver2.1

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1.余談

打膿灸をしている処は直接は見たことはないが、焼きゴテ治療は見たことがある。今から約30年前頃のこと、小田原市間中病院の間中喜雄先生の治療見学の時だった。

まず皮下へ局所麻酔注射を行ったかと思ったら、引き続き先端一円玉程度の平たく丸い金属性のコテを火で十分熱し、コテ先端を先ほど局麻注射した部分に2~3秒ほど押し当てた。ジューという音がして白い煙が上がった。間中先生は、いつもながらの治療といった感じで特別の感慨もないようだったが、患者も全く熱がっている様子は見せなかったことにはも驚いた。局麻注射の効果は大したものだと感心もした。 


2.打膿灸の方法

①小指から母指頭大の艾炷を直接皮膚上で数壮行い、火傷をつくる
②その上に膏薬や発疱剤を貼布することで、故意に化膿を誘発させる。
※膏薬等を貼っている間、ブドウ球菌や連鎖球菌などの細菌感染が発生すると、黄色不透明の膿を排出する。
③4~6週間頻繁に膏薬類を張り替えることで、持続的に排膿させる。
④膏薬類の使用中止により、施灸局所は透明~淡白の薄い膜のようなものががはった状態になり、間もなく乾燥して痂皮形成する。
⑤痂皮の脱落とともに瘢痕組織となり治癒する。焼け痕は残る。


3.打膿灸に用いる薬剤の意義

打膿灸で火傷をつくった後には、火傷部に薬剤を塗布した布を貼るのが普通である。もし貼らないと、短期間のうちに火傷は自然治癒する。その間、なかなか化膿に至らず、したがって膿も出ない。膿を出すのが打膿灸の治効を生む要素であるから、薬剤作用はわざと治癒を遅らせ、化膿させて排膿させることにある。 

化膿とは、化膿を引き起こす細菌が起こした炎症のことをいう。創傷面にあるわずかの細菌の存在よりも、むしろ異物や壊死組織の存在の方が問題になる。ゆえに膏薬や発泡薬を貼り付けることは合目的性がある。

 


4.打膿灸に用いる吸い出しの「無二膏」

使用薬剤としては無二膏が知られ、現在でも入手できる。膏薬とは、薬物成分をあぶら・ろうで煮詰めて固めた外用剤。結構硬いので、火であぶって軟らかくしたものを布に塗り、患部に貼り付けて使用する。


京都の雨森敬太郎薬房で販売している。江戸時代、徳川三代将軍、徳川家光(1623-1651)の時代に誕生した。<その効き目は他になし>という意味から無二膏薬と名付けられた。お灸の後の膿出しのほか、疔、ねぶと、乳腫、切り傷などに使用する。膿は体内に生じた毒素を外に出すという役割があると考えられていた。ゆえに傷口にカサブタができるということきうがわとは、毒の出口にフタをしてしまう悪い現象だと考えられていた。ゆえに「膿の吸い出し」といった効能を謳った。

 

 

※参考:浅井(あさぎ)万金膏

打膿灸後の薬剤とは少し違うかも知れない。江戸時代~平成に愛知県一宮市浅井町で製造・販売された膏薬。平成9年製造中止。浅井森医院の七代目森林平は、いわゆるタニマチで、大相撲力士には無料で治療した。引退した濱碇(はまいかり)という力士がその薬の行商をしたこともあって、相撲膏との別名がつけられた。

現在の湿布に近いが、硬いので温めてから皮膚に貼り付ける。打ち身、捻挫、肩こり、神経痛、腰痛、リウマチに効能がある。古い広告には、「いたむところによし」とうたわれている。

 


 

 

 

5.打膿灸の意義と適応症
 
打膿灸は非常に熱い刺激で、火傷も残るので、現在ではほとんど行われなくなった。しかし昭和二十年代頃までは、どこに行っても治らないという症状に対して、起死回生の方法としての需要は残っていた。江戸時代にのお灸はもともと大きなもので、打膿灸をして膿を出させることは一つの治療法として確立していた。効率よく膿を吸い出せることが重要だった。
ある一定以上の皮膚にできた創傷は、腫れて熱をもち、その後に膿が外部に流れ、その後に治癒するという順序のあることが知られていた。ところが膿瘍や癰がいつまでも出ない場合、病気の治癒を妨げる要因となっていると考えるようになり、身体内部の膿を出すことが病気の治癒に役立ついという考えに発展し、さらに一歩進んで、人為的に膿を出させることも病気の治癒に役立つという考えに至ったと考えられるかもしれない。
打膿灸の「打」という漢字には、打開という熟語の意味するように、開ける、切り開くの意味もある。

すでに皮下まで出てきた膿は、切り傷をつけることで外に出してやろうとした。この目的で用いたのが古代九鍼の鋒鍼や鈹鍼だったのだろう。

当初は体内の毒を吸い出すという考だったが、打膿灸が効果的に効くような病態は自ずと解明されてきて、結局は腰痛や神経痛など様々な症状に用いられるようになった。

打膿灸の意義を現代医学的な観点からみると、化膿することにより白血球数を増加させて免疫力を高める灸法だといえるので、安保徹氏の免疫理論に通じるところがあるといえる。

お灸のトリビア

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1.灸治療が庶民に広まったのが江戸時代

もぐさは西暦500年頃、仏教とともに日本へ伝わってきた。中国にある棒灸は、日本のお灸の原型と考えられるが、お灸は日本独自に進化した伝統的な治療法。西暦700年頃僧侶が行う治療として隆盛を極め、江戸時代には庶民にも広まった。


2.いくさにおけるモグサの利用法

もぐさは戦さで使われていた。戦さで怪我をした際にもぐさを使って傷口を焼いて、肉を盛り上がらせ、血止め・消毒をしていた。


3.庶民同士が行う灸治療

鍼は鍼医という専門家が行うもので、鍼医は膿を切開するなど簡単な外科手術も行っていた。古代九鍼のうち、3種(鋒鍼・鈹鍼・ざん鍼)は今日でいう皮膚切開用のメスである。これに対して灸は、庶民同士が行う素朴な医術だったので、灸医というものはなかった。多くは痛いところや、切り傷にお灸するとかの原始的方法だった。


4.乾燥したよもぎ葉を石臼で挽く理由

もぐさは、よもぎの葉を乾燥させ、繊維部分を石臼で挽いて細かくし、竹簾でふるいにかけてフワフワの状態に仕上げたもの。よもぎの総量の3%ほどしかつくれない。
石臼挽きを重ねたもぐさは繊維が細かく、繊維間に空気を多く含むのでふわっとしていて、燃焼温度も比較的低い。中国製のものは乾燥したヨモギ葉を電気式ミキサーで粉々にカットするが、このような製法では繊維間の空気含有が少なく、燃焼温度が高くなるので有痕灸用としては不適切である。
 

5.足三里灸の効能

1)旅人のツツガムシ病の予防する

江戸時代になると、旅にもモグサを携帯するようになった。旅の途中、川を渡るとツツガムシ病に感染する恐れもあることから、お灸で予防していた。松尾芭蕉も奥の細道の旅立ちを控え、「三里」のツボに灸をすえて...と詠んでいる。(富士治左衛門(釜屋社長)東京 日本橋の観光・グルメ・文化・街めぐり情報サイト2015年02月【第52号)より)
  
※ツツガムシ病:オリエンティア・ツツガムシという病原体を生来もっているダニの一種。河川敷や草みらに幼虫は生息していて、そこに人が通ったりすると、皮膚にとりつき管を体内にいれて体液を吸着する。人の体内にその病原体が入ったときに発病する。発熱、刺し口、発疹は主要3徴候とよばれ、およそ90%以上の患者にみられる。また、患者の多くは倦怠感、頭痛を訴える。


2)中後年のノボセを下げる

「千金翼方」では「30歳以上で頭に灸をするときは40歳で足三里にもお灸をしないと気が頭に上って目が見えなくなる」書いてありる。それが後の「外台秘要」では「人、四十にして三里に灸せざれば目暗きなり」書かれてあり、文章の最初の「灸頭」が抜けていた。それ以後「年をとったら三里の灸をしなければならない」と伝わってしまった。もともと足三里の灸はのぼせを下げるための意味付けが強かった。(一本堂学術部「 江戸の鍼灸事情と養生法」)  

 

鍼灸院における設備・備品の改良アイデア(その4)

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1.以前、赤外線スタンドの根元に「二つ折りした鉄製の格子」(百均で購入)を取り付け、そこを診療中のカルテ置き場とした。しかし使いづらく、壁に移したことで、必要に応じて簡単にカルテを手にとれるようになった。この場所はカルテ置場と小マクラ置場の兼用である。患者を側臥位にさせた時、通常の角マクラだけでは頭が低くなるので、角マクラの上に小マクラをのせることで丁度良い高さになる。

 

 ↓ 変更

 

 

 2.以前はワゴンの下にティッシュケースを取り付けたが、手が届かないことがあるので、赤外線スタンドに縦に設置することにした。Ω型の取り付け金具は、ホームセンターで購入した。ティッシュケースはダイソー百均で購入した。非常に使い勝手がよいが、本来は台などに置いて使用するものだろう。直立した状態で取り付けたので、ティッシュ箱が空になると、フタを開けて交換してその都度セロテープで開かないよう固定しなければならない。

 

 

3.ベッド脇には小さなワゴンを置き、モグサや線香、灰皿等を置いているが。しかし使用中の鍼皿を置くには、遠すぎて手が届かない。といって、臥位になっている患者の傍らの脇に鍼皿を置くと、急に患者が手などを動かすことがあり、この時鍼皿が触れて鍼シャーレーが床にころがり落ちることが多々あった。

この対策としてベッド脚を利用した鍼皿の設置台を考えた。当院治療室には電動ベッドと普通の診療ベッドが各1台あるが、電動ベッドの方は、脚の上面部分が平らになっているので、ステンレストレーを両面テープで取り付けるだけで完成。

 

普通の診療台は、脚に角材を当てて、結束バンドで固定。上の方はL字金具2個使って、ステンレストレーの置き台を作った。両面テープでステンレストレーを取り付けた。
角材上部が光っているのは、アルミテープを巻いたためだが、かえって素人工作っぽくなってしまった。このステンレストレーはダイソー百均で購入したものだが、縦180㎜×横85㎜で鍼シャーレーを載せるにはジャストサイズだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                               

脳清穴の臨床応用例 Ver.1.2

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1.脳清穴とは

脳清穴とは、解谿の上2寸にある新穴で、脛骨外縁側付近で長母指伸筋腱上に取穴する。長母指伸筋腱を刺激するという意味では、解谿穴刺針に似るが、解谿と比べてしっかりと刺激できるという利点がある。この度、脳清穴刺針が効果あった症例を通じ、脳清穴刺針の臨床応用の一端を知ることができたので報告する。

 なお脳清穴については、「足三里と脳清穴の相違点(2010年7月11月発表)」と題して報告済。とくに脳清穴の刺針方向と深度について記している。未見の方は併せてご覧いただきたい。

https://blog.goo.ne.jp/ango-shinkyu/e/e7514bb2ee7d5d4602f318ad0cdce4ac

 

2.症例1(T.O. 63才男性)

1)主訴:足首を回しにくい

来院時の主訴は、坐骨神経痛と上殿部コリ。ともに仙骨神経症状なので、坐骨神経ブロック点刺針と中殿筋刺針で改善しつつあった。なお中殿筋は上殿神経の運動支配であり、上殿神経は仙骨神経叢の枝でなので、同じ仙骨神経の枝である坐骨神経痛時に同時に出現することが多い。
本患者は、他に「足首を回しにくい」との訴えもあり、治療数回目からは、こちらの方が主訴となった。

2)考察

足首の動きが悪いという訴えから、拮抗関係にあるべき下腿後側筋や下腿前面筋の緊張を調べてみる(これはⅠa抑制を考えている)と、確かに圧痛点は多数見つかったが、どこを押圧しても痛がるといった状態だったので、特異的反応点を見出すことは逆に難しかった。

そこでどの姿勢をすると最もつらいかを問診すると、「正坐しようとすると、下腿前面がつつっぱって痛むので、上体を前傾させ、体重があまり下腿にかからないようにしている」との回答が得られた。

3)治療

これは前脛骨筋を十分にストレッチできない状態であると考え、仰臥位で条口あたりから前脛骨筋に2寸4番にて刺針、その状態で足関節の上下の運動針を実施した。直後に正坐させてみると、上体の前傾程度が少し改善し、下腿前面の痛みは消失し、代わりに足背部の衝陽あたりがつっぱって痛むということであった。
 
足指を底屈する動作で痛むのだと捉え、再び仰臥位にして脳清穴から長母指伸筋腱と長指伸筋腱に刺入し、その状態で足指の底背屈の自動運動をさせた。その直後に正坐させてみると、上体の前傾がほぼ消失し、正しい正座姿勢ができるようになり、下腿前面や足背の痛みも消失した。

4)判明したこと

1)正坐が苦手という者は、膝関節部痛のことが多いが、負荷をかけた際の足関節の伸展痛や、足指関節伸展痛が原因のこともある。

2)前脛骨筋の負荷伸展障害は、前脛骨筋部に刺針しての運動針(足関節底背屈運動)で有効になるケースがある。長母趾伸筋・長指伸筋の負荷伸展障害は、脳清穴に刺針しての運動針(足指の底背屈運動)で有効になるケースがある。

 

3.症例2(S.A.43才男性)

1)主訴:足関節が痛くなって正座姿勢がとれない

以前から上記状態が存在する。痛むのは、足関節背面~下腿前面の下方。

2)考察:正座姿勢時に、足母指MP関節が強く屈曲されるが、その動作で長母指伸筋腱が強制伸張される。この時の痛み。すなわち長母指伸筋の過収縮が本態。

本例は脳清運動鍼の適応であろう。ただし、これまでこの刺針は仰臥位で行うのが常だったのだが、この症例の数日前、理由なく私自身の脳清の重だるさを感じることがあってた。こういうことは過去に何回かあった。そのたびに長座位(足を伸ばしての座位)になっっ自分の脳清に刺針し、母指の底背屈運動を行った。よく響くのだが、脳清部のダルサに対してはあまり効果を実感できなかった。ここで今回は、椅座位で脳清に刺針した状態で、爪先の上げ下げ自動運動を行ったところ、初めて効果を実感できることになった。

3)治療

座位にての脳清刺針し、爪先の上下自動運動を5回行わせて抜針。その直後にベッド上で正座させてみると痛みなく動作できるようになったとのことだった。

4)判明したこと

同じ運動鍼でも、自分の体重を利用するといった、負荷をかけた運動鍼でないと、十分な効果は得られないらしい。なお、「脳清」という漢字のイメージから受ける、脳をすっきりさせるような治療効能はないようだ。

 

4.診断名は外側型シンスプリントか?

 

当初、なぜ特異的に脳清穴あたりの鈍痛を生ずるのか不明だったが、やかてこれは「前外側型シンスプリント」の診断名になるのではないかと考えるようになった。シンスプリントの典型は、「後内側型シンスプリント」であり、この場合硬い内側の三陰交付近を中心に痛むものだが、「前外側型シンスプリント」というパターンもある。すねの前面と外側の筋膜(前脛骨筋、長母趾伸筋)に牽引ストレスが作用して痛みを生じ、付着する脛骨骨面の骨膜にも牽引ストレスが作用して痛む状態である。足関節背屈がしづらくなる。脛骨筋の障害では、脛骨前面の胃経から中封に沿って重苦しく痛むが、我慢できないほどの強い痛みになることはあまりない。後内側型シンスプリントに比べて治療に反応しやすい。

 

中世のお灸事情

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お灸に関する、とりとめのない知見を以下にまとめてみた。


1.排膿のための鍼と灸
 
血が停滞して体内に熱をもって体内に腫瘤形成される。これを取り去るには、内科的には湯液治療だが、鍼灸治療的には、鍼による皮膚切開と、打膿灸による排膿の方法が行われていた。

1)皮下に腫瘤の存在が明瞭で、排膿できそうな場合
→鋒鍼(△型に尖った鍼。三稜鍼)や火鍼(鋼鉄の太鍼を火で加熱)で皮膚を切開し、排膿口をつくって膿を外に出す。
 
2)皮下に腫瘤がない場合
打膿灸で排膿口をつくる→火傷部に膏薬を貼って治癒を遅らせる。4~6週で膿を出し尽くす。
すなわち傷口内部に砂や木片が残っているとなかなか治癒しない。同じく、傷部に異物(「無二膏」など)を接触させていると、治癒が遅くなることを利用している。


2.家伝の灸
 
家伝灸とは、ある一個人が自分の病気を灸で治した経験から,同じ方法で同一の病気を治そうと他に施し、それを子孫が伝えているものである。家伝灸の多くは打膿灸だった。わざわざ遠方まで打膿灸されに出向くこと、熱さに耐えること。こうした苦労を克服したからこそ御利益もあるという思いだったろう。要するに神仏にすがる思いと同種のものであった。。
以下は代表的な家伝灸

1)中風予防の<熊ヶ谷の灸>膝眼穴 
目的:中風予防の打膿灸取穴
刺激法:大豆倍大にして一ヶ所三壯、打膿灸(すいだしきゅう)。
実施日:六月一日の二日の2日間のみ。治療代は一人2~3円。この2日間だけで6万円(現在の価値では6千万円)があった。小田急の鶴川駅はこの灸のためにできた。

2)面疔に対する<桜井戸の灸> 合谷穴 
目的:面疔。昭和 28 年頃は副鼻腔炎も
方法:手三里と合谷に 30 壮~ 100 壮灸する。これを1日3回やる。面疔の治療は、化膿を待って切開するのか常で、したがって手の一穴(合谷)へ灸をすえれば必ず口が開いて排膿できるという。膿の出る口を開けるには、吸い出し膏薬を貼る。(代田文誌著『簡易灸法』) 痛みが出たら、再び合谷に数十~二百壮連続で、痛みがとれるまですえる。

※面疔:目や鼻周囲にできた黄色ブドウ球菌感染症。常在菌である黄色ブドウ球菌が顔面の毛孔から侵 入し、毛嚢炎が起きた状態。抗生物質が有効。面疔は強烈に痛んだり、悪寒発熱など全身症状の出る こともある。軽度な面疔であれば、排膿後2 週間ほどで自然治癒する。病巣部である眼窩や鼻腔、副 腔などは薄い骨を隔てて脳と接しているため、抗生物質を服用しないと髄 膜炎や脳炎などを併発 し 手遅れになることもある。沢田健は面疔で死亡した。
 

3)眼病に対する「四つ木の灸」臂臑  
上腕外側、臂臑穴行う打膿灸。眼病に効果あり。

 


3.お灸の壮数について
   
お灸の壮数は、ほとんどが3・5・7壮と奇数になっている。これは古代中国において奇数が陽の数字としての意味をもち、灸をすえるという行為事態に「陽の気を補う」 という意味が込められたことを反映している。(鍼灸甲乙經)
お灸の壮数で、病が深く浸透している者は、数を多くすえる。老人や子供では成人の半分位の量に減らす。扁鵲の灸法では、五百から千壮に至ったというが、明堂本經では鍼は6分刺し、灸は3壮と記し、また曹氏の灸法では、百壮することも五十壮することもあった(千金方) ということで、当時としても多様な考え方があった。

お灸のすえ方として、江戸時代頃までは、打膿灸と多壮灸が主流だったらしい。しかし現在の状況では、両者とも行い難い方法になってしまった。せんねん灸やカマヤミニは、従来のお灸の代用としては役不足であろう。  

4.施灸時の体位

1)紐を使った取穴 
取穴を大仰(おおぎょう)にする演出で、この類には次のようなものがあった。患者は、おそれいったことだろう。
 
①騎竹馬の灸→第10胸椎の両側各5分のところ。 灸30壮。癰疔などの悪性潰瘍を主治する。 乳腺炎等。
②四花・患門→呼吸器疾患、心臓疾患  
③脊背五穴 
④五処穴など 

2)施灸体位

現在では、鍼も灸も仰臥位または伏臥位で施術されることが中心となったが、残された古文書をみると、座位で背中にお灸した図を見る機会が多い。深谷灸法にあっても、「治療は座位で行なう。座位ができない場合は寝て取穴する。当然ツボの位置はずれる。」とある。

座位で鍼する方法は、柳谷素霊「秘法一本鍼伝書」の五臓六腑の鍼で紹介されている。
鍼でも灸でもこれは背部筋を弛緩した状態で鍼灸刺激するよりも、自重を背筋緊張で自重を支持して鍼灸するのでは、後者の方が効果が高いことを知っていたのだろう。
 

中国の宋代とは、糖につづく時代で、我が国の鎌倉時代に    
 だいたい一致する。上絵は打膿灸を行っている。

     

椅座位での足三里の灸

 会陰への灸

 


座位で、台の上に両肘をつけて背中に灸する様子を描いているが、肩甲骨を左右に開くことで大・小円筋や大・小菱形筋もストレッチさせて灸していたことが発見できて、今日でも参考になる。

 

3.お灸のつぼの故事
今日でのお灸は、半米粒大の艾炷で、1カ所3~7壮程度が標準とされているが、昔は数百といった多壮灸が普通だったのかもしれない。ということは、灸治療の効果も、今日の常識以上の効き目があったのではないだろうか。

1)足三里 

「千金翼方」では「30歳以上で頭に灸をするときは40歳で足三里にもお灸をしないと気が頭に上って目が見えなくなる」書いてありる。それが後の「外台秘要」では「人、四十にして三里に灸せざれば目暗きなり」書かれてあり、文章の最初の「灸頭」 が抜けていた。それ以後「年をとったら三里の灸をしなければならない」と伝わってしまった。もともと足三里の灸はのぼせを下げるための意味付けが強かった。(一本堂学術部「 江戸の鍼灸事情と養生法」) 
   
頭寒足熱が理想の健康のサインだが、これが逆転して頭熱足寒になると不健康になりやすいと昔からいわれていることである。頭部より足部の気温が高いほうが快適であり、ゆえに床暖房がもてはやされる。就寝時、足冷でアンカを使うことはあっても、頭は掛け布団の外に出ていてもさほど苦にならない

2)膏肓
   
「千金方」で初めて膏肓穴が登場した。古い文献に膏肓は記載がない。膏肓の名前の由来は、「病膏肓に入る」の故事より。<晋公の病はすでに膏の上、肓の下にあるので治療できない>と医師の緩は語ったことから。
   
しかし孫思邈(ばく)は、当時の医療では膏肓の取穴がきちんとできなかったからであり、このツボは万病に効く。600~1000壮すえることで、自分の身体補養になると言っている。  600~1000壮という壮数は、「医心方」にもあって、医心方中最も多い壮数となっている。

3)関元

南宗の時代の「扁鵲心書」では、罪人でつかまっていたが、90才過ぎても快活で1日十人の女性と交わっても衰えること
がなかった。刑吏がその理由を聞くと、夏から秋への季節の変わり目に、関元に灸を千壮すえているだけだと言った。しばらくこれを続けていると、寒暑をおそれくことがなくなり、何日も食事をしなくても飢を覚えることがなくなったと返答した。関元へのお灸は、百壮単位で行うのがよいらしい。


石川日出鶴丸著の要点 Ver 1.3

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石川日出鶴丸 原著 倉島宗二 校訂 昭和51年5月1日 日本針灸皮電学会刊

1.米占領軍の針灸按等医療類似行為禁止令に抵抗した石川日出鶴丸
 
石川日出鶴丸(1878-1947)は、東京帝大医学部を卒業後、京都帝大で教授となり、生理学教室を主催し、そこで求心性自律神経二重支配法則を発見して注目を浴びた。また東洋の伝統医学である針灸についても深い関心を示し、その治効原理と經絡経穴の本態の解明に着手した。その研究は、京都帝大から三重医専校長に移ってからも引き続き転回され、針灸の臨床面まで手を拡げた。昭和18年には鍼灸臨床の研究グループ龍胆会を主催した。龍胆会会員は、主座:石川日出鶴丸、幹事:藤井秀二、郡山七二、清水千里、代田文誌ほか11名という蒼々たるメンバーだった。

 
昭和22年、米占領軍は、日本の医療制度審議会に対し、針灸按等医療類似行為の禁止令が伝えられたが、その一方で米占領軍当局代表者のアイズマンは、著明は針灸研究者として石川教授を選び、針灸の学理的根拠の有無に関して十二項目にわたって質問し、さらに臨床実験を臨検して興味をいだくようになり、代表者アイズマン自らも針治療を受けて満足した。その結果、米占領軍の針灸禁止命令は、再教育の実施という条件つきで解除された。ご子息の石川太刀雄は、父君の研究をさらに発展させ「内臓体壁反射」を発見した。

本書は石川日出鶴丸が、針灸医学者でない本邦の一般の医学者に針灸医学の大要を説明するためにまとめられた。本著作は、日本皮電学会発行ということで現在絶版であり、またカタカナ表記であることもあって、読んだことのある者は少ないと思われる。であろ内容は基本的であるが、そうだったのかと感心させられる内容が所々に見受けられた。ここではそうした内容を紹介する。


2.中国伝統医学の欠点
 
中国伝統医学の考え方を、徹底的に学理的に批判すると、信用できないものとなる。いろいろとこじつければ、こじつけられないでもないが、それは屁理屈にすぎない。実に狭い経験から組み立てた理論をもって、それが妥当性を有するや否やを実験的に吟味しないで無理に一般的に適用しようと試み、理論の権力をもって強制的に押しつけてしまったので、はなはだしい誤解に陥っている。
 かくして事実を誤るのみか学問の発達を妨げたことは、その罪のまことに大いなるものがあるが、これに類似にことは西洋の医学史の中にも現れている。それゆえに西洋医学はある見方をすると、医学者から起こらないで理髪者や屠獣者の中から起こったと解されないでもない。しかし彼らでが医学をどうすることもできなかったと同様に、古代中国医学は決して排斥すべきものでなく、之を正しい道に導くように改造せねばならない。それを正しく改造するように読み直すことが、私は中国の医書を読むコツだと考えている。


3.陰陽における太陽、厥陰の意味合い 

陰陽にはそれぞれ三段階がある。陽は太陽・少陽・陽明に区分できるが、陽明とは太陽と少陽を合わせた状態であって、陽の全発する姿である。
陰には太陰・少陰・厥陰があるが、厥陰とは陰気の最も甚だしい太陰と少陰の合わせた状態で、陰が尽きる状態であるかようだが、支那の語で「尽きる」とは尽滅根絶の意味ではない。たとえば易に「碩果(せきか)不食」(大いなる樹果ありて食らわず)という言葉がある。手の届くところにある枝に実っている果実は食べられてしまうが、高い枝の先端の実は最後まで食べられずに残っている。この実はやがて地面に落ちるが、やがて実の種から発芽して、再びつながって発展していく。

註釈:全く太陽光の反射がない月のことを中国語でも新月というのも象徴的である。上記内容を筆者は次のように図で表現してみた。

 


この内容を、次のような螺旋で表現で示すこともできる。今回は対数螺旋を使ってみることにした。対数螺旋は自然界にも多く見られる螺旋である。たとえば獲物を捕るための鷹の運動パターン(獲物を一定の角度で見続ける)、水の渦巻、巻き貝など。



4.心包の相火とは 

心を君火とすれば、心包は相火(しょうか)である。相火とは宰相の「相」のことである。元来、宰相とは中国の王朝において皇帝や王を補佐する最高位の官吏を指したのが始まりで、内大臣に相当した地位だった。宰相は戦後に首相という名前に変わった。すなわち相の中の代表が首相という意味である。
「相」のの語源は「木+目」で、「木の種類や樹齢を丁寧に目で観察する」ことからきていいて、それが「人を見る」という意味に変わった。いわゆる人相であって、顔の美醜や好き嫌いではなく、「人間として持って生まれた性格、その後の育ち方、自分の律し方、多くの人を正しく指導できる本質」を見ることをいう。


5.心の役割 

心が憂えると心包の相火が宣(よろこ)ばない。心が喜ぶと相火が甚大となる。心は喜憂などの心情の宿るところで、今日の「こころ」と同じ意味である。ただし心は君主のように、じっとしているものなので、心情の変動は心包の働きによっている。ゆえに「心包は臣使の官なり喜楽出づ」と唱えられている。
 筆者註釈:理性をつかさどるのは脳であって、心ではない。心拍数を変化させる情動こそ心の機能である。なお脳を起点として体幹四肢に至る流れを、nerveといい、解体新書では神経と訳出した。神とは意識のことである。



6.三焦は「決瀆の官、水道これより出ず」とは

「瀆」には、①水路を通す溝(=用水路)と、②けがすという意味(冒瀆といった表現)の2つの意味がある。これは用水路に、どぶの水を流すことで、汚くするという着想から成り立っている。「決」は、堤防が決壊するという場合の決で疏通するという意味。すなわち 決瀆とは、用水路の水を流すという意味で、それは三焦の役割だとしている。
 三焦とは体温を一定内に保持する役割があり、体温維持との環境下で初めて他の臓腑の生理的機能が営まれる。上焦は霧のように、中焦は瀝(したたたり)のように、下焦は瀆(大≒排水路)のごときという表現がある。
 筆者註釈:この意味するところは、蒸し器内部を想い浮かべるとよい。上焦である蒸し器上部は、熱い水蒸気に満たされていて、下焦である蒸し器下部には熱湯がある。中焦部にすだれを置き、そこに食物を置けば、蒸されて軟らかくなる。蒸し器で温めるということは、食物の成分が下に滴りおちるので底の湯も汚れていくる。この液体としての水が水蒸気となり、冷やされて再び水に戻るという循環を「水道」とよぶ。水道には水を尿として排泄するという意味もある。

  経穴の一つで前腕背面ほぼ中央に四瀆穴がある。四瀆とは、中国に水源を発して直接海に注ぐ四つの大河をいう。すなわち長江、黄河、淮(わい)水、済水のことである。なお中国で単に「河」といえば、黄河のことを称した。水源を発して直接海に注ぐ川(《爾雅》釈水)を指す。四瀆は三焦経にあり、三焦経は水を処理する作用があるとされることから、この名がつけられた。



 

 

5.白い生命・赤い生命

中国医学によれば、陰陽の気が凝ってできたものが気または血で、気は空気や水蒸気のようにガス体であり、血はその凝縮して液体となったものであると定義している。
中国医学でいう血とは、動脈血・静脈血のほかにリンパ液その他の体液をも含めていうのであろう。我々が吸う空気や吐き出す空気や水蒸気も気である。呼気とともに水蒸気が吐き出されて冬季などでは白い霧となるのを見て、中国民族は白い生命と名付けていた。同様に彼らは動脈血や静脈血を見て、赤い生命と名付けていた。血液が全部体外に流出して体内に血液が乏しくなると死亡してしまう。同様に白い生命がでなくなって呼吸運動が止まると死んでしまう。

 
筆者註:現代おける死の三徴候とは、心臓拍動停止、呼吸停止、および脳機能の不可逆的停止を示す瞳孔の対光反射の消失をもって3徴候死としている。(脳死はこの限りではない)

 


6.動脈と静脈

 
当時も血管には静脈と動脈の区別があった。ただし現代の意味とは異なり、脈搏を触知できるものを動脈、触知できないものを静脈とよんだ。当時、動脈を流れ出た血液は、砂原に水を注ぐ陽に動脈から身体組織の中に浸みこむと考えたので、心臓へと環流する血液の流れがあることを知らなかった。

栄血衛気(気は衛し血は栄す)とは陰に属する「血」は中を栄(=栄養)して経絡中を運営する。つまり十二経脈の循環路を正しく順に一回りする。陽に属する「気」は外を衛(まも)ることでつまりは皮膚に充つる。衛気は経脈の外を行くもので、しかも昼は陽経を流れ夜は陰経を流れるという。
 

筆者註:江戸時代後期の医師、石坂宗哲は、解体新書などで西洋の解剖学に初めて触れて自分達が教わった内容と非常に異なることに驚き、気血營衞の「営」が流れているのを動脈、「衛」が流れているのを静脈だという珍妙な説を考えた。これは西洋医学の理論は、名前は異なっているが、基本的な考えは、わが『内経』の医の道の考え方と大きく異なるわけではないと考えたため。

 

 

 

7.横隔膜の意義
内臓は胸腔臓器と腹腔臓器に分けられるが、その境界を「隔膜」と称した。隔膜は、腹腔の汚れたものが、心・心包・肺の虚ら傘を犯さぬよう遮断する働きがあると考えた。呼吸運動の関係あることは古代中国医学ではまったく知らないことだった。

 

 

8.十四経発揮が現れる以前の中国医学の歴史

元来、中国では鍼治・灸治・煎薬(=湯液)服用の三種類の治療法があった。ただし素問霊枢の時代では、服餌(服薬+食餌)療法はさほど行われておらず、鍼術のみが盛んに行われていた。治療法中、服餌法は1~2割、灸法は3~4割、残りが鍼治療だった。『内経』は医学理論の基本であり、学説は経脈学が中心だったので、鍼術が医術の根本だったのだ。 湯液が盛んには行われなかった理由だが、その頃は薬物の発見が少なかったので、本草学が進歩しなかったのだろうと思っている。当時の鍼術は、現代の鍼術にとどまらず、外科手術をも含めた内容であって、鍼といえば外科の手術道具の総称だった。
  現在に伝わる古代九針である鑱(さん)・員・鍉・鋒(ほう)・鈹・員利・豪・長・大の各鍼の中で、前五者が外科刀である。後の四者はいずれも鍼であると記述されているが、これは誤りあって、次のよう修正したいところである。

現在に伝わる古代九針は用途別に次の3種に大別できる。
①皮膚を切開するために破る鍼→鋒鍼・鈹鍼・鑱鍼。これは今日の外科刀に相当。
②鑱(さん)鍼・員鍼 →擦る・押すなど刺さない鍼。
③員利鍼・豪鍼・長鍼・大鍼→今日でいう鍼術に用いる鍼。刺入する用途。


しかるに後世になるほど内科的な医学が進歩してきた。非常に多くの薬品や薬物が発見され、湯液療法が大進歩を遂げた。そのため経絡学によらない療法も続々と現れてきた。当時の鍼術(外科手術を含めて)は危険だったが、湯液療法は鍼術ほどの危険はなかったため、經絡学中心の中国医学は動揺し、時代とともに行き詰まりを生じるようになった。

 

医学書は、時代を下るほど沢山出されるようになた。出版されるようになった。中には『内経』を基礎としないものも現れ、『内経』を基礎とする内容とともに混然として、ただ実際の療法のみを並べ立て、知識を雑然と記すだけになった。無論、立派な本も発行されたのだが、医学が発達するほどに議論が乱雑になり一貫したものがなくなった。

これを整理するための方法として、第一の方法としては雑然とした知識の中から誤ったものを取り除いて、正しい確かな知識だけを選び取り、新しい学理でまとめ上げることであるが、不幸なことに系統的に整列を行って中国医学をまとめ上げようとする者は中国に現れなかった。

第二の方法としては、その頃行われた医学の理論を一つにまとめ上げることだった。この流れから旧来の經絡学的主知主義によって新たなまとめ方をしようという運動が処々に起こりかけた。つまりできるだけ内経の理論に拠ろうと志した。これによって十四経絡の学問がまとまったのだが、それでもまだ充分といえないものがあった。
そこで元の時代の至正元年(西暦1341年)、滑伯仁はこれらの書物とくに素問(骨空論)・霊枢(経脈篇本輸篇)・甲乙経・金蘭循経により經絡兪募穴の詳しい説明を施した。
兪募穴でいう兪とは輸の意味で気血の輸入輸出する中心点とい。募は集まるという意味で気血の集まる意味で、これは任脈を始め胸腹部の陰経において臓腑に当たる経穴をいう。

 

この滑伯仁の著書を『十四経発揮』という。これは手の三陰三陽と足の三陰三陽の十二経と、奇経八脈中の督任両脈を加えて十四経になる。十四経が、とくに発起・揮発させるのが目的だから発揮との名称になった。本書は良書として四方の歓迎を受けることとなり、後世人にまで愛読されることとなった。私は雑然たる医学を纏めるために在来の学説の膠着した滑伯仁の努力を否定するものではないが、前述した第一の方法を選ぶべきだと思う。 滑氏の態度では、学説の進歩というものがまったくないからだ。


筆者註:『黄帝内経』が原点となり、時代を経て新たな知識が加わってその改修版が多数現れ、逆に何が正しいか混乱状態となった。そこで改めて原点に立ち返って、『黄帝内経』の理論に戻って共通理解を得たということだろう。『十四経発揮』は、現代では古典鍼灸入門の定番だが、種々の力関係のせめぎ合いを良しとせず、基本的合意部分を整理した内容ということだ。十二正經に奇経であるはずの任脈・督脈を加えたことで基準線を得ることとなり、経穴を学習しやすくなったとはいえよう。

主知主義とは、人間の精神を知性理性・意志・感情に三分割する見方で、知性理性の働きを 意志や感情よりも重視する立場のことである。本稿では、観察や実験的手法によらず、頭の中だけで組み立てられた思想といった意味合いで用いられていると思う。

 

 

 




肋間神経痛の鍼灸治療

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1.胸痛を起こす原因
 
冠状動脈の虚血と、肋間神経の興奮が胸痛の2大原因である。

1)冠状動脈の虚血
 冠血流量が不十分→心筋虚血→心臓を支配する交感神経(Th1~Th5)興奮
→心臓痛となる。ただし強い痛みの場合、交感神経興奮は交通枝を介して脊髄神経にまで興奮が漏れるので、同じレベルの脊髄神経すなわちTh1~Th5胸神経の後枝と前枝(=肋間神経)を二次的に興奮させる。つまり虚血性心疾患による胸痛とは、交感神経性と肋間神経痛の混合性である。
 なお、虚血性心疾患で左上肢尺側に放散痛がみられるのは、Th1脊髄神経の興奮によるTh1デルマトーム領域の反応である。この代表疾患には、狭心症と心筋梗塞がある。

2)肋間神経の興奮
 胸部の体壁知覚は肋間神経支配なのは当然だが、その深部にある壁側胸膜も肋間神経支配である。そのすぐ下にある臓側胸膜と肺実質に知覚はない。ゆえに肺癌や肺結核の初期に自覚症状が乏しいが、次第に進行して病変が胸膜に及ぶと痛みが出現してくる。

2.肋間神経痛のおさらい

1)原因
   
特発性は比較的若い女性に多く、左側の第5~第9肋間領域に多い。特発性は少なく大部分は症候性である。症候性の原疾患には糖尿病、脊椎疾患、帯状疱疹、単  純性疱疹、胸部内臓疾患(胸膜炎、自然気胸)などがある。

 

2)肋間神経の走行と神経支配
  
①第1~第6肋間神経
    
肋間を胸骨縁に向かって走行し、前胸の肋骨に相当する部の肋間部の筋運動と、深部知覚を支配する。その皮枝は前胸壁皮膚知覚を支配する。皮枝には外側皮枝の外側枝と内側枝、皮枝の外側枝と内側枝がある。
   
②第7~第12肋間神経
    
途中までは肋間部を走行するが、腋窩線あたりから内腹斜筋と腹横筋の間を走行し、腹白線に至る。腹壁筋の運動と深部知覚を支配する。その皮枝は鼡径部を除く腹壁の知覚を支配する。
 

3)症状
   
肋間神経が深層から表面に出る部に圧痛がみられ、次の3ヵ所が代表的圧痛点。
  
①脊柱点:脊柱外方3㎝の処。胸神経後枝が表層に出る部。
②側胸点(外側点):前腋窩線上。前枝の外側皮枝が表層に出る部。
③前胸点(胸骨点):胸骨外方3㎝。前枝の前皮枝が表層に出る部。
※第6肋間神経以下は腹部肋間神経痛として現れ、前胸点に相当する圧痛点は腹直筋外縁に出現し、「上腹点」と称する。

 

 

 

3.肋間神経痛の鍼灸治療

特発性(原因不明)の肋間神経痛は、これまで神経の刺激によるものと考えられていた。そして神経が深層から表層に出る部が治療点だとされていることから、脊柱点・外側点・間前胸点を取穴するのが定石だった。しかし生理的に上流の知覚神経が興奮しても、下流にその興奮を痛みを伝達することはない(ベル・マジャンディーの法則)ので、中枢側の筋々膜症症状  が末梢側に放散痛を生ずる状況を、肋間神経痛と呼んでいるのが真実である。これはMPS(筋膜症候群)の考え方で説明できる。だたし帯状疱疹性の肋間神経痛ならば知覚神経興奮が生ずる。

肋間神経絞扼障害を生ずる脊柱付近の筋膜症とは、具体的にどの筋なのかが模索されている。
  

①肋横突関節附近への刺針(長尾正人:「一本針四題」医道の日本、H12.6)

ほとんどの肋間神経痛、胸痛、背部痛、側胸痛などの原因は、椎間孔から肋横突関節付近の脊髄神経の障害による放散痛と考えられる。つまり棘突起下、外方1㎝~2㎝の範囲内になる。針はここに有効深度(3㎝程度)だけ入れればよい。針先は椎間関節、回旋筋、多裂筋付近(=短背筋と総称する)。結果はただちに反応する。

以上が長尾先生の説明だが、このやり方で私は過去に何度も本態性肋間神経痛症例に施術してきたのだが、あまり良い結果が得られなかった。効果の出せない理由を自分なりに考えてみたが、長尾先生の刺針は脊髄神経後枝を刺激するもので、確かに背部一行にある短背筋の筋膜性腰背痛に効果はあるが、前枝走行とは関係がないためだと結論するに至った。


②肋間神経痛の傍神経刺
(木下晴都:肋間神経痛に対する傍神経刺の臨床的研究、日鍼灸誌、29巻1号、昭55.2.15) 

木下先生が肋間神経痛に対して傍神経刺をされていることは以前から承知していたが、原著論文を見ていなかったので詳細は不明だった。この度、ネットで上記論文を発見した。難治性肋間神経痛に対してこの方法を追試すると、十分な効果が得られた。
   
肋間神経が上位肋骨の下縁に沿って外方に走り、その肋間隙の後方には外肋間筋が走っている。その深部には内肋間筋とその続きである内肋間膜があって、肋間神経はその間に挟まれている。このあたりの筋緊張が肋間神経痛症状を生むのではないかと考察した。
    
2寸#5鍼使用。棘突起の外方3㎝から脊柱に向けて10°傾けて静かに4㎝刺入。約5秒とどめて、静かに抜針する。棘突起の外方3㎝から直刺すると、多くの場合肋骨または胸椎横突起にぶつかり4㎝も刺入できない。しかし胸椎棘突起4~10の高さにおいては、およそ棘突起下縁の高位に取穴すれば、鍼は胸椎横突起間に刺入でき、目的を達する場合が多い。鍼を脊柱に向けて10°傾けるのは、気胸防止の意味がある。治療感覚は、初めての2~3回は毎日、その後は隔日、または1週間に2回程度とした。
    
102例の肋間神経痛患者に対して傍神経刺をおこなったところ、91%が優、6%が良、3%が不変、悪化例はなかった。うち優の結果を得た93例をみると、発症1~7日の52例では平均2.9回治療。8~15日の18例では4.6回、16~30日の12例では7.9回、3ヶ月以上経過した4例では11.5回だった。

 

 

 

4.本態性肋間神経痛に対する傍神経刺の追試症例(66才、女性)

当院初診3週間前から右側胸部から前腹部が痛くなり、上体を左右費ひねる時に痛む。寝返りも非常に苦痛だという。現代医療にかかるも検査で異常はなく、痛み止めの薬は処方されるも十分に効かないという。

当初は、上体をひねると痛むという点と背部一行に圧痛あるということで、右中背部胸椎傍の短背筋群の筋膜性背痛と解釈して、中背一行に深刺するもあまり効果がなかった。圧痛ある中背部起立筋に運動鍼すると少し上体の回旋ができるようになった。

その頃になると背痛ではなく、上体をひねる時に右側胸部から右側腹部の痛みを強く訴えるようになたことから、胸椎部短背筋群の筋筋膜性背痛ではなく、右T9中心の肋間神経痛を疑うようになり、木下晴都氏のの肋間神経傍神経刺を追試してみた。その1回治療の直後から上体の左右の回旋痛が大幅に軽減した。

 

 

 

肩中兪深刺の理論と適用

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1.肩中兪深刺の適応
   
肩中兪(C7棘突起外方2寸)深刺では第1肋間(第1肋骨と第2肋骨間)に刺入できる。この刺針の適応は、頸部交感神経節刺激の他に、腕神経支配領域の症状に対する治療としての使い道がある。
     
腕神経叢はC5~Th1神経前枝から成っているが、腕神経叢から起こり、中府・雲門あたりの大胸筋部痛、肩甲間部痛、後方四角口腔部痛に対して、効果あることが多い。
 

 

 

 2.傍神経刺としての肩中兪
     
木下晴都氏の肋間神経痛に対する傍神経刺は、棘突起の外方3㎝からやや脊柱方向に10°傾 けて4㎝ほど刺入すると記載されている。追試してみると良好な結果を得られたので、改めてその奏功理由を考察することにした。

つらつら考えるに、筆者(似田)は肋間神経に接触する外肋間筋を緩めたことが重要だと思うようになった。外肋間筋の上端は、第1肋間なので、そこを刺激する鍼ができれば、新たな治療となるのではないかと考えるようになり、肩中兪深刺を思い至った。この部位は第1肋間神経の傍神経刺  激点であると同時に、腕神経叢の刺激点でもあるから、広汎な症状に対する治療ができる可能性もあった。
  


3.肩中兪の局所解剖  
     
下の二枚の図はTh1、Th2椎体レベルの横断解剖図である。2㎝程度の切断面の違いで、解剖図も非常に異なっているのに驚く。第7頸椎断面レベルでは肋間筋は現れない。Th1椎体断面では中・後斜角筋の内側に肋間筋は現れて いる。Th2断面でも無論、肋間筋は現れているが、肺に近いところにあるの で、この高さから 肋間筋は刺針すると危険であろう。要するに肋間筋刺激にはC7・ Th1間の外方3㎝あたりから深刺するのがよく、それ以外の高さでは不適切であることが理解できる。

 

 

 

 

 

4.取穴と刺針
   
臥位。大椎穴(C7T1棘突起間)の外側2寸(3㎝)。寸4番針にてやや脊柱側に向けて10°の角度で直刺4㎝。椎体の外側を擦るように刺入。外肋間筋に刺入する。木下氏の肋間神経傍神経刺では、数秒間置いて静かに抜針するとある。
※定喘:大椎の外方1㎝、 治喘:大椎の直側(外方0.5㎝) 

『名家灸選』の腰痛の灸デモ(萩原芳夫先生)

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毎年春秋に開催されている現代鍼灸科学研究会は平成30年春、ゲストとして萩原芳夫先生をおよびした。萩原先生は、かつて日産玉川病院第2期鍼灸研修生で、研修後に地元埼玉県で灸専門治療院として長らくご活躍されていたが、ついに昨年閉院されるに至った。

何しろ、この治療院は、『名家灸選』に基いた灸専門院であって他に類がなかった。是非ともこの方法を学習したいという意見が当研究会内部で持ち上がり、招待する運びとなった。
まずは、鍼灸院でおそらく最も多いと思える<「腰痛」に対する名家灸選の治療>というテーマで一時間強の講義と実技を行っていただいた。

1.名家灸選と名家灸選釈義

『名家灸選』は文化2年(1805)要するに江戸時代後期に越後守和気惟享が第1巻を著し、続いて2年後に同志の平井庸信が続2巻を編著した。日本の民間に流布されている秘法、あるいは名灸と称賛されているものの中で、実際に効果のあるものを収集・編集したものである。

なお昭和の時代に灸治療家として名を馳せた深谷伊三郎には多くの著作があるが、同氏最後の著書で最高の書とされる『名家灸選釈義』は、『名家灸選』を現代文に訳し、現代医療と照合し実際の効果を検証したものであったが、今回の萩原先生の講義は『名家灸選釈義』とは、直接的には関連がない。 

萩原先生が提示されたのは次の内容だった。


2.名家灸選にみる腰痛の治療「帯下、腰痛および脱肛を治する奇愈(試効)

現代文訳:稗(ひえ)のクキを使って、右の中指頭から手関節掌握横紋中央の掌後横紋までの長さをはかり、この寸法を尾骨頭下端から、背骨に上に移し取り、その寸法の終りの処に印をつける。またその点から同身寸1寸(手の中指を軽く折り曲げた時にできる、DIP関節とPIP関節の横紋の橈側側面の寸法)上がる処にさらに印をつける。合わせて2穴で、この2穴の左右に開くこと1寸ずつ。合わせて6穴に灸すること各7壮。

 

 

 

 

 

 

 

3.萩原先生の治療デモ

1)ヒモを使っての取穴
原著ではヒエのクキを使うが、現在では入手困難なので、ホームセンターで直径2㎜の紙ヒモを購入し、それを洗濯ノリをつけて乾燥させたものを使用した。始めて目にするものだったが、黄土色をしていることもあり、一見すると細めの線香のような外見だった。線香にしてはきわめて真直ぐで、さらに軽いこと、皮膚に触れても冷たく感じないこと、安価なので、必要に応じてハサミで簡単に切ることができるのが特徴。

ヒモ状にひねったモグサ入れ

 

椅坐位で、肘をベッドにつけ状態を前傾姿勢にする。名家灸選の記載に従って、4点灸点を取穴。取穴には細めのフェルトペンを使用。前傾姿勢にするのは、脊柱の棘突起や棘突起間を触知しやすくするためとのこと。

  

 2)艾炷をたて次々点火

紫雲膏薬をツボに薄く塗り、艾炷を6個立て、線香の火で次々に点火(同時に何ヶ所も熱くなる)。艾炷は中納豆粒(米粒大と小豆大の中間)くらい。初めて灸する者は1カ所15壮くらい、経験者は30~50壮行う。何ヶ所か灸していると、場所によっては熱さを感じにくい場所があり、このような時には、そのツボだけ余分に壮数を重ねる。
事前にモグサ(普通の透熱灸用)をコヨリ状に細く長くひねっておく。太さは、直径3㎜、4㎜、5㎜ほどの3種類で、臨機応変に太さを選ぶ。長さは20㎝ほど。1本のモグサのヒモで30個前後の艾炷をつくれる。

 

 

3)腰下肢痛を訴える患者に対しては、上記の腰仙部への灸治療にプラスして下肢症状部にも施灸したのだが、次第に下肢症状部には灸することはなくなった。


4)普通の鍼灸院にかかるつもりで、萩原鍼灸治療院にかかる患者はあまりいない。ほとんどは患者からの紹介なので、覚悟して灸治療されに来院したとのこと。まれに熱いので灸治療中止することはあるが、基本的には当方に考え通りの壮数を行うことができる。



4.現代鍼灸からみた名家灸選

いろいろな症状に対する灸治療について書かれているのは、「名家灸選」にしろ他の古典書にしろ大きな違いは見られない。ただし項目によっては、記載通りの灸治療を自分が行ってみたところ、効果あった(試効)という記載がところどころにみられる。江戸時代の灸治療を知ることができ、興味深いものであった。
とはいえ、当然ながら現代的な病態分析、治療効果に対する分析はみられない訳で、記載されている行間を読み取ることで、どうして古人はそのように考えたのか、その真理なり誤謬なりを追究する姿勢が必要となるだろう。

 

  勉強会後の恒例の懇親会

 

 

 

 

 

 

 


 

腹診に関する現代医学的解釈 Ver.2.0

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日産玉川病院東洋医学科では、腹証を診ていた。古典的解釈と現代医学的解釈を併用していたが、意見の統一をはかるための資料として「東洋医学診療マニュアル」(代田文彦先生口述、鈴木育夫、武藤由香子両先生整理)が作製された。この冊子の部分的紹介が当ブログ2006年5月14日報告の<腹証に対する現代医学的解釈>であった。

あれから十二年経た現在、ブログ<alternativemedicine>腹証に関する研究文献の紹介が記されていた。このブログ著者は匿名だが、日頃から内外の高水準の鍼灸関連文献を紹介しているので、おそらく鍼灸大学研究者であろう。今回の腹証に関する文献も私の知らないことが多くあり、その内容を私のブログに役立たれていただいた。

 


1.腹部全体の緊張

1)所見
著しい腹壁の緊張。腹壁は板のように硬くなる。
2)解釈
代田文彦氏(以下代田と略):腹膜刺激症状としての筋性防衛。緊急手術が必要。


2.腹満

1)所見:自他覚的に腹が全体に張っている。

)解釈
①一般:腸内のガスは、小腸の栄養吸収力不足のため、大腸にまで栄養成分が行き、これを養分として腸内細菌の異常発生による。治療は小腸機能の活性化をはかる。
②代田:多くはガスで、ガスか否かは打診で判断する。鼓音を呈すればガス。他覚的な膨満のみで愁訴が伴わなければ現代医学では問題にしない。



3.心下痞鞕(しんかひこう)

1)所見
心窩部が硬くなり、押すと硬い抵抗に触れる。心下部がつかえるという自覚症状のみは、心下痞という。「鞕」の読みは「こう」かたい、しんがかたい、かたくこわばるとの意味。心下痞硬は誤字。

2)解釈
①代田:胃腸管スパズムの反応。もしくは腹腔神経叢の反応。補瀉心湯を用いる。
②寺澤捷年氏(以下寺澤と略):心下痞鞕が膈兪・肝兪・胆兪などの脊柱起立筋群の刺鍼で消失することを報告した。しかし、これらの刺鍼で胸脇苦満は消失しないことを同時に報告した。


4.胸脇苦満

1)所見
肋骨弓から心窩部にかけて、帯状に自覚的な重苦しさ、張った感じを訴える。他覚的には、肋骨弓下縁から手を内上方に押し上げるように挿入すると抵抗を感じる

2)解釈
①代田:横隔膜隣接臓器(おもに心、胃、肝)の異常により、横隔膜が緊張している状態。おもに左側は肝臓、右側は胃の反応。なお古典でいう肝の病は、現代ではストレスに該当するので、胸脇苦満は心労でも生ずる。柴胡剤(大柴胡湯、小柴胡湯など)を使うが、それよりも中背部の鍼灸の方が早く治せると思う。
②寺澤:棘下筋の天宗への刺鍼で、胸脇苦満が消失し、さらに「しゃっくり(吃逆))」が消失することも経験した。棘下筋がC5・C6に起始する肩甲上神経に支配され、横隔膜がC3・C4・C5に起始する横隔神経に支配されることから横隔膜からの内臓体性反射で「胸脇苦満」が起こるのではないか?と考察した。
寺澤 捷年「胸脇苦満の発現機序に関する病態生理学的考察—胸脇苦満と横隔膜異常緊張との関連—」『日本東洋医学雑誌』Vol. 67 (2016) No. 1 p. 13-21


5.胃内停水(心下支飲)

1)所見:仰臥位で心窩部を軽く叩打すると、ポチャポチャと振水音がする。

2)解釈
①代田:胃が拡張し、液体成分と空気が多量に存在する場合に生ずる。胃が水をさばききれない時に生ずる。胃の消化機能低下状態。虚証のサイン。人参湯、四君子湯などを使う。
②鈴木育夫氏:腸機能の低下が本体で、腸への水分流入を拒否しているので結果的に胃内の水分が腸に流出できない状態か?

6.腹皮拘急(=腹皮攣急)

1)所見:左右の腹直筋が細く緊張している状態。
2)解釈:交感神経緊張状態



7.小腹急結(=少腹急結)



1)所見:指頭を皮膚に軽く触れたまま、左臍脇から左腸骨結節にむけて、迅速になでるように走らせる。この時、擦過痛を有するもの。索状物は触れても触れなくてもよい。索状物があって擦過痛がないものは小腹急結ではない。
東洋医学の腹部名称は、次のごとくである。下腹部を「小腹」、側腹部を「少腹」というが、鼠径部あたりは小腹・少腹どちらになるかは判然とせず、どちらも認められている。

 

2)解釈
①古典的解釈:瘀血の重要所見。駆瘀剤(桃核承気湯など)を用いる。
②形井秀一氏:腹大動脈が左右の腸骨動脈に分岐するあたり(とくに左側)は、圧迫されやすい。(「治療家の手のつくりかた」六然社)
③代田:婦人科生殖器内臓の部分的浮腫。



8.小腹不仁
1)所見:上腹部に比べ、下腹部が軟弱(緊張度が低下)で空虚である。不仁とは、普通でない状態をいう。

2)解釈
①古典では虚証のサイン。八味丸が用いられる。
②似田:腹腔は臍から上は陰圧、臍部で大気圧と同じ。臍下は陽圧となっている。生理的に下腹は上腹に比べ、硬いのが正常。

 

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