1.ジョセフ・ニーダムとは
ジョゼフ・ダム(Joseph Needham) 1900年12月9日生- 1995年3月24日没。ロンドン生まれ。中国科学史の世界的権威。もともと生化学の権威だったが、1930年頃から中国の科学発達史に関心をもち、1942年から3年間蒋介石政府の科学技術顧問として重慶に滞在した。帰国後、前人未踏の中国科学史の研究がライフワークとした。「中国の科学と文明」全16巻の他、多数の書を執筆した。
我が国でも多くの翻訳書が出版された。筆者の手元にある本は、「東と西の学者と工匠中国科学技術史講演集 上下」河出書刊(絶版)と「鍼のランセット 鍼灸の歴史と理論」創元社刊(絶版だが古書で入手可能)である。鍼灸臨床には直接結びつかないが、昔の中国の科学技術を色々な分野で具体的に説明されている。ニーダムにより、昔の中国は、当時として科学技術先進国であったことに気づかされる。
昔、私が代田文彦先生に「ニーダムはすごいですね」と話かけたら、同意して「もし対談などの企画がきたら、その準備に5年はかかるだろう」と返答したことを思い出す。
(疑似カラー化)
2.五兪穴の解釈に対する不満
十二経絡には、各経絡ごとに五行穴(五兪穴)が定められ、これらは井穴・栄穴・兪穴・経穴・合穴とばれる。
井穴・栄穴・兪穴は、手と足の指先から数えると、第1番目、2番目、第3番目に列んでいる(胆経だけは例外で、第3番目の地五会を飛び、4番目の足臨泣が兪穴)。合穴は肘関節・膝関節付近にある。
井=経脈の出る所 栄=溜(したた)る所 兪=注ぐ所 経=行く処
井栄兪経合の性質は水路に例えられてきた。ただし手指の末端から始まる手の三陽経や足指の末端から始まる足の三陰経では、うまく説明がつくものの、手の三陰経や足の三陽経では、説明できない。
井栄兪経合の部位を表現した、出・溜・注・行・入も、水の流れるさまであるとの表面的な解釈はできても、それだけでは納得できない。
疑問だらけの状況にあって、魯桂珍、J・ニーダム著「中国のランセット」創元社刊は、この疑問に対し、ヒントを与えてくれる。
素問霊枢が編纂された漢の時代の治水技術には高いものがあった。人々の集合(都市)→食料の増産→耕作面積を増やすため、計画的な灌漑設備を整備する必要性があったからである。灌漑設備を重視した証の一端としては五行色体表の五蔵六腑の官職の説明として、「三焦は、決涜の官(=溝を切り開いて水を通す役人)」や「膀胱は、州都の官(地方長官。あるいは水液を集める処)との言葉があることでも知れる。
3.井穴とは
井は、水を取り入れ口をさす漢字であり、井は必然的に、泉、井戸、取水用ダム(堰)、用水路などの一部をさす。井が、山奥にある川の水源をさすとの限定はできない。
飲料や洗濯などにも水は使うが、人間が大量に水を必要とするのは、農耕のためである。農耕する条件の一つとして、用水路の確保が不可欠だった。これを人体にたとえるのは、農作物が育つような環境を、人間の身体自身が生きる上で必要だと考えたからであろう。
4.栄穴(滎穴)とは
栄=①水がちょろちょろ流れる様子。②水が回流する沼。(「漢字源」学研より)
ニーダムは、「井」を湧出とするならば、「栄」は水源に相当すると記しているので、②の解釈である。回転する沼とは、湧水が沼の底から噴出している様子だろうか。井と栄は非常に接近していることになる。滎(けい)とは、古代中国の河南省滎陽県にあった沼地の名。漢代にはふさがって平地となった。
5.兪穴・経穴とは
兪=いよいよ、ますます。前の段階をこえて進むさま。流出。(辞書同上)
経=縦糸。まっすぐ通る。(辞書同上)
兪も経も、水の流れるさまの形容である。兪は水源前の段階である水源を越えて進むのだから、流出と考える。それも栄→兪→経と下るにつれ、しっかりとした水流に変化している。井から経への4段階を、
ニーダムは、湧出→水源→流出→流れ、と考察した。
6.合穴とは
合=合う、集まる。あつめて一緒になる。合流(辞書同上)
従来の解釈によれば、「合」は川が海に流入する河口部分だという。しかし合穴に続くのも、同じ経脈なのであり、「海」という説明は合理性に欠けるものであろう。
ニーダムは、次のように解釈している。「手指の末梢部(=井穴)から湧き出るようにして表出した経脈は、合穴に至るまでに流れをスピードアップあせる。一定の流れ以下の速度(あるいは強さ)では、効力水準点(ポテンシイ・レベル・ポイント)点に達しない」
これを私なりに比喩で表現すると、一般道から高速道路に入る場合、高速で走る車の流れに合わせるため、加速レーンを使うが、この加速レーンの役割が五行穴の作用だと考えることもできる。
逆にいえば、手足の肘以下、膝以下を除く身体の経脈は、高速道路本線であって、この本線が経脈として正しく機能していることが生理活動として不可欠だと考えたのだろう。